■"災害"が私たちの意識から遠のいてしまう理由

ここ数年(ワイドショーなどは別として)、災害報道がめっきり減ってしまったが、これも私たちの意識に何か変化を与えている要素の一つだろうか。例えば2018年7月に起こった西日本豪雨災害の時のこと。

気象庁がこれまでにない危険な豪雨災害が起こりつつあると発表する中、全国ネットの大手テレビ局はどのチャネルもいつも通りのバラエティ番組一色だった。NHKですら番組の枠外にテロップで流していただけである。以前ならばただちに災害報道特別番組に切り替わったものだが。この頃、タレントのカンニング竹山氏がツイッターで「他人事みたい」「終わってんな…」とつぶやいたそうだが、多くの人が同様の違和感を感じていたはずだ。

視聴率がとれなければ放送する意味がない。国民に危機を知らしめる義務や使命感よりもスポンサー企業が望む番組を流し続ける方が大事である。放送局があからさまにこのように考えているわけではないだろうけど、昨今の報道姿勢を見る限り、視聴者からそう誤解されてもしかたのない現実がある。

一方、私たちにも、自発的に災害情報を避ける意識が働いていることは否定できない。過去の情報にしてもこれから起こることを警告する情報にしても、災害情報というのは不安をあおり、気持ちを暗くするものだ。なるべく見聞きしたくない。そもそも一般市民にとって災害情報はこちらからわざわざ取りに行くものでもない。すべてニュースやアラートとして何もしなくても向こうから飛び込んできてくれるのだから。

このように思っていると、あなたの情報アンテナからは災害に関する情報はスッポリ抜け落ちてしまう。その結果、防災意識も危機に備える姿勢も薄まってしまうのである。先ほど述べたネガティブなアンケート結果などは、こうした理由も関係しているのではないだろうか。原因がどこにあるにせよ、災害が私たちの意識から遠のいてしまうという今日の現実は、もう一つの危機的事態と呼んでも過言ではない。

(了)