2018/10/09
安心、それが最大の敵だ
軍部の圧力に屈せず
昭和12年(1937)頃から、中央気象台に対する軍部の圧力は露骨になった。気象事業全体を軍の管理下に取り込もうとするものだった。軍事利用のみを目的として、強権で接収を図ろうとしたのである。そこには国民の災害防止や民生への配慮がないばかりか、気象事業の支えである科学的研究にはおよそ無知・無理解だった。岡田は横暴な軍部の要求には屈しなかった。彼は身の危険を感じることもしばしばで、死も覚悟したという。陸軍から文部省(当時)に対して、「岡田を罷免せよ」との策動もなされた。
岡田が学生時代に気象学を志し一生の仕事と決意したのは、災害防止を始めとして国民の生活安定に寄与する、という確固たる信念に基づいていた。国家が軍国主義に傾いても、博士は少しもひるまず気象事業の本質について学界・官界を説得し、軍国主義に迎合することはなかった。気象界では、博士は軍部に対して身を賭して気象事業を守り抜いたと今日でも言い伝えられている。もし暴走する軍部の接収に屈していれば、敗戦による軍の解体と連動して日本の気象事業は甚大な破壊をこうむり、国民に日々天気情報を知らせるようになるまでには、長い道のりを余儀なくされたに違いない。
岡田は中央気象台長に18年間在職した。その最後の期間、陸軍から再三の策動を退け、気象台の接収は免れたものの、彼にとっての不本意な気象業務の軍事化ともいうべき事態は、進行する一方だった。もはや自分がこの職に留まるべきではないと、辞意を固めていた太平洋戦争の始まる昭和16年(1941)の初夏、彼は海軍軍令部に招かれて、開戦時期の近いことを知らされ、気象情報の提供についての要請を受けた。その帰る車中、同行の部下に彼が語った言葉が伝えられている。
「米国や英国となぜ戦争などをするのだろう。絶対に勝ち目などありはしない。日本もここまで来たら、一度戦争に負けなければ、とても目は覚めまい」。仮に憲兵の耳にでも入れば、生命の危険にもかかわる重大発言である。が、これは日本の将来を心から憂える岡田の本心を吐露したものである。独自の研究を重んじること、科学的探究心を常に働かすこと、これが気象台長在職18年間を通じ、岡田が全職員に訴え続けたことであった。
科学的精神と反軍思想
岡田の生涯は科学的精神の具現化であった。彼の目には、神がかりの神州不滅とか皇運無窮、あるいは政府や報道機関が宣伝し、大多数の国民が酔いしれている東亜新秩序とか、大東亜共栄圏といったことは、空しい幻影と映っていたであろう。戦争がもたらす日本とアジア諸国の人民の惨害を見据えていた。敗戦必至論とともに、軍部の横暴に対する批判は早くから岡田が示していたものだった。
彼が予言したように大戦は日本の無条件降伏をもって終わった。300万人の犠牲者と国土の荒廃、アジア諸国では2000万人をこえる犠牲者という悲惨な結末で、日本人は初めて平和の尊さを知った。軍の接収を免れて、気象事業はいち早く平時の業務再開に向けて動き出す。
戦時中、開戦と同時に始められた「気象管制」が全ての気象情報の民間非公開、つまりラジオ放送などによる天気予報を廃止し、そのせいで戦時中と戦争直後に日本史上に残る大災害を巻き起こしている。民衆の日常生活の安全、福祉の向上を願って、気象観測の精度を高め、気象事業の体制整備、総じて気象事業近代化にひたすら傾注した博士の長年の努力を戦争は全く空しいものにした。
昭和18年(1943)鳥取大地震の直後に、住民の全く知らない中、突如西日本を襲った台風は、全壊家屋6574棟、死者768人の大惨事となった。そして、戦争直後の昭和20年(1945)9月、「気象管制」は解けたものの、まだ通信や情報連絡体制の整わない混乱期に、観測史上では戦前の室戸台風と並ぶ大きさの枕崎台風が襲った。全壊家屋11万3945棟、流失家屋2546棟、死者3756人という大惨事をもたらした。死者中、2012人は原爆禍を蒙ったばかりの広島市とその周辺の死者だった。ラジオもなく、通信連絡、広報など全てが被災直後の状況で、全く突然に台風が襲ってきたのである。原爆と台風で広島は2度死んだ。もし気象情報が広く知らされていれば、被害が相当程度減少したであろうことは言うまでもない。気象情報の独占と秘匿を図った軍部に対する博士の怒りはいかばかりであったろうか。
敗戦時72歳だった岡田は、そこに生じた日本の政治的、社会的激変についてコメントしている。「軍閥は滅びたが、これからは法閥に気を付けなければならない」。霞が関の事務系(法科系)官僚の跋扈(ばっこ)を危惧した。博士の洞察力は時代を超えて的中している。まさに、「法閥」は国民の富(税金)を蚕食し尽くす者たちの中枢と言える位置を占めている。
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