姫路駅北口から望む姫路城
JR姫路駅の北口を出ると、すぐに国宝であり世界文化遺産にも登録された
美しい姫路城の姿を仰ぎ見ることができる。しかしこの光景は、自然にできたものではない。実は駅から姫路城をより美しく見せるため、駅の北口側は一般車両の出入りを禁止し、バスやタクシーなどの公共の乗り物しか入れないようにしているのだ。姫路城まで続く道も半分は歩行者専用にし、オープンカフェがいたる所にある景色は、ヨーロッパの町並みをほうふつとさせる。この思い切った施策を実施したのが現姫路市長の石見利勝氏。美しい景観を作るのと同じように、防災にも思い切った取り組みを多く展開している。

「姫路は世界文化遺産の姫路城を持っているのに、駅前に車が雑然としていてはいけない。駅を使う人は通勤、通学がほとんどで、そのような人はバスを使用している人が多い。ならば一般車両は排除してバスなどの公共の乗り物だけにして、思い切り歩行者に開放したほうがいいと考えた。瀬戸内は日本でもっとも雨が少ないので、姫路は日本でオープンカフェを展開できる唯一の場所だ」(姫路市長/石見利勝氏)。

石見氏は京都大学理学部を卒業した後、建設省建築研究所研究員や筑波大学助教授などを経て立命館大学政策科学部長などを歴任した都市計画のエキスパート。2003年に市長に当選してから、姫路の町づくりに積極的に取り組んでいる。その中で最も力を入れているものの1つが防災だ。石見氏は「WHO(世界保健機関)が発表している世界の都市比較の指標は、一番先に『安全』が来る。防災はいつの場合でも町の基本だ」と語気を強める。

市民体験型の「ひめじ防災プラザ」

1995年の阪神・淡路大震災の時、石見氏は立命館大学で次の日からの試験に備えるために京都にいた。

「夜、寝ていたらすごい地震があった。はじめは琵琶湖の北あたりが震源地ではないかと思ったが、朝になって全容がわかってくると神戸がやられていたことが分かった。すぐに阪急電車に飛び乗って西宮まで行き、1日中被災地を歩き回った」と当時を振り返る。その時の経験が、石見氏が市長に就任してから姫路市防災センターを作る大きな原動力になる。

「震災は関西に住む者にとっては大きなショックだった。姫路にも山崎断層が走っており、1000年以上前になるが868年に『播磨国地震』として大きな地震が発生したことが分かっている。隣の岡山県では、昭和21(1946)年に南海地震が発生し、52人の死者が出た。姫路は比較的安全と考えているが、絶対地震が来ないとは限らない」(石見氏)。

姫路市防災センターは姫路市役所に隣接した、6階建ての比較的コンパクトな作りの建物だ。なかには姫路市消防局や市の災害対策本部が設置できるスペースがあ
り、さらに1階部分は市民に防災の大切さを知ってもらうための体験型施設「ひめじ防災プラザ」を開設した。

市役所と別の建物にした理由は、もちろん市役所も耐震補強はされているが、万一の場合に備えてセンターにより地震に強い免震構造を採用したかったためだ。市役所の建物すべてを免震にするには莫大な費用がかかるため、新しい建物を建ててしまったほうが合理的だ。石見氏は防災センターを「災害時の最後の砦」と呼ぶ。

1階にある「ひめじ防災プラザ」に入館してみると、まず災害体感ゾーンでは災害のメカニズムを迫力のある3D映像で解説。映像と同時に振動する椅子など、臨場感ある災害現場を体感することができる。その後、地震直後の街並みがリアルに再現された多目的広場を抜けると、消火体験コーナーや避難体験コーナー、救急・救命体験コーナーなど、全て来場者が「参加」できる仕組みを取り入れている。

石見氏は「阪神・淡路大震災では自助・共助の取り組みが重要だということが分かった。『ひめじ防災プラザ』もそれを強く意識している」とする。

そしてもう1つ、市民の自助・共助を促すために姫路市が始めた取り組みが「まもりんピック」だ。

姫路市防災センター外観と、阪神・淡路大震災後をリアルに再現した内部。子どもでも楽しく防災を学ぶ事ができる。