電柱に貼られた「想定浸水深」。2mを超えるところも(提供:高崎氏)

浮き彫りになった行政の失態

話を昨年に戻そう。昨年6月、常総市の初動対応について検証して来た水害対策検討委員会(委員長:川島宏一・筑波大学教授)は、災害対策本部が十分機能せず、関連機関との連携にも問題があったなどとする77項目の改善要望を盛り込んだ報告書をまとめ市長に提出した。報告書は大規模水害時の市の失態を余すところなく指摘している。

1.庁舎3階の災害対策本部が、参謀的な役割を果たす庁舎2階の安全安心課と離れていた点を問題視し、情報共有に支障が出たほか、狭い庁議室での本部運営は効率的ではなかったと指摘した。当時、同課職員10人は、殺到する市民からの電話対応に追われ、情報集約や状況分析が困難だった。消防団など外部との連絡調整もままならなかった。すべて「場当たり的」と断じた。このため、災害時の電話対応は他部署で代行してもらうよう提案し、同課が災害対策本部の事務局として、機能が十分に発揮できる環境の整備を求めた。
2.災害対策本部の在り方については、本部のメンバーに役割分担がなかったため「入ってきた情報にその都度全員が集中してしまい、全体を俯瞰する人がいなかった」(検証委員)と指摘した。当初、消防や警察、自衛隊などから連絡要員が加わっていなかったことも踏まえ、「独自の情報収集手段は貧弱すぎた」と反省を促した。
3.対策本部で市内の大判地図や浸水地域を想定したハザードマップを活用していなかったことも判明した(ハザードマップの想定と実際の浸水域は一致した)。情報の分析が行われず、避難指示を出す範囲が広域的なエリアではなく、細かな字単位で出される事態になったとしている。ハザードマップそのものを知らなかった市民も少なくないという。
4.堤防が決壊した上三坂地区への避難指示が抜け落ちていたことが大問題となった。同地区について、付近が決壊した場合の浸水域を想定した地図(氾濫シミュレーション)を国交省がホームページ上で公表していたにもかかわらず、市が事前に把握しておらず決壊前の対応に生かせなかった。検証委員会は「物理的環境や意思決定プロセスの手抜かりなど、それまでの課題が積み重なった結果、重大なエラーとして発生してしまった。これらの課題が解決していれば、問題は起こらなかったはずだ」と指摘した。
5.各地区の避難指示の発令が遅れた原因については「発令の前提として、避難所を開設し、受け入れ準備を整えるという手順に固執したから」と手順に問題があったと結論付けた。川島委員長は「常総市には今回の提言を、地域防災計画の見直しや防災マニュアルの作成に生かして欲しい」と提言の積極活用を求めた。

広域避難の徹底を

常総市では、つくば市など近隣自治体と水害に備えた協議はしたことがなかった。これが、例の「ありえない」と耳を疑う声も出た避難誘導の失態につながる。「鬼怒川西側に避難してください」。堤防決壊直後、鬼怒川の東側地域に、市の防災無線が呼びかけると、戸惑う市民が出た。増水中の鬼怒川に向かい、橋を渡ることになるからだ。「極めて危険」と判断して指示に従わなかった人もいた。反対側の東側にはつくば市が広がる。「市内で避難を完結しようとした」と市の幹部は語り、「事前に他の自治体と災害協定を結んでおくべきだった」と反省の弁を述べた。水害時、常総市では全避難者の4分の1以上に当たる約1700人が自主的に市外に避難している。

昨年5月、常総市など流域10市町と茨城県、国交省でつくる「減災対策協議会」は、流域全体の減災対策方針を決めた。住民の逃げ遅れをなくすため、今後5年間で実施する避難対策とその実施時期を明示した。国交省によると、複数の市町村が連携し、河川の氾濫対策に一体となって取り組むのは全国でも初めてという。流域10市町が住民に避難勧告・指示を出すタイミングを判断する「タイムライン(事前防災行動計画)」を策定する。これに基づき、訓練や防災教育にも取り組む。

国交省は常総市でスマートフォンや携帯電話に洪水情報をメールで一斉配信する情報提供を始めている。今後、対象の河川や地域を増やし、5年以内に国が管理する109水系まで拡大する方針である。

常総市水害を受けて、国が管理する河川流域の市町村や都道府県などが連携し、大規模な氾濫に備える動きが出てきた。全国で120を超す協議会が設立された。最大規模の降雨を対象とした浸水想定区域が順次公表されており、広域避難の仕組みづくりも始まった。常総市の検証委員会で委員を務めた筑波大学の白川直樹准教授は「日常でつながりのある地域には、違う自治体でも住民は比較的スムーズに避難した。地域の歴史を踏まえて広域避難を考える必要がある」と語る。

荒川下流域の東京都江戸川、墨田、江東、足立、葛飾の5区では、100万人以上の住民を遠方に広域避難させる方針を打ち出している。全国で市町村を越えた広域避難の枠組み作りの模索が始まっている。

5000人以上の犠牲者を出した1959年の伊勢湾台風の2年後にできた災害対策基本法は、住民の生命を守る直接の責務を地元市町村に負わせている。堤防などが整っていない当時、市町村が避難や水防活動などで住民の命を守ることが何よりも求められたからだ。これは「地元は地元で守る」との意識を過剰にし、自治体同士の連携の発想を妨げてきた。各地で始まった広域避難に向けての自治体連携は、戦後日本の防災意識を大きく転換するものと注目される。

最後に明るい話題をひとつ。鬼怒川と小貝川沿いにサイクリングロードの整備を計画している常総市と下妻市に対して、国交省は「かわまちづくり支援制度」の登録に伴う登録証を伝達した。整備計画を支援するのである。鬼怒川では堤防改修工事が最終段階に入っており、工事終了後に河川敷内の工事用道路をサイクリングロードに改良する方針だ。鬼怒川・小貝川べりで川風に吹かれながらサイクリングを楽しむ市民の姿が見られる日もそう遠くないだろう。
(参考文献:国土交通省下館河川事務所資料、常総市役所資料、朝日新聞・毎日新聞・茨城新聞の関連記事)

(つづく)