外交儀礼と歓迎パーティ

使節団のワシントン滞在は続く。閏3月29日(新暦5月19日)。幕府から大統領に贈答する品々をホテル内に飾り付け、目録を接待担当のデュポン大佐に手渡した。贈り物は以下の品々である。真太刀1振(ふり)、馬具1揃(そろい、鞍とあぶみは蒔絵)、掛け軸10幅(ふく、いずれも狩野・住吉両派の絵)、翠簾(すいれん、緑色のすだれ)10双、錦の幔幕(まんまく)、蒔絵の書棚、蒔絵の硯箱…。貴重な品々はホテル内の1室に3日間展示された。同夜、新見ら三使に対して国務長官ルウィス・カスの招宴があった。「日本は夜間は外出しない風習である」とアメリカ側には伝えておいたが、断り切れず正副使、小栗それに御徒目付らが正装して出掛けた。

カス長官の邸宅では廊下やロビーさらには各部屋も満員で、使節団一行はたちまち握手攻めにあった。招待客は男女数百人に及んだ。饗宴に加えてダンス・パーティも催されたが、両使や小栗らはこれにはなじめず男女の明るく踊り回る様を眺めているしかなかった。
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閏3月30日。海軍造船所の司令官が日本使節を訪ねて来て、新製品のゲベール銃(ライフル銃)を6挺ほど見せてくれた。

同日夕方4時頃、ホワイトハウスで音楽会が催されるのでご来訪を乞う、とデュポン大佐が誘うので、正使新見ら三使や上役は普段着のまま馬車に乗り出掛けた。三使は官邸のベランダに案内され、椅子に座って中庭を見下ろした。庭の中には数えきれないほどの群集がいる。庭の中央には噴水があって水を噴き上げている。赤い制服の軍楽隊がしきりに音楽を演奏している。

ブキャナン大統領が姪(めい)3人を連れて三使のもとにやって来て挨拶した。(大統領は独身であった)。そのうち大統領の姿が見えなくなった。姪の一人にハリエット・レインという27~28歳くらいの才色兼備の女性がいた。レイン嬢は副使村垣に双眼鏡を貸し与え中庭の群集の中に大統領がいるはずだから捜してごらんなさい、と勧めた。同じような服装の参加者が大勢いるのでとても見分けられるものではなかった。

小栗らが暇乞(いとまご)いをしようとすると、大統領はホワイトハウスの中を見物していけという。デュポン大佐の案内で官邸内を見て回った。2階は大統領の住居なので遠慮することにし、主に1階の謁見の間、各部屋、鴨居の上の歴代の大統領の石膏の肖像などを見て回った。

使節らは日が西に傾く頃ホテルに戻り、この日の出来事についてよもやま話をした。副使村垣は「日記」に記した。「ホワイトハウスに招かれて出掛けてみると、大勢の見物人の見世物になるし、茶やタバコも出さない。用を足したくなり、便所はどこかと聞けば、この辺にはないのでこらえてくれという。さっぱり人気のない建物の内部を案内されて帰ってきたので、キツネかタヌキに化かされたような気持であった」。村垣は不平不満が先立つのである。

見物人は連日引きも切らずホテル周辺に押しかけ、日本使節団員が窓から群衆に銅銭・錦絵・和紙・扇子などを投げ与えると先を争うように奪い合った。

4月2日、最重要な公式行事の前日である。夕方暴風雨が吹き荒れ、その後は夕晴れとなった。小栗は象徴的気象ではないか、と考えた。