710回、3万超える住民とのコミュニケーション

「あきらめない」基本理念を創った黒潮町は、次のステップとなる住民とのコミュニケーションを開始した。しかし防災に関わるコミュニケーションが町役場にとって想像もつかないボリュームになることは予想がついた。当時の黒潮町の南海トラフ地震に対する体制は、南海地震対策係という担当セクションに2人が配置されていただけ。そこで黒潮町は全職員による防災地域担当制というスキームを考え出した。

まず、町内を集落ごとに61地区に細分化した。そこに町長、副町長、教育長、情報防災課長、南海地震対策係を除き、学校職員、保育士に至るまで黒潮町全職員およそ200人をはり付けることにした。この配置は職員の出身地に配慮し、「自分の出身地域を最優先していい」と明確化することにより、職員に主体性を持たせたという。

地域担当制を開始するとともに、同年6月から8月まで各地域でのワークショップを開催。同時に避難経路や避難場所の点検に当たった。ワークショップは延べ156回開催し、4634人が参加。避難経路295カ所、避難場所168カ所も見直した。9月には、地域ごとに住民と地域担当職員の合同開催で避難訓練を実施。10月から年末にかけて地区別懇談会も開催し、これらの成果を報告した。2013年には、さらなる地区を細分化した取り組みを開始した。目的は「戸別津波避難カルテ」の作成だ。

黒潮町の当時の人口はおよそ1万2300人。そのうち津波リスクのある地域に住むのは74%にあたる約9100人(3791世帯)。この津波リスクのある全戸に対して、戸別の津波避難カルテを作成しようとする試みだ。途方もない取り組みに見えるが、黒潮町は組織をさらに細分化することでこれを実現した。2012年に61に分けた地区を、さらに10軒~15軒の軒単位で構成される班に分けた。結果としてできた463班のうち283班が浸水の危険地域に含まれる。

戸別に避難行動計画を作成

津波避難カルテづくりの前段となるのは、「戸別津波避難行動シート」(図1)だ。ワークショップの1週間くらい前までに班内で事前にシートを配布し、家族で話し合いながら事前に記入してもらう。これをワークショップに持ちよって空白部分を埋めていき、完成させる。カルテには住民が避難地図も作成しているため、同じものを役所でも保管することで、黒潮町は町内の浸水区域についてさらに確度の高いハザードマップを持つことができたという。

ワークショップは土日を除いてほぼ1年間、毎日のように開催され、多いときには1日に2~3カ所で行われることもあったという。結果的に、ワークショップの参加率は63%、カルテの回収率は100%という驚くべき成果をあげた。