4月8日、福岡大学で開催された地区防災計画学会で発表する京都大学防災研究所巨大災害研究センター教授・センター長 矢守克也氏

私の母は熊本市東区で一人暮らしをしており、昨年の熊本地震で被災しました。私は昨年4月16日の、いわゆる本震の24時間後の深夜に熊本入りし、次の日に関西にある私の自宅に避難させました。地震直後から24時間あまりのうちに発生したことについては、実は目新しいことが分かったわけではありません。家具の固定や足の悪い母を9階から地上に避難させることなど、以前から「やっておいたほうが良い、考えておいたほうが良い」と言われ続けてきたことがいかに大事であるかを、当事者になってみて改めて痛感しました。

熊本地震で被災された矢守氏のご実家(画像提供:矢守克也氏)

想定内の中の想定外

母が当時しきりに言っていたことは「熊本には台風や火山噴火が発生しても、地震が起こるとは思っていなかった」ということでした。この言葉はほかにもさまざまなところで耳にしましたので、このことについて考えてみたいと思います。ここに、「熊本県地域防災計画(平成27年度修正)」があります。これは熊本地震発生前のものです。

■熊本県地域防災計画(平成27年度修正)
http://cyber.pref.kumamoto.jp/bousai/Content/asp/topics/topics_detail.asp?PageID=6&PageType=past&id=1101

このなかに地震に関する被害想定が掲載されていますが、それによれば最悪の地震規模は「布田川・日奈久断層帯中部・南西部連動型」の地震で「M7.9」(実際の熊本地震では、本震がM7.3)が予想されています。活動場所は少し異なりますが、まさに今回の地震を引き起こしたと考えられている断層帯です。

また、文部科学省が、同じく熊本地震発生前のわずか3か月前、2016年1月に公表していた「今までに公表した活断層及び海溝型地震の長期評価結果一覧」では、日奈久断層帯(八代区間)でM7.3程度の地震が今後30年間に発生する確率は「ほぼ0%~16%」。この結果一覧では約200の活断層がリストアップされていますが、確率の最大値だけでランク付けすると、全体の3位にあたります。同断層帯の日奈久区間は「ほぼ0%~6%」とされ、最も危険とされるグループである「我が国の主な活断層の中では高いグループに属する」にランクされています。ちなみに、今回の調査を阪神・淡路大震災前に行ったと仮定すると、発生確率は8%だったといいます。南海トラフ地震はけた違いだということが分かります。

次に、同じく熊本県地域防災計画に記載されていた主要な項目について、実際の熊本地震の被害データと比べてみましょう。

・最大想定震度7→震度7
・想定死者数960人→225人(関連死など含む。4月12日現在)
・想定負傷者数27400人→2620人
・想定避難者数15万6000人→4月17日朝は18万人超。しかし翌日は10万人程度に
・想定全壊建物数2万8000棟→8360棟
・想定半壊建物8万2300棟→32261棟


(被害数字は「内閣災害対策本部:平成28年(2016年)熊本県熊本地方を震源とする地震に係る被害状況等について」による)


となります。要するに、大筋で「想定内」で収まっていたのです。そして大切なのは「想定内」であったにもかかわらず、対応が決して十分ではなかったことで、これは「想定外」の事態が起きてそうなってしまうよりも、根が深い問題なのかもしれません。なぜなら、地震の発生を予想し、被害を想定しながら地域防災計画を立てていたにもかかわらず、その対策を「本気」で講じていなかったことが示唆されているからです。

東日本大震災以降、「想定外」が問題視され「最悪の事態を描写する」ことが重要とされてきましたが、そのような大きな数字を机上で計算し、頭の中で思い浮かべるだけで満足する傾向にあるのではないでしょうか。

避難カルテを「防潮堤」の代わりに

最後に、「防災に「も」強い町」として頑張っている高知県黒潮町の取り組みをご紹介したいと思います。まず私が好きな言葉を2つご紹介します。

「私たちの町には美術館はありません。美しい砂浜が美術館です」
「私たちの町には防潮堤は(十分には)ありません。缶詰が、避難カルテが、防潮堤なのです」

高知県黒潮町の砂浜美術館ホームページスクリーンショット ( http://www.sunabi.com/ )

黒潮町は東日本大震災後の2012年3月31日に内閣府が公表した「南海トラフの巨大地震による震度分布・津波高について(第1次報告)」のなかで、全国で最も高い「最大津波高34.4m」の想定をつきつけられました。全国のニュースに取り上げられ、週刊誌には「町が消える」とまで書かれました。そのような絶望的な状況の中で黒潮町長の大西勝也氏をはじめ役場の人たちは防災の原点に立ち返り、ハードではなくソフトで対策を講じます。黒潮町は震災前から「私たちの町には美術館はありません。美しい砂浜が美術館です」として砂浜を美術館に見立ててTシャツアート展を開催するなど、ユニークな取り組みを展開していました。同じような発想で、現在は町内全戸で「津波カルテ」を作成し、来るべき災害に備えています。

また、同町では最大津波高34mを逆手に取り、「34ブランド」の缶詰(We Can Project)工場を町内に作って雇用を確保するなど、現在では防災だけでなく地域の活性化も、地区防災計画づくりと並行して展開しています。

「私たちの町には防潮堤は(十分には)ありません。缶詰が、避難カルテが、防潮堤なのです」

という言葉は、このような素晴らしい町の取り組みから生まれたものなのです。

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■「対策」ではなく「思想」を創る 住民と900回のコミュニケーション (高知県黒潮町)(出典:C+BOUSAI Vol.1)
http://www.risktaisaku.com/articles/-/1834

(了)