「助けたかった人がいた。助けられなかった人がいた。いや、助けにいくことさえできなかった。何時間、何十時間も。ヘリをください!何度そう叫んだろうか。通じない電話を何度かけただろうか。どこで、何人の人が助けを待っているのか、まったく分からなかった。助けられた人もいれば、助けられなかった人もいた。すべての人を救うことは不可能だった…」

2012年2月に発行された、東日本大震災における岩手県災害対策本部の闘いを描いた「ナインデイズ」(幻冬舎、河原れん著)の一節だ。モデルになったのは、医療班で指揮を執った岩手県医科大学付属病院(編集部注:現・防衛医科大学(2016/05/02))の秋冨慎司氏。2005年のJR福知山線脱線事故での医療活動にあたり、以来、災害医療のプロフェッショナルとして数々の災害対応の現場を経験してきた。日本の災害対応に共通した課題は何か。その克服への道は。現場から見た危機管理の要諦を秋冨氏に聞いた。

(編集部注)この記事は、「リスク対策.com」2013年9月25日号(Vol.39)に掲載したものをWeb記事として再掲したものです。(2016/05/02)

元岩手県医科大学付属病院(現・防衛医科大学) 秋冨慎司氏

Q1.東日本大震災の当日の様子を教えていただけますか? 
外勤先の病院で整形外科の外来に当たっていたら、突然ミシミシ言い出して、揺れは次第に大きくなり、なかなか止まりませんでした。揺れがおさまるのを待って、院内の患者を外へ誘導し、その後、建物の安全をチェックして患者を建物内に戻してから、県庁の災害対策本部へ向かいました。 

県庁に到着すると、テレビ画面で宮古市の防潮堤を津波が乗り越えて街を飲み込んでいく映像が映し出されていました。すぐに沿岸部の病院に電話をかけましたが、まったくつながらない、内閣危機管理センターやDMAT(災害派遣医療チーム)の事務局にも何度電話してもつながりませんでした。 

あの日は天候が悪く、自衛隊のヘリも消防のヘリも沿岸部まで捜索に行けず、唯一、捜索に出られた警察のヘリが撮影してきた山田町の状況を見て声を失いました。街が消え、海と山から火が迫っていました。助けに行きたいけど行きようがない、行ける人も手段もない。でも、助けを待っている人がたくさんいる…。

Q2.そのような中で、医療班の指揮を執られたのですね。 
夜飛べるヘリコプターは、航空自衛隊と海上保安庁、海上自衛隊しか持っていません。消防や陸上自衛隊のヘリは夜飛ぶことができないのです。ようやく電話がつながった内閣府に夜飛ぶことができるヘリや救助隊、医療チームの派遣を要請したところ、地震被害を予測するDISと呼ばれるスーパーコンピューターが、岩手県の犠牲者は100人未満と算出していたことから、不要だろうと思われ、台1も手配してもらうことができませんでした。後に知ったことですが、DISで算出された数字には、丁寧にも揺れだけを計測した推定値と書かれていたということです。 

「情報を制するものは災害を制する」と言われていますが、発災当初は8割以上の情報が誤報です。けれども、その中に本当に対応しなくてはいけないものが隠されています。そして、情報がないことが重要な情報だったりもするのです。日本では、正しい情報が常に入ってくることを前提に災害対応を考えますが、実は「情報マネジメント」の必要性を理解していない。情報の質、信頼度を精査していないのです。 

Q3.情報のマネジメントとは、具体的にどのようなことですか。 
災害対応では、活動の目的を決めたとき、それを行うために、どのような情報が必要になるのか、情報を収集する前に具体的な項目を決めておき、それに基づき、情報を収集します。しかし、多くは誤報だったり、同じ内容が別々のところから入ってきたりする。そこで重要になるのが情報の集約化と分析です。僕はこれを情報のトリアージと呼んでいますが、信頼度が低くても人命にかかわるような重要なことに対しては対応度をあげないといけない。逆に、信頼度が高くても優先度が低ければ後回しにしなくてはいけない。国だったら、DISの情報に従うのではなく、最も状況を把握している現地からの声を優先的に聞き入れるべきだったと思うのです。

Q4.秋冨先生は、2005年のJR福知山線の脱線事故でも災害救助活動にあたられていますが、当時と比べ、災害対応の精度をどう評価されていますか? 
少なくとも、岩手県に関しては、情報のマネジメントを含め、災害対応力は格段に高まったと自負しています。福知山線の脱線事故の当時、僕は滋賀県の病院で救命医として勤務していたのですが、兵庫県で大事故が起きたという速報を聞き、線路脇のマンションに突っ込んだ映像を見て、いても立ってもいられず、当時の上司だった長谷先生と一緒に現地へ駆けつけました。 

この災害で感じた教訓はいくつもあります。僕自身、自らの危険を顧みず倒壊しそうな車両の中で医療行為にあたりながらも3人の命しか救うことができませんでした。そのことを後悔し、DMAT(災害派遣医療チーム)の資格を取り、その後、アメリカに渡って、特別救助隊の教育も受けました。別に、自分が救助隊になりたかったわけではないのですが、海外の特別救助隊は、サーチ・アンド・レスキュー(Search&Rescue)と言われており、捜索をして救助を行う技術を身に付けています。日本の特別救助隊に関しては、捜索する技術がほとんどありません。こうした技術や現場の安全管理システム、ショアリングといった安定化の技術も勉強したいと思っていました。福知山の脱線事故の時、助けることができた傷病者の一人から「実は、最初は10人以上声がしていたのですが、誰も僕たちを見つけてくれませんでした」という言葉を聞いて唖然としました。もっと多くの人を助けるためには、医療の限界、救助の限界を知ることが重要と思い始めていました。アメリカに渡ってから学んだことの一つは、捜索の効率化の重要性と、想定外の事態でも戦えるインシデント・コマンド・システム(Incident Command System:国として標準化された危機対応システムで、現場指揮システムとも訳される)でした。 

当時感じた日本の災害対応の問題点の一つがハザードの分析です。今でも消防や医療関係者に対して、福知山線の事故の写真を見せて、この状況で、ハザードはどこにあるかという問題をよく出すことがありますが、多くの人はすぐには答えることができません。 

まず、事故車両が倒壊する可能性があります。そして事故に伴って垂れ下がった高圧電線。オイル漏れも危険です。対抗列車も止めなくてはいけない。さらに、むらがる野次馬やマスコミ。こうしたハザード分析ができていないと安全な救助活動を行うことはできません。そもそも事故を起こした電車が7車両と報道されていたのに、空撮の映像では6車両しか写し出されていないことに誰も疑問を抱かなかった。残る1車両がマンションの1階にすっぽり入ってしまっていることを見落としていたのです。