東北初の巨大洪水調節システム、一関遊水地

一関遊水地の整備効果は下記の通りである。

 

一関遊水地はカスリン台風及びアイオン台風の大洪水による水害を契機に計画された。が、着工までの道のりは遠かった。地元農家の理解が得られなかったからである。ようやく昭和47年(1972)に事業が着手された。(「遊水地」とは、洪水時に一時的に濁流をためて下流に流れる水の量を減らすための洪水調節地である。普段は水田などに利用されていて、洪水時だけ水がたまるしくみになっている)。「北上川水系河川整備基本方針(2006年11月)」では、計画規模を150年に1度の大水害対応とし、狐禅寺地点(狭窄部)の基本高水流量 13600 m3/sに対して、上流ダム群と一関遊水地により5100 m3/s(うち、一関遊水地では約2300 m3/s)を調節し、計画高水流量8500 m3/sに低減する計画である。同遊水地は、地形的な特徴を踏まえ、遊水機能を最大限活かすことで、北上川の洪水ピーク流量を低減し下流部の氾濫を防止するとともに、狭窄部の拡幅や下流部の築堤等の改修負担を軽減する、水系全体の治水バランスを図った東北初の洪水調節施設である。

一関遊水地には、(1)洪水調節(2)一関市街地への水害防止(3)中小洪水の遊水地内への氾濫防止の3つの目的がある。一関遊水地は周囲堤と小堤からなる「二線堤方式」を採用しており、中小洪水では小堤が遊水地内への氾濫を防止し、大洪水時には周囲堤が市街地への氾濫を防止する。

1450haの広大な一関遊水地は、造成中の平成14年(2002)7月の大洪水で早くも効果を発揮した。一関市への被害はゼロであった。もし遊水地がなかったら、湛水面積は550haに及んだという。浸水被害家屋は620戸にも上ったと推測される。同遊水地は約半世紀の工事を経て数年後には完成になるという。
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かつては全国的に見ても地域整備の遅れた岩手県であったが、内陸部の北上川沿川地域では、高速交通網(新幹線、高速道路)の整備や土地利用(都市計画)の高度化が進み、農業の振興・製造業を中心とした産業集積も進んだ。県都盛岡市は北東北の中核都市として発展している。

5つの多目的ダムと一関遊水地のビッグプロジェクトを根幹とする北上川流域の総合開発が、大水害などの自然災害を乗り越えて、今日の復興と地域振興を支え、岩手県の発展に大きく貢献してきたのは確実である、と言える。

参考文献:国土交通省東北地方整備局河川部資料、一関市立図書館文献、拙書「沈深、牛の如し」、同「修羅の涙は土に降る」(カスリン・アイオン台風による一関市の惨劇と復興に立ちあがった人たちを描いたノンフィクション)。

※本稿は国土交通省東北地方整備局と同局河川部河川情報管理官佐藤伸吾氏の論文やご教示に負うところが多い。佐藤氏に改めて謝意を表する次第である。関連資料の使用をお許しくださった同局河川部などにも感謝したい。

(つづく)