石巻市内で防災サインを発表する、防災デザイン研究会理事長の林春男氏(現・防災科学技術研究所理事長)

防災デザイン研究会は12日、宮城県石巻市内で開催されたシンポジウムで「石巻市防災サイン計画」を発表した。同研究会の理事長を務める林春男氏(現・防災科学技術研究所理事長)は、「石巻市には平均して50年間隔で津波が発生している。東日本大震災の記憶を後世に受け継ぐため、今回開発したサインを活用し石巻に『避難のみち』『記憶のみち』『賑わいのみち』を作りたい」と意気込みを話した。

防災デザイン研究会は阪神・淡路大震災が発生した翌年の1996年、林氏ら防災研究者とデザイナーらで「ピクトグラム研究会」として発足。「誰にでも分かる防災情報コミュニケーションを目指し、防災に使用できる絵文字(ピクトグラム)を開発し標準化する」という趣旨のもと、津波・洪水関連の図記号やサインや、京都市ほか数々の自治体のハザードマップなどの作成に携わってきた。

2017年3月11日、石巻市旧大川小学校跡地にて撮影。石巻市では東日本大震災で3000人以上が津波に流され命を落とし、2017年3月13日現在で425名の行方が分かっていない

林氏と同研究会は、1611年に発生した慶長(三陸)地震の後に、当時仙台藩主だった伊達政宗が作ったとされる宿場町と街道に着目。林氏は「東日本大震災では街道より内陸側でも家屋流出などの被害が若干みられたものの、甚大な被害はほぼこの街道よりも海側で発生している。伊達氏は津波の記憶を後世に残すために、宿場町をつなぐ街道を現在の位置にした可能性が高い」と話す(図1参照)。

写真を拡大 図1 東日本大震災の被害の度合いと、伊達氏が作った街道を重ね合わせたもの。濃赤色部分が街道。被害が大きかったのは街道の南側であることが分かる。(資料提供:防災デザイン研究会)

同会の構想では、伊達氏が作った街道を地域活性化のための「賑わいのみち」に、東日本大震災で被害のあった範囲を囲む道を「記憶のみち」に、そしてその2本をつなぐ南北の道を「避難のみち」と設定し、「みちの視点」から津波に強い町のありかたを組み立てたい考えだ(図2参照)。

写真を拡大 図2 「避難のみち」、「記憶のみち」、「賑わいのみち」の設定図。(資料提供:防災デザイン研究会)

同時に、同研究会が作成したサインも発表。国際標準規格であるISOに準拠したカラーパターンを採用し、危険状況に応じたサインシステムを開発した。下図3では、まず左から津波災害警戒区域であることを記載した「津波注意標識」。次が平時から災害に備えるための定義、学習、啓発目的の「津波避難情報標識」。津波の避難場所までの距離を表す「津波避難場所誘導標識」、一番右が津波避難場所であることを表す「津波避難場所(ビル)標識」となる。図4では、時間軸に合わせて安全確保行動としての避難の考え方を整理している。

写真を拡大 図3 「避難のみち」サインシステム(資料提供:防災デザイン研究会)
写真を拡大  石巻に設置される津波避難サインシステムのサンプル(資料提供:防災デザイン研究会)
写真を拡大 図4 安全確保行動としての避難の考え方/時間軸の整理(資料提供:防災デザイン研究会)

林氏は「防災まちづくりの実現のためには、行政の「継続」の意識と住民の「わがこと」意識の両軸による進行が必要。3つの道のコンセプトを通じて、東日本大震災の教訓を後世に伝えていきたい」と話している。

(了)