2018/04/09
安心、それが最大の敵だ
反対派を抑え、開国を目指した老中
正睦が最初に幕府の役職に就いたのが、文政12年(1829)で20歳の時であった。この時の奏者番(大名らを将軍に取り次ぐ役)からその後寺社奉行に昇進し、大坂城代から西の丸老中へと着実に幕府内で出世していった。天保12年(1841)、6人の老中の1人となる。幕政の中心にあった老中水野忠邦が正睦の佐倉藩での改革の成功やそれまでの幕府内での仕事ぶりを評価して登用した。水野の後を受けた老中は阿部正弘(福山藩主)であった。嘉永6年(1853)、提督ペリーが率いる東インド艦隊が浦賀(現神奈川県横須賀市)沖に現われ幕府に開国を迫った。アメリカ側の要求を断れば、戦争を仕掛けられる心配があり、戦争となれば敗北することも見えていた。
長く鎖国を続けてきた日本では開国反対が多数派であった。だが正睦は、日本が欧米列強に比べて軍事力で劣っていることを指摘し、開国した上で外国との貿易も行った方がよいとの意見を出した。幕府は最終決断をまとめきれず、朝廷にも事の次第を報告した。幕府の無力を示す結果となった。結局翌年、幕府は下田(現静岡県下田)、箱館(現北海道函館)の港を開く日米和親条約を締結することになった。
安政2年(1855)、正睦は阿部正弘から推されて再度老中となった。正睦は先進的な考え方の持ち主であり、性格は「善良無我」と評される温和な人柄であった。「内憂外患」の時世を乗り切れるのは正睦しかいないと期待されての再任であった。正睦は46歳で、当時では隠居してもおかしくない年齢であった。政治の表舞台に登場した。事態は、日米修好通商条約を要求するアメリカの初代駐日総領事ハリスの強硬な姿勢でますます困難になって行った。正睦は開国した上で富国強兵を推進する考えであったが、国内では世界情勢を知らずに鎖国・攘夷を叫ぶ声が強かった。
条約問題とともに、国内では病弱な13代将軍家定の跡継ぎを巡って意見が二つに分かれた。一人は紀州(現和歌山県)藩主徳川慶福(よしとみ、後の家茂)、もう一人は水戸(現茨城県)藩主・徳川斉昭の子で一橋家を継いだ一橋慶喜であった。血筋から言えば慶福が将軍に近かったが、10歳代前半なので政権を担うのは無理とされた。正睦は成人に達し聡明と評判の高い慶喜を推した。
外交・将軍の跡継ぎという2つの難題を抱え、正睦はまず条約を結ぶことに全力を注いだ。国内の強い反対を抑えるために朝廷の許しを得ようとして京都まで足を運んだ。朝廷の理解を得られず江戸に帰らざるを得なかった。その後、朝廷の許可なく条約を調印した責任を取る形で正睦は老中を辞めさせられた。
その直前に、大老となった井伊直弼は将軍の跡継ぎを慶福(14代家茂)に決めた。実権を握った井伊直弼は反対派の弾圧に乗り出し、50人以上の志士らを処刑した。安政の大獄である。正睦は将軍の跡継ぎ問題で対立したことから佐倉での隠居を命じられた。直弼は2年後に桜田門外で水戸藩浪士らに暗殺された。正睦は病気がちとなり元治元年(1864)、55歳で他界した。墓は佐倉市最上町の甚大寺にある。
参考文献:「佐倉惣五郎」(児玉幸多)、「歌舞伎 東山桜荘子」(高橋敏氏ら鼎談)、「堀田正睦と幕末の政局」(佐倉城研究会)、筑波大学附属図書館資料
(つづく)
- keyword
- 安全、それが最大の敵だ
- 佐倉惣五郎
- 堀田正睦
安心、それが最大の敵だの他の記事
おすすめ記事
-
-
リスク対策.com編集長が斬る!【2024年4月23日配信アーカイブ】
【4月23日配信で取り上げた話題】今週の注目ニュースざっとタイトル振り返り/特集:南海トラフ地震臨時情報を想定した訓練手法
2024/04/23
-
-
-
2023年防災・BCP・リスクマネジメント事例集【永久保存版】
リスク対策.comは、PDF媒体「月刊BCPリーダーズ」2023年1月号~12月号に掲載した企業事例記事を抜粋し、テーマ別にまとめました。合計16社の取り組みを読むことができます。さまざまな業種・規模の企業事例は、防災・BCP、リスクマネジメントの実践イメージをつかむうえで有効。自社の学びや振り返り、改善にお役立てください。
2024/04/22
-
-
リスク対策.com編集長が斬る!【2024年4月16日配信アーカイブ】
【4月16日配信で取り上げた話題】今週の注目ニュースざっとタイトル振り返り/特集:熊本地震におけるBCP
2024/04/16
-
調達先の分散化で製造停止を回避
2018年の西日本豪雨で甚大な被害を受けた岡山県倉敷市真備町。オフィス家具を製造するホリグチは真備町内でも高台に立地するため、工場と事務所は無事だった。しかし通信と物流がストップ。事業を続けるため工夫を重ねた。その後、被災経験から保険を見直し、調達先も分散化。おかげで2023年5月には調達先で事故が起き仕入れがストップするも、代替先からの仕入れで解決した。
2024/04/16
-
工場が吹き飛ぶ爆発被害からの再起動
2018年の西日本豪雨で隣接するアルミ工場が爆発し、施設の一部が吹き飛ぶなど壊滅的な被害を受けた川上鉄工所。新たな設備の調達に苦労するも、8カ月後に工場の再稼働を果たす。その後、BCPの策定に取り組んだ。事業継続で最大の障害は金属の加温設備。浸水したら工場はストップする。同社は対策に動き出している。
2024/04/15
-
動きやすい対策本部のディテールを随所に
1971年にから、、50年以上にわたり首都圏の流通を支えてきた東京流通センター。物流の要としての機能だけではなく、オフィスビルやイベントホールも備える。2017年、2023年には免震装置を導入した最新の物流ビルを竣工。同社は防災対策だけではなく、BCMにも力を入れている。
2024/04/12
※スパム投稿防止のためコメントは編集部の承認制となっておりますが、いただいたコメントは原則、すべて掲載いたします。
※個人情報は入力しないようご注意ください。
» パスワードをお忘れの方