■3部制を2部制にして対応

東京消防庁では、平時は4000人ずつが3部交代で24時間、消防活動にあたっている。3月12日からはこの3部制を、当番・非番の2部制に切り替えて対応にあたり、それにより浮いた4000人を各地への派遣に充てた。東京消防庁では、今回の東日本大震災関連で最終的に東北への緊急消防援助隊に加え、千葉や静岡(3月15日夜震度6強を観測)、そして福島の原発対応など計514隊3243名を派遣している。

■福島原発への対応

東京消防庁の今回の震災対応で、特に注目を浴びたのが福島第一原発への派遣だ。3月12日の午後3時20分頃に、福島第一原発を冷却するために、原子力安全・保安院から消防庁長官を通じて、スーパーポンパーという大量放水車を貸してくれという連絡が東京消防庁に入った。この時はまだ、福島第一原発1号機が爆発する前のことだ。車だけを貸してくれればいいということだったが、特殊車両で一般の人では運転ができないため佐藤氏は8部隊に同行するよう指示をした。その11分後に第一原発が水蒸気爆発を起こした。 

国から直ちに連絡が入り「原子力安全・保安院も東京電力も大混乱した状況で安全確保ができない」とのことで、派遣部隊の命令が取り消されたという。佐藤氏が既に出勤した部隊の位置を確認すると、ちょうど守谷のインターチェンジにいたため、すぐ部隊に対し引き返すよう指示した。

原子炉を冷却しなくてはいけないことは佐藤氏自身、承知していたし、そのことも問い質したが、そもそも原子力災害対策特別措置法では、原子力災害の対応は自衛消防隊か国が対応することが決められていて、地方自治体は対応することになっていないため、自衛隊が対応するということだった。 

結局、12日は東京消防庁の出動は見送られ、3月14日に、消防隊に代わり自衛隊が注水活動に取り掛かった。ちょうどその時、3号機が爆発。自衛隊の数名が被爆した。

「もし東京消防庁が注水活動にあたっていたら、8隊28名の消防隊員が被ばくしていたかもしれません。情報をしっかりとって、状況を見極めないと部隊の安全というのはなかなか担保できないことを思い知らされました」(佐藤氏)。

■内部で作戦会議

15日になると2号機の燃料棒が露出していることが報道されていた。ただ、詳しい情報はほとんど発表されていなかった。「東京消防庁にも詳細情報が国から入ってこない混乱した状況でしたので、マスコミの情報や、海外の情報をインターネットや知人を通じて集めました」と佐藤氏は振り返る。 

冷却水の水位は次第に下がり、16日には燃料棒の冷却が急務であるとの報道がなされていた。 

東京消防庁では、12日にスーパーポンパー貸出の要請を受けてから、独自に注水の作戦を検討していた。原子力災害の対応は国の責任であっても、注水が必要ということになれば、やはり東京消防庁が出ていかざるを得ない状況になることを佐藤氏は予測していたという。 

これとは別に、東京消防庁のハイパーレスキュー隊では、かねてから放射線での爆破テロなどに備え、原子力に対する消防活動の原則を作っていた。内容は、被爆線量は普通の時に10ミリシーベルトで、人命救助のときは100ミリシーベルトまでと定められていた。ただし、100ミリになったときは、生涯にわたってその人は、放射線対応の業務に従事させないという基準が加えられていた。