アイオン台風の一ノ関駅の惨状(1948年9月、提供:国土交通省岩手河川国道事務所)

東北一の大河・北上川と白髭水伝説

終戦直後、日本列島を襲う台風は米軍方式に準じてアルファベット順に英語女性名が冠せられた。今年は超大型のカスリーン台風襲来から70年である。翌年にはアイオン台風が東日本に上陸し水害をもたらした。相次ぐ台風の襲来により北上川流域(中でも一関市)は壊滅的な被害を受けた。この大水害から50年にあたる年、私は北上川の大水害とその惨状を「沈深、牛の如し」(ダイヤモンド社)として上梓(じょうし)した。被災地を訪ね回った際、北上川流域に「白髭(しらひげ)水」と呼ばれる伝説があることを古老から知らされた。

古来日本人は、村々を襲い、家々を流し去る洪水や土石流を、怪異現象として物語り、記憶して来た。こうした災害伝説は、悲惨な被災事実を後の世まで継承していくために、民衆が編み出した英知の一つと言える。東北地方を中心に「白髭水」、「白髪(しらが)水」と呼ばれる伝説が分布する。「秋田の雄物川でも、津軽の岩木川でも、岩手の北上川でも、またその他の小さな河川でも、昔の一番大きかった洪水を、たいてい白髭水、または白髪水と名付けて記憶している」。民俗学者柳田国男は『山の生活』でこう指摘する。

大洪水に先立ち、白髭や白髪の老人が現れ水害を予告した。「洪水が来る。早く逃げろ」。洪水や大津波の波頭に白髪、白髭の翁(おきな)が乗って避難を訴えたという伝承である。その様子は「白い毛を長く垂れた神様が大水の出鼻に水の上を下って来る姿を見た」「山から岩を蹴りながら水路を開いた」などと伝えられている。普段は穏やかな川面が急変し、白い波濤を立てて河岸を襲う恐怖のシーンを描いているのであろう。

「白髭水」伝承が特に多く残る北上川流域で、最初に文献に現れるのは宝治元年(1247)のことである。「北上川を白髭の翁、屋の上に立て流しを、その時の人は、これは変化(へんげ)のものにて、この洪水はかれがしわざやあらんといいしより、白髭水と名付けしとや」(「吾妻鑑」より)。それから500年近く後、享保9年(1724)8月14日の洪水では、長雨が大雨となり、北上川の全流域に洪水を起こして、「此(こ)の水、盛と出る時白髭の老人水上に見えたり」(古文書)と伝えられている。現代の「白髭の翁」はどこに現れるのだろうか。
(参考文献:「天災と日本人」著・畑中章宏、筑波大学附属図書館資料、同大学システム情報工学研究科白川直樹研究室・論文)

(つづく)