「呼ばれたい名前で呼ばれる」ことは、ハラスメント対策にもなる

この「呼ばれたい名前」のワークがなぜダイバーシティプログラムで多く取り入れられているかというと、多国籍の人々と共同で事業を行う場合、宗教や価値観の違いで、ささいなことで誤解を招くことがあり、それを防ぐためでもあります。

企業人であれば、常識かとは思いますが、いきなり、他社の方をあだ名で呼ぶことはないですよね。「何とお呼びすればよいですか?」などと聞く習慣はついていると思います。学校でも、地域でも同じではないでしょうか?転校生に限らず、すべての人が安心だと思える呼ばれ方で呼ばれ、まわりがそれを尊重するのは難しいことなのでしょうか?安心できる名前を呼ばれ、うちとけて、辛かった体験でも話したいと思った時に、受け入れてもらえたらならば、どんなによかったことでしょう。

そして、この「呼ばれたい名前で呼ばれる」ことは、ハラスメント対策でもあります。今では、セクハラ、パワハラ、モラハラ、アカハラ、マタハラと多種のハラスメントがありますが、ハラスメントに該当するかの基準は、概ね、「相手の意志に反するか」です。自分の価値観や思い込みは基準にはなっていません。ですので、相手がどうして欲しいと思っているか、それを尊重するワークショップとして、「呼ばれたい名前」を呼ぶ練習をすることは、「人をからかってはいけません」と禁止で教えるよりも、実践&習慣化しやすい方法でもあります。

このハラスメントについての学習は、学校などの現場では遅れているのでしょうか?このところ大学生の性犯罪が話題になっています。

以下は今年5月に発生した「東大生集団わいせつ事件」の裁判における被告人質問に対する加害者のコメントを引用したものですが、

■「頭の悪い女子大生は性的対象」東大生集団わいせつ事件、最後の一人の判決迫る (デイリー新潮)
http://www.dailyshincho.jp/article/2016/10200701/?all=1

「被害者に『そういうことをしても許される』とメンバー全員が思っていた」
「被害者は明らかに嫌がってましたが、初対面だったのと、以前にもそういうことをしてたと聞いて、いいように解釈して……」

という供述があります。強姦罪についての厳密な構成要件について知らなかったとしても(大学生で知らないのも稚拙だとは思いますが)、少なくともハラスメント対策として『相手の意志に反してはいけない』『基準は自分の判断ではない』と知っていたとしたら、いかに「メンバー全員が思っていた」としても、「相手が嫌がっていた」なら、ハラスメントレベルですらアウトなので、弁解にすらならないと判断できたのではないでしょうか。そのほかでも、「女性が嫌がっているとは思わなかったなどと供述」などというキーワードをあちこちで見かけます。