遣米使節、ホワイトハウスへ(新聞報道、筑波大学附属図書館資料)

大統領に拝謁

閏3月28日(新暦5月18日)。正午に日本使節団は大統領の引見を受けることになっていた。正使新見や副使村垣らが幕府を代表してホワイト・ハウスを正式訪問するのである。史上空前のことである。この栄誉を前に、ホテルは警備が厳重になり緊張した雰囲気に包まれた。沿道は黒山の群衆で立錐の余地もない。

日本使節団を乗せた馬車の列は、ホテルから東南に2kmほど走りホワイトハウスに到着した。馬車の列が「白亜館」に着くと、鉄の柵門が開けられ全車が敷地内に入った。官邸は四方を鉄柵で囲まれ、庭には泉水や樹木などがあり、建物は豪壮な印象を与えた。建物の入り口まで、騎兵・歩兵・従者も従った。一行は馬車を降りると入口からすぐ石の階段をのぼり、控えの間に案内された。そこは正使・副使・監察らだけの部屋であり、勘定組頭森田岡太郎ら上役の者は別室に導かれた。

廊下の左にある大広間は美麗であり、この日の応接の場所にあてられている。三使の控えの間は楕円形をしており、床には華やかな藍色の絨毯が敷いてある。四方には大きな鏡があり、その前にテーブルが置かれ日本の蒔絵(まきえ)の硯箱(すずりばこ)、料紙(用紙)、その他高価な品々が飾ってある。これらは黒船を率いたペリー提督が来日した折、幕府から寄贈された貴重品とのことであった。やがて国務長官カスが挨拶に来て退室すると、デュポン大佐とリー大佐がやって来て三使を謁見の間に案内した。両開きドアが開けられた。

謁見の間(イースト・ルーム)は200坪(1坪は3.3m2)もある広く荘厳な貴賓室で、正面に大統領ブキャナン、その右側にカス国務長官、左側には財務長官が立っており、三使は正使・副使・監察の順で謁見の間に入ると横に並んだ。そのまま2~3歩一緒に進むとまず一礼し、さらに大統領の面前まで進んで一礼した。大統領及び三使らの左右には、文官、武官、外交団、貴婦人たちが華麗な礼服に着飾って居並んでいる。

正使・新見が「先頃日米両国間で修好通商条約が結ばれ、このたび自分が条約を批准するため貴国の首都ワシントンに遣わされましたが、これより両国の友好関係がますます親密にあることを祈ります。往還に貴国の軍艦をご用意くださったことを感謝いたします」との文面を緊張した張りのある声で読み上げた。それを通詞・名村五八郎に手渡した。名村は文面をアメリカ側の通訳ポートマンに低い声で読んでやった。ポートマンは内容を英訳しブキャナン大統領に伝えた。大統領は日本使節の口上に対して「修好通商条約の批准は日米両国民に裨益(ひえき)すること大であり、きっと幸福をもたらすでありましょう」と笑顔を絶やさずに答えた。

その後、正使新見の後ろに控えていた外国奉行支配組頭・成瀬正典が国書(金粉をにかわで溶かした金泥で花鳥を描いた料紙)を持って前に進み出、新見が箱の中から国書を取り出して大統領に手渡した。正使新見が先ほどいた中央に退くと今度は勘定組頭森田や御勘定格それに御徒目付らが入室したので、三使らは彼らと入れ代わりに控えの間に戻った。儀式はつつがなく終了した。

謁見を終えた三使は控えの間で休んだ。デュポン大佐が姿を見せ「日本の礼儀はお済みか」と尋ねた。小栗が「済み申した」と答えると、「再びおいでを乞う。大統領が皆様の労をねぎらいたいとの意向である」と言う。再度謁見の間に出向くと、大統領は三使らに握手を求め「日本は鎖国以来初めて和親条約を締結し、我国に大君(たいくん)の使節を送られてきたことを、余ばかりか国民一同一方(ひとかた)ならず喜びました。厚いお言葉の趣旨、国書を賜ったことに深甚な感謝を献じます」と相好を崩してくつろいだ調子で述べた。口述したものの原文(英文)を正使新見に渡したので、新見は深々と一礼して拝受した。 

第15代アメリカ大統領ジェイムズ・ブキャナン(1791~1866)は、ペンシルヴェニア州出身で、ディッキンソン大学で法律を学んだ後軍隊に入った。除隊後、政治家となり、1857~61年までの1期大統領を務めた。

小栗らは大統領や側近たちと身近に接し、また大統領公邸、議事堂、国務省などを見聞して回りながら幕藩体制とアメリカの共和政治との優劣を考えざるを得なかった。