山崎教授は近世以前の京都が防災先進都市だったことを語った

立命館大学は26日、「災害大国・ニッポンの歴史から学ぶ『減災のススメ』~ヒントは未来の技術じゃなく、過去の教訓にあり~」と題したプレスセミナーを、東京都千代田区の立命館東京キャンパスで開催。山崎有恒・文学部教授が歴史学の観点から災害について語った。

立命館大では文部科学省の補助事業だったグローバルCOEプログラムを受け、文化遺産の保全と災害対策を一体として考え、災害から文化遺産を保護するための文化遺産防災学の取り組みを行ってきた。2013年にこれまでの歴史都市防災研究センターを改組し、「歴史都市防災研究所」を設立している。これまで文化遺産保護研究や外国人観光客の避難のシミュレーションなども行った。

山崎教授は近代の政治史を主に研究。「防災を歴史学からとらえる研究者はほとんどいないだろう」とまずは語った。そして明治期に発行された京都日出新聞(京都新聞の前身)に掲載された京都の災害に関する記事のデータベース化に取り組んできたことを説明した。

山崎教授は近世以前、災害は起こることが前提という考えだったとして、京都であれば賀茂川(鴨川)で水害が多く、遊水地が多く置かれたことを語った。そのうち市街化したものの一つが京都市の繁華街である河原町だという。また「近世以前、住宅密集地だった京都は大火事が起こりやすい環境だったため、初期消火を重視した世界一高度な防災都市だった」と説明。火事を起こすと強制退去になったほか、水を運ばないなど協力を怠った住民には高額の罰金もあったという。

近代化以降は消防が官設組織になったほか、災害対策が行政任せとなり、テクノロジーにも依存するようになったことを挙げ山崎教授は「日本人の防災意識の低下が近代化最大の問題」と指摘。防災教育やさらに歴史から防災を学ぶことの重要性を訴えた。

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リスク対策.com:斯波 祐介