講演録 藤田大輔氏 大阪教育大学学校危機メンタルサポートセンター長

池田小学校無差別殺傷事件後の取り組み

数多くの子どもの命をあずかる学校には、徹底した危機管理体制が求められる。2001年6月に起きた大阪教育大学附属池田小学校の無差別殺傷事件では、8人もの児童が死亡し、13人の児童と2人の教師が重傷を負った。事件から6年後に同校の学校長に就任し、以降4年間、被害児童の家族との交渉や事件後の危機管理体制の立て直しに取り組んだ大阪教育大学・学校危機メンタルサポートセンター長の藤田大輔氏は、「災害は99%は予防できる可能性がある」と説く。その危機管理の要諦は、学校運営にかかわらず、あらゆる組織にとって参考になる。公共ネットワーク機構と第二東京弁護士会の公法研究会が主催した講演内容から紹介する。

■事件はなぜ起きたか
平成13年6月8日、大阪教育大学附属池田小学校に1人の不審者が侵入し、1年生と2年生の8人の児童の命が奪われ、13人の児童と2人の教員が重傷を負わされるという我が国で前例のない殺傷事件が起きました。 

あまり知られていないことですが、学校と遺族の方々との賠償交渉は事件直後から始まり、2年後の平成15年(03年)に合意書を締結して賠償が確定しました。遺族の方々に合意書に署名していただくにあたって、附属池田小学校長、大阪教育大学長、そして文部科学大臣の3人が遺族の方々に謝罪をしました。 

小学校長が謝罪をしたのは、事件当日、通用門を閉めていなかったということに対してです。池田小学校事件の2年ほど前、京都で日野小学校事件が起きました。放課後、小学校の運動場で1年生の男の子が遊んでいて、外部から不審者が侵入、男の子を殺害して逃走、自殺したという事件です。この事件を受けて文科省は全国の学校に対して、門を閉じておくようにという通達文書を出しています。大阪教育大学は全部で11の附属校園(幼稚園を含む)を持っていますが、附属池田小学校では通達の内容は職員会議において説明され、全職員に対して注意喚起を促したということが議事録に残っていました。 

しかし、事件当日は、正門は閉じられていたのですが、正門の横にある自動車の通用門が閉められていませんでした。犯人はその通用門から侵入したのです。 なぜ通用門が開いていたかというと、たまたまその日の午後から算数の研究発表会が予定されていて、全国から数百人の参観者が来校するため、PTAの手伝いの方や教科書・参考書などの展示販売をする業者がトラックで荷物を運び込めるようにするためでした。池田小学校は職員会議をしていながら通用門を閉めていなかったということで、重大な管理上の瑕疵があったことになり、学校長が謝罪したのです。遺族の方々にしてみれば、池田小学校は加害者に近いという認識です。 

大学については、文部科学省からの通達文書を附属の11校園に配布した後、何の確認も取っていないことが遺族の方から指摘されました。文書を配布した以上、責任を持って、その状況が実践されているかどうかの確認を取るべきだったということです。 

文部科学大臣の謝罪は、文部科学行政においての過失とのことでした。実は、池田小学校の事件と日野小学校事件との間に和歌山県かつらぎ町の中学校で不審者侵入事件がありました。中学校へ侵入した不審者が刃物で女子学生の顔を切りつけるという傷害事件です。ただ、和歌山の事件に関しては命に別状がなかったということで通達文書が出されませんでした。池田小学校の遺族の方々のご指摘では、文部科学省が日野小学校事件と同様に和歌山の事件でも通達文書を出していたならば、池田小学校の対応が変わったかもしれない、それを出さなかったのは文部科学行政における重大な瑕疵ではないのかというものでした。

■PTSDは生涯補償


現在も賠償交渉が継続されています。そのほとんどがPTSD(心的外傷後ストレス障害)です。

PTSDに関しては一生涯補償するというように法律で決められています。補償対象には、事件で被害を受けた児童の保護者や兄弟も含まれています。

■安全な学校への復活
大阪教育大学・学校危機メンタルサポートセンターは、トラウマ回復分野と学校危機管理分野で構成されています。今年4月、スウェーデンのカロリンスカ研究所に設置されているWHO地域安全推進協働センターの承認を得て「日本International Safe School認証センター(WHO-CCCSP)」を設立しました。 

セーフスクールとは、根拠のある安全の取り組みが体系的に行われている学校を認証する制度です。池田小学校は私が学校長だった3年目に日本で初めてのセーフスクールとして認証されました。

■学校の安全対策
現在、学校の安全対策は、「生活安全」「交通安全」「災害安全」の3領域構造になっています。 

生活安全には防犯、下校時の安全も含まれます。それから子どもたちの学校でのケガの予防です。交通安全は従来からの道路横断が中心ですが、近年は加害者になる事例の対策も必要です。中学生、高校生が加害者となって死亡事故を発生させることもあります。災害安全は地震、火災の対応です。 

安全点検については、各施設において遅滞なく実施しなければならないことが学校保健安全法に規定されています。具体的には学校の施設や設備、通学路の安全点検が該当します。東日本大震災を受けて、学校の施設および設備の安全点検では天井材、照明器具、プロジェクターなど従来は含まれていなかった非構造部材の転倒・落下防止措置が対象になりました。そして「落ちてこない、倒れてこない場所」を子どもたちにしっかりと学習させることが必要になっています。 3.11によって、従来の地震訓練が全く役に立たないということが明確になりました。どういう状況で地震や災害が起こるかわかならいので、ワンパターンの訓練では効果が見込めないのです。 

学校保健安全法の29条には危機等発生時の対処要領の作成が規定されています。危機管理マニュアルを作れということです。災害安全に関しては地震、火災、台風のほか、洪水、大雪、停電も対象になります。児童の引き取りも関連してきます。3.11では子どもを帰してしまった学校は、親が帰宅困難な状態にあるのに帰したのかと問題視されました。 

一方、子どもを留めた学校は、教員が子どもたちの面倒を見なければなりませんでした。しかし、家庭に子どもを持っている教員もいて、これらのことを含めた対応は明確になっていませんでした。今後は具体的な対策を考慮したマニュアルが必要だということです。

■問われる安全配慮義務
学校事故は、学校側の故意・過失、安全配慮義務違反が問題となり、その賠償には国家賠償法が適用されます。教員の「不作為」と事故発生の因果関係の検定が行われるのが学校事故の特徴です。これは「逆の検定」といわれ、通常であれば因果関係を明確にするために「∼したから∼になった」ことを証明しますが、学校管理下の事故災害においては「もし、∼していたら、この事故は起きなかったのではないか」と妥当性があると認められれば、因果関係が成立したと見なされます。つまり、ほとんど原告有利の判決が下されるというのが学校管理下の事案の状況です。

学校は代理監督責任、指導義務違反、安全配慮義務違反などを問われることになります。ですから、教職員には「親権者」の監督責任の代理者であるという認識をもっと持ってほしいと伝えています。

■予見可能性と結果回避義務
過失への対応には「予見可能性」と「結果回避義務」が重要になるわけですが、教育現場に関わっている者から見ると、これらがずいぶん拡大的に解釈されているように思えます。例えば、大阪でグランドに落雷があった事故では、遠くで黒雲が発生して雷が鳴っていたが、早期に退避しなかったことから落雷で子どもの命が奪われました。 

この事件では予見可能性があっただろうとされ、実施者は責任を問われました。通常の事故であれば不法行為によって、原告が相手方の過失を証明しなければなりませんが、学校管理下においては無過失責任が前提ですから、教師が「想定していなかった」というのは基本的に認められません。そこまで子どもたちに目を向け、配慮しなければならないのです。安全確認が要求される職種であるという認識を持ってもらわなければいけません。

■今後の危機管理∼池田小学校事件の教訓
これからの学校安全を危機管理という観点から「三段階予防説」で考えますと、1次予防は「発生の予防」で安全点検や安全教育であり、事件・事故の発生を予知・予測して必要な対策を講じるリスクマネジメントです。2次予防の「進行の予防」と3次予防の「再発の予防」は、不測の事態の発生に対して組織などが被るダメージを最小限に抑えるというクライシスマネジメントです。 

池田小学校事件を振り返りますと、2次予防である早期介入ができなかったことが、遺族の方々を傷つけるようなことになってしまった。小学校側が遺族の方の心情を害した最大の要因は、救急搬送であったと思えます。 

犯人が侵入して子どもたちが傷ついた後、最初に救急車を呼んだのは怪我を負わされた子どもが助けを求めて逃げ込んだ、学校の向かい側にあるスーパーでした。その子は収容されて病院へ搬送されました。そしてスーパーの連絡から遅れて学校からの連絡が入ったわけです。 
池田市の救急隊は、池田小学校の傷ついた子どもをスーパーで収容したことで、その案件は終わったと思い込んでしまいました。結果、学校からの連絡が上手く伝わらず、正確な状況が理解されるまでに20分ほどの時間を要することになってしまったのです。 

事件で亡くなった子どもたち8人は失血死です。もし早急に救急車が要請されて、病院へ搬送されていたら助かったかもしれない。現場では、次々に到着した救急車が状況を見ては、緊急無線で応援を呼び、池田の救急車だけでは足りなかったので隣接の地区、さらに県を超えて何台もの救急車が来ることになりました。少数のけが人であれば搬送する救急車に職員が同乗して一緒に病院に行くのですが、それができませんでした。 当日、救急車等で医療機関へ運ばれた子どもは40人近くいました。池田小学校の教職員は全員で25人程度、そのうち犯人と格闘している教員が数人、犯人に刺されて重傷を負っている教員が2人、それから他の子どもたちを2階3階の教室で確保していた教員、運動場に逃げてきた子どもたちを集めて保護していた教員もいました。救急車は負傷した子どもたちをどんどん搬送していきました。 

しかし、どの子をどこの病院に連れていくのかを伝えているわけではなく、連絡を受けた保護者が学校に来ても、我が子がいないという状況になってしまいました。

うちの子はどこにいるのだと聞いても、学校は把握していない。この段階で信頼をなくします。最も遅くなった場合では対面が深夜になった保護者もいたと聞いております。 

しかし、やっと会えた我が子は亡くなっていたのです。病院へ搬送された時には意識があり、お母さんを呼んでいたとも報告されています。たとえ助からないとしても、息のある間に我が子の手を握ってやりたかった、その時間を奪ったのは学校だ、という心情にならざるを得ません。池田小学校の信頼はゼロどころかマイナスになったのです。 

■危機対応に求められること
 教職員に対して必要とされるのは、危機管理の4側面に対する対応能力です。

①危機の予知・予測⇒危機予測能力
②危機の防止・回避⇒危機回避能力③危機発生時の対処⇒危機対応能力
④危機対応の評価と再発防止⇒再発防止能力

池田小学校では事件後、年5回の不審者対応訓練を行っています。訓練は警察の指導を受けながら実施しており、いい訓練だという評価をもらっていますが、それを見た事件の遺族の方から、「教師が刺股を持って犯人と格闘するような訓練なんか期待しない、それよりも傷ついた子どもを搬送する訓練を重点的に行うことが大切なのではないのか」というご指摘をいただいたことがあります。命を救う訓練をやるべきだということです。附属池田小学校では、こうしたご指摘を受けながら、日々改善を進めています。 

「安全」の考え方ですが「安全は危険・危機の残余範疇」という言い方をします。つまり危険でないことが安全という考え方です。残余範疇を教えるのは大変難しい。危険ということは教えやすいですが、危険ということを強調して教えてしまうと、それは結局「犠牲者非難」(victim blaming)ということになってしまう。つまりは「脅し教育」です。危ないことを教えることは、危険を見つけなさいと伝えているのと同じで、見つけられなかったときは、見つけられなかった「あなたが悪い」ということになってしまうのです。事件に巻き込まれてしまった子は「あれほど変な人について行ったらいけないと言われていたのに、行ってしまった自分が悪い」と考え、自分自身を非難して、それを隠そうとしてしまう。隠すことによって、2次被害、3次被害が出る可能性も出てきます。脅し教育は教えやすい。しかし、国でもそうした教育のあり方を変えなければいけないという方向になってきています。何があれば安全なのか、どうすればいいのか、そうしたことを気付かせる教育が必要でしょう。

■ハインリッヒの法則
死亡を含む重大災害が1件発生する場合、その陰には29件の軽傷の災害が起きており、さらに300件の潜在的な事故、いわゆるヒヤリ・ハット(ニアミス)事故が発生しているという、の1:29:300の「ハインリッヒの法則」があります。六本木ヒルズの回転ドアに子供が挟まれて死亡した事故において、事故調査員会はハインリッヒの法則が当てはまるという報告をしました。あの事故のドアでは30件の軽傷災害が発生しており、「挟まれそうだった」「ぶつかりそうだった」といった、たくさんのヒヤッとした事例があったにも関わらず、それを無視した結果、死亡事故が発生していました。 

大切なことは、ヒヤリ・ハットがあったことを早く見つけて対策を立てることです。300件で1件の重大災害だとすれば、100件のヒヤリ・ハットで見つけて改善したならば、重大災害の発生確立は0.3になります。それと同じように、30件で改善できれば重大災害の確立は0.1になる。いかにして早くヒヤリ・ハットに気づくのかが、安全形成につながります。 

ハインリッヒは、災害はドミノ倒しだと言っています(ハインリッヒのドミノ理論)。事故が起こっても災害が起こらない関係をつくることができればいいわけです。途中のドミノを1個どければ「災害ドミノ」は倒れません。 関連して、日本でよく使われるのは「潜在危険論」です。リスクファクターと呼ばれるドミノは「行動」「心身状態」「環境」「服装」で構成されます。「行動」は走ってはいけないとところを走ったり、ぶら下がってはいけないところにぶら下がる、というような危険な行動、「心身状態」は体調が悪かったとか、他のことを考えていたなど、集中できない状態です。「環境」はPタイルがはがれていたり、廊下が水で濡れていた、ビニール袋が落ちていて滑りやすい状態だった、蛍光灯が切れていて薄暗かったというような要因。 

服装は、例えば小学校では上履きのかかとを踏んだまま歩いているような児童がいるわけですが、当然、スリッパ・サンダル状態では緊急時に走ろうと思っても足がもつれて転んでしまう。ズボンに装飾的についている輪っこや、首からぶら下げている防犯ブザーや鍵が遊具にひっかかって首が締まり死亡事故が発生したりするわけですから、服装も適切に対応する必要があります。このことは教職員にも厳しく言っています。例えば、学校では絶対にサンダル・スリッパ履きになるなということ。地震などが起きたとき、ガラスの破片や非構造部材などが散らかった、もしくはキャビネットが倒れてそれにぶつかって子どもがけがをしたようなとき、足元がしっかりしていなければ助けられるはずがありません。まして自分の命すら守れない。危機管理は足元からということです。

■「神の領域」以外は予防できる
厚生労働省のデータですが、日本のすべての災害の原因を「環境」と「行動」に分類すると、それらを合わせた災害原因は99%を占めます。残り1%をハインリッヒは「神の領域」と表現しました。偶然性が否定できないということです。逆に考えた時、99%の災害は環境と行動によって発生するわけですから、環境の改善と行動の改善、つまり安全点検と安全教育によって、災害の予防は99%可能であるということです。