不祥事、事故発覚時における対応と心構えと手順
講師:つくだ社会科学研究所代表 八星篤氏

危機管理に広報は欠かせない。企業に不祥事が発生した場合、広報の報道対応によっては企業の存続そのものが危ぶまれることもある。企業広報は、ふだんからどのように危機に備えなければいけないのか。講師は元第一勧業銀行で広報部長を務め、さまざまな難題にあたった八星篤氏。

私が当時の第一勧業銀行で広報部長をしていたのは1996年6月から97年7月の1年1カ月間だけです。その短い期間に総会屋に対する巨額融資事件が公けになり、頭取経験者を含む多数の役職者が逮捕・起訴されるなど、さまざまな事が発生し、緊急の記者会見を5回も行いました。2002年に銀行を退職した後、メーカーなどの社外役員を10年ほど務めました。今になって、ようやく冷静に広報というものを考えることができるようになったと思います。

私が広報部長を務めていた当時、第一勧銀の広報部には複数の業務がありました。マスコミ対応を中心とした社外広報、社内報や社内ビデオによる社内広報、新聞・テレビなどでの広告や、窓口頒布品の選択などの広告宣伝、決算発表などのIR業務などです。担当範囲が広かったことは、マスコミ関係者と十分な時間がとれず、部下のネットワークに頼らざるを得なかったというデメリットがあった一方で、一部に偏らない幅広い情報網を確保できたなどのメリットがありました。

広報モードの切り替え
広報は通常は前向きな広報が主要業務です。しかし、事件・事故の場合には緊急リスク対応モードに切り替えることが必要です。「言うは易く、行うは難し」ですが。 

私が就任した当初は前向きモードでした。第一勧銀は創立25周年を迎え、積極的な広報や宣伝に注力していました。ところが10月頃、ある証券会社で総会屋への利益供与事件が発覚したことから、当行でも社内調査をしたところ、当行がこの総会屋に数十億円の融資をしていることが分かりました。これ以降広報部はリスク対応モードになりました。12月以降、当行の関与がマスコミにもポツポツと報道され始めましたが、断片的でした。このような状況が3月末まで続きました。私自身は相当の事実を把握している。危機的な状況がくることは予感していたけれども、どう行動したら良いのか全くわからない。精神的に最も辛かったのがこの時期でした。 

4月初めに読売新聞の一面に大きく第一勧銀が総会屋に巨額の融資をしているという記事が出ました。ここから後は嵐のような展開でした。地検の強制捜査、首脳陣の交代、役職者の逮捕、株主総会、行政処分と4カ月間立て続けに厳しいことが続きました。当行が今後自立して存続できるのか、非常に難しい状況だと考えざるを得ませんでした。

当時は危機管理セクションが独立して存在しているわけではなく、色々な部署から人が集まってさまざまな議論が重ねられました。多くの反省点がありましたが、緊急対応について、広報という立場でいうと、どのようにうまく広報をやってみても、基本的な問題は解決しない。起こってしまった問題を広報が独自に解決することはあり得ない。再発防止策や今後の経営方針を公表し、説明することなどはできますが、防止策などを立案して遂行するのは広報の仕事ではありません。そういう意味では限界があります。

限界と影響を知る 
ただ、広報のやり方によって事態が悪くなることはある。ここまで悪くなる必要はなかったというところまでいってしまうこともある。緊急対応時は、広報の限界と影響をきちんと認識した上で対応しなければならないと思います。緊急対応時にそれらを知るためにも、通常時の危機管理は重要です。通常時の危機管理の基本というのは、社内の各部署と広報部門との相互理解・連携と相互けん制だと思います。理解とけん制は表裏一体です。例えば、広報が社外の見方を社内に正確に伝えるためには、信頼関係がなければいけない。お互い議論をして、考えて、今この会社として何をするべきか、現実的に何ができるのかなどを、率直に議論できなければならない。 

広報の通常時の危機管理として具体的に何をやるかというと、第1は社内外の情報収集をきちんとすることです。特にマイナス情報。例えば、クレーム情報の把握と対応は重要です。内容をきちんと把握・分析して、対応を検討する。広報もその状況を知っておくためには、クレーム担当部門との緊密な連携が必要ですが、当時の第一勧銀ではそういう仕組みがなかった。第2は、自分の会社が何を扱って、どういう商品やサービスを扱っているか。メーカーであればそれを生産している過程や品質管理工程、流通構造をまでを把握して、広報を行うことが大切です。第3は財務構造をはじめ、実際に危機が起きた時に持ちこたえられるか、会社の基礎体力についての理解です。例えば、同じことをやっても雪印食品は潰れて、日本ハムは残りました。結局これは会社としての基礎体力の違いが大きかったと思います。

検察の捜査が大きな転換点 
当時を振り返ると、大きなターニングポイントは地検の強制捜査でした。経験された方は稀だと思いますが、すさまじいものです。多数の捜査官が来て、段ボール箱に書類をはじめ、手帳や名刺なども押収されます。地検で不要になったものは3年くらい後に帰ってきました。先程企業の基礎体力という話をしましたが、その点で当時、明らかに私は勉強不足でした。バブルの破裂による不良債権問題などにより、銀行の体力は想像以上に弱っていました。また、当時は、都銀はオーバーローンでしたから、1日何兆円というお金を調達しないと資金繰りが回りません。他の会社の資金繰りは見ていても、自分たちの資金繰りを考えたことはありませんでした。どういう資金調達構造で銀行が成り立っているのか、その基礎を理解していなかったのです。

もし事件の発覚があと半年遅ければ、97年11月の一連の金融危機にぶつかって、確実に第一勧銀は他の銀行に吸収されていたと思います。そう考えると、4月に発覚して5月に地検が来たことについても、最悪のタイミングは免れたと考えることも出来ます。いずれにしろ「運」ということがあります。実は検察、監督官庁、マスコミなどにも、さまざまな事情と思惑があったことを後で知りました。 

第一勧銀は6月に企業として存亡の危機に立たされ、経営陣は2度交代しました。色々なことがありましたが、7月31日に大蔵省の行政処分が出て、同時に大幅な組織改正も行い、一応緊急時対応が一段落したかなと思いました。その時に私も広報部長から企画室長に異動しました。

テレビで放映され、預金流出騒ぎに 
緊急時対応のキーワードは「ケースバイケースで臨機応変に」と「最終決定は自らがやらなければならない」です。他社のケースをよく勉強して、それを活用することも大切です。ただ、実際には、事前に想定していないことも起こり得ます。当初の想定だけに基づいた完璧主義は形式主義に陥ります。臨機応変、間違ったら軌道修正する、その決定は他人任せにしないという心掛けが必要です。例えば、記者会見のために膨大なQ&Aを作ることは無駄が多いと感じます。重要事項を整理し、全体の流れを押さえておくことが大切だと思います。当時、広報は新聞や週刊誌など、文字メディアのことばかり考えていましたが、実際に最も大きなインパクトを与えたのはテレビでした。地検特捜部の捜索の映像が再三放映されたため、すさまじい勢いの預金流出が起きました。数年後に、私は横浜支店長になり当時のことをお客さんに聞いてみたら「総会屋にお金を貸してけしからん」というよりは「あれだけテレビで放映されたら、第一勧銀は潰れると思い、預金を引き出した」ということでした。これが本当のリスクなのだと思いました。当時、支店長・支店職員はよく頑張ったと思います。それがなければ、事態はさらに悪化していたと思います。 

社会部と経済部で違いがあるということは、観念的にはわかっていました。経済部は理解があるけど社会部は怖いと。事実、記者会見の時の社会部の記者は、銀行の社会的な責任をどう考えているのか、総会屋に金を貸していたことをどう思っているのかなど、非常に答えにくいところを聞いてくる。しかしそれ以上に怖いのは、取材の手法です。社会部の記者はみんなが喋りたくない話をなんとか聞き出す話法を持っています。「部長が苦労しているのはよくわかるよ」と話しかけてきて、つい心を許して話してしまったことが、翌日の新聞に掲載されたこともありました。

緊急時対応が終了した時が出発点 
最後に私が思うのは、緊急時対応が終了した時からが、企業の本当の出発点なのだということです。記者会見が必要になるような事態は、会社にとっては非常に大きな打撃で、しかもそれは続きます。お客様と、地域の方々と、従業員を大切にして、企業を継続させるのが最大の目標になります。お客様の信頼を回復しなければいけない。広報の役割は、この時点から、前面に立つというよりは、地道に各部のサポートをすることに変わると私は思っています。事件・事故の記録を整備し、反省点をチェックする。もちろん再発防止策などの実施状況を把握し、外部に公表する。それと同時に、社内のムード、つまり士気を盛り上げるために広報としてできることを考える。どのような場合にでも、広報が、今、何をすることが最も重要かを常に考えていかなければいけない。その役割は、その時の状況で変化する。ここでも臨機応変と自らが決めることが大切だと思います。