消防士は参事ストレスにどのように向かい合えば良いのでしょうか (出典:Youtube)

先日、私の消防の後輩が十数年前に自死していたことを知った。とてもまじめで誰もが認める消防士のレジェンド的存在だった。今回は追悼の意を込めて、消防士の惨事ストレスについて書かせていただく。


I wish my head could forget what my eyes have seen.(出典:Youtube)

消防現場によっては、目を背けたくても背けられないような、要救助者の様態に直面しながら、救急救助活動を行わなければならない。

家族が周りにいて「早く助けてください」と、明らかにバイタルサインのない子供さんの救助をせがまれるときもある。

もう、現場を離れて30年近くになるが、今でも当時の現場の様子や、救助する間に数々の現場で、左手に抱いていた要救助者の血の臭いや頭皮の臭い、体温、周囲の音、同僚隊員の声、要救助者の最後の言葉を今、目の前で起こっているかのように思い出す。

たまに、ふとしたときに左腕が重くなって、そのときの誰かが記憶の中で現れて、私に何かを告げようとする。霊とか、そういうものではなく、もっと現実的な魂の叫びのような、メッセージ性のあるものが伝わってくる。

私は簡単にPTSDなどと学術的に判断したくない。そう判断してしまっては、自分の腕の中で亡くなっていった人たちに対して失礼だと思う。

すべての人生に無駄などはない。どんな人生にも生き様があり、成長の過程で、それぞれに何かに向かって進んでいたと思う。

その人達だって、自分が数分前には普通の人生の過程にいた。しかし突然、数分後に何かの原因で生死をさまようことになったことは、不本意であることは間違いない。

惨事ストレスという言葉がある。消防現場に携わる人であれば、皆さん多少なりとも経験したことがあるストレスだと思う。そもそも消防の要請先は、人の生死に直面する現場が多い。

たしかに悲惨な現場に遭遇したときの急性ストレスの心痛は一気に体の中を駆け巡り、場合によっては、要救助者の挟まれている部位が自分の体に反映し、救出後もその痛みが残ることもある。

今まで34カ国の消防士達と災害現場に出動したり、非番日には朝まで地酒で盛り上がったりして、同じ生命の周期に消防の使命を果たし続けていることにお互いが誇りを感じ、励まし合ってきた。

きっと、それ以外の消防士達も同じく、さまざまな消防現場で生命の妙と生きていることの刹那を感じた経験ほど、突然、何の脈絡もなく無意識にその現場が蘇り、現実的に巻き戻る体験を持っていると思う。

今、当時を振り返って、自分の心から涌き上がるように感じることは、その人達の死の体験を無駄にしてはいけないということ。

私たちのように現場を十分に体験している消防関係者は、その方々の死に至った経験をお借りして、訓練に生かし、そして次の現場で培った訓練成果を十分に発揮して、人命救助として還す使命があると思う。

たぶん、私自身が日本とニューヨークで複合的、かつ複雑な惨事ストレスを持っているのかもしれないが、今、心から強く思うことは、この複合惨事ストレスを生かし、生きている限り、具体的に還し続けることだ。

簡単なことではないと思うが、もし今、惨事ストレス的な心痛を感じている方がいるならば、できることなら、そのストレスをこれから多くの人命を救助するために与えられた貴重な体験として捉えてほしい。

どうやったら同じような事故が再発しないか?事故予防を社会に投げかけたり、早くて安全な救助法や救急処置を具体的に提案したりして、ストレスを活かし、所属組織や地域社会に還元してほしい。

きっと、左腕で亡くなっていった人達の血だらけの顔がきれいになり、スッキリとして、目的を果たしたかのように2度と現れないようになるかもしれない。

惨事ストレスは、こう言う状態だからこすればいい、こう思えばいいというような理屈では改善できないと思う。

繰り返すが、自分が体験した現場でのストレスは将来に生かすために与えられたミッションだと受け止めて、次に生かしてほしい。

決して自死してはいけない。それでは、与えられたミッションが無駄に終わってしまう。

消防の仕事は、日々、助かる命を助け続けるミッションを持つ聖職だと思う。どうか、自死を選ばず、そのエネルギーでもっと、多くの人命を救助し続けてほしい。

消防士を続けていると、きっといつか、丸く温かな光を心に感じ、喜びの涙で止まらない日が来ると思う。その日のために何があっても一歩一歩、前進してほしいと願う。

Fire sprit will never die.


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