応急危険度判定についての印象というか疑問です。

私自身、応急危険度判定の制度構築にかかわった経験があり、判定士の研修の講師を長らくしてきた経験もあり、応急危険度判定の応援団のつもりでいます。にもかかわらず、苦言というか疑問を呈したくコメントします。
全国から判定士の皆さんが駆けつけていただき、立ち上がりの遅れがあったものの、応急危険度判定がしっかり行われています。ボランテイアとして協力いただいた判定士の皆さんには感謝申し上げます。

ところで、今回の判定作業を見ていて、次の2つのことが気になりました。その一つは、判定調査の空白域が少なからずあるということです。もう一つは、危険と判定され赤紙が貼られた建物が非常に多いということです。

ここでは、後者の「危険と判定された建物の多いこと」について、言及します。阪神・淡路大震災と比較して、全半壊の建物数は1/10程度であるにも拘らず、危険と判定された建物数は熊本地震の方が多いのです。2万棟近くが危険と判定されているとのことです。

どうしてこんなに危険判定が多いのかと思いました。その理由として、火山灰が堆積した地盤の特質が被災の強度を上げているため、また、震度7が2回繰り返されたためと説明できるでしょう。

ただ、それだけでは説明しきれないのです。調査の方法や基準にも原因があると思うのです。(1)大きな余震が続くという恐怖感が赤紙を増やしている、(2)調査時間が限られていて安全だという確証が得られないため「疑わしきは赤」ということで「赤紙」を貼っている、(3)判定基準がマニュアル化されすぎチェックリストの項目に少しでもヒットすれば機械的に「赤紙」を貼っている、と推測されます。

安全側に判定するということでは、緑という確証がない限り、赤また黄にするのはやむ得ないのですが、赤を張られた家の人は立ち入ることもできず、犠牲を強いられます。その犠牲のことも考えて、赤紙を貼らねばなりません。

判定士が、外観調査であっても、時間をかけプロの目をもって、マニュアルに縛られず判定するならば、調査の精度と適格性が上がり、危険でないものを危険と判定する比率がぐっと下がるはずです。

応急危険度判定の方法などを見直すとともに、被災者に寄り添う心を判定システムの中に入れこまないとといけないと感じました。