株式会社重松製作所 主任研究員 濵田昌彦(元陸上自衛隊化学学校副校長)

昆虫の支配


どうやらこの地球を支配しているのは人間かと思っていたら、どうやらそうでもないらしい。昆虫の方がずっと数が多いというではないか。その中でも、ホソクビゴミムシはユニークである。その体内には、漂白剤などに利用される過酸化水素と、写真の現像で還元剤などに利用されているヒドロキノンが別々に蓄えられている。何かあれば、たちまち尻にある回転自在の銃身からこの2つを混合して、酵素を作用させつつ、刺激性のベンゾキノンにして放射する。100℃にもなるというこの液体で人間をも撃退する。見事なシステムである。

バイナリー兵器


このような機構を、人間も考えたことがあった。米国では、かつてサリン砲弾の漏れや化学兵器貯蔵施設の周辺住民の苦情に手を焼いて、サリンの元となる2つの中間体を別々に保管することを考えたのである。これが、バイナリー兵器と呼ばれるものである。

攻撃前には、砲弾やミサイルの中に、2つの中間体(サリンならジフロライドとイソプロピルアルコール)が別々に入っている。発射の際に、真ん中の仕切りが破れて、両者が混合され反応する。目標に当たるころには、程よくサリンができているという算段だった。 

ところが、これはゴミムシほどうまくはいかなかった。そんなにうまく反応が進むわけがない。また、サリンをまき散らすための炸薬量を誤ると、サリンが火の玉となって燃えてしまう。結局、軍縮の機運と相まって、そんなこんなで米国は早い時期にこのバイナリーをあきらめた。

シリアとバイナリー


ヴィル・ミルザヤノフというロシア人がいる。正確に言えばタタール人である。旧ソ連時代に、ゴスニオクトという化学兵器研究施設で勤務していた。ゴルバチョフの時代に、改革開放路線と軍縮の陰で、せっせと新型化学剤の開発に精を出す政府のやり方に怒り心頭、極秘にされていた「ノウィショック」(ロシア語で新参者の意)と呼ばれる化学剤の存在を内部告発してした人物である。

昨年、そのミルザヤノフが、シリア国内の「環境保護センター」で実施されていたバイナリー型サリン開発についても暴露している。彼は、ロシアのシリアに対する装置や技術支援をその目で見ているのである。そのバイナリー兵器は、米国のものよりもはるかに性能がよかったという。 

今日、シリアの化学兵器問題が世界を揺るがしている。そんな中で、1960年代の第3次中東戦争の頃から、化学兵器の分野でロシアは常にシリアの師匠であった。しかし、この事実は見逃されがちである。

ダマスカス
8月21日の大規模なサリン攻撃においては、さすがに通常型のロケットが使われているようで、このバイナリーではないようである。あえて「政府軍の攻撃」と書かなかったのは、未だに日本国内では、「ひょっとしたら、あれは反政府側の攻撃かも…」という疑念をまだ持っている知識人がいるからである。日本のメディアの中立性はすごいなと思う。 

だが、投射手段として、140㎜多連装ロケットや330㎜地対地ロケットを使いこなせる能力が、反政府勢力にあるとは思えない。また、国連報告書や人権団体レポート等の記述も含めて、政府軍側の基地、あるいは支配地域からロケットが発射されたことも明白である。何よりも、深夜2時半から撃ち始めて、明け方の逆転時に目標地域の広範囲を覆うという手法はプロの仕事である。サリンの気体比重は空気の5倍近いが、それでも日差しがあれば急速に拡散する。シリア政府軍の化学将校は、旧ソ連のモスクワ化学戦大学で学んでいた。その伝統は、しっかりと受け継がれていたとみるべきだろう。

不思議
それにしても、ホソクビゴミムシはどうやって、過酸化水素とヒドロキノンを体内で造りだしているのだろうか?不思議である。ましてや、そんなシステムをいつどの個体が考え出したのだろうか?同様に、シリアがどこから中間体(前駆物質)を得ていたのかも不思議である。 

米国のヘーゲル国防長官は、議会でそこを追求されて、思わず「ロシアや、その他の国から一部は自国でも製造している」思わず本音をと、喋ってしまい、報道官が火消しに躍起になっていたことは、記憶に新しい。しかも、現在形と現在進行形で表現していた。

Pressed to name the origin of those chemical weapons, Hagel added:The Russians supply them, others are supplying them with those chemical weapons, and they make some themselves. 

その辺を、これから国連やOPCWが明らかにしてくれるだろうか?微妙である。