東日本大震災から5年が経過した。津波でがれきの山と化した岩手県上閉伊郡大槌町の中心市街地は、盛土の整備が進み早いところでは今年4月から住居や商店を建てる基盤ができ始めるという。しかし、そこにかつての町並みが戻る保証はどこにもない。仮設商店街に入るとある店では「仮設店舗だと家賃は無料で、月の支払いは共益費程度。跡継ぎもいないのに借金して新しい店を作る意味があるのだろうか」と、本設再建に後ろ向きだ。住民主体のコミュニティの再生は可能なのか。人は、商店街は本当に戻ってくるのか。未来を切り開くカギの1つが、コミュニティ・ビジネスだ。コミュニティ・ビジネスとは、市民が主体となって、地域が抱える課題をビジネスの手法によって解決し、コミュニティの再生を通じて、その活動の利益を地域に還元させる事業を指す。東日本大震災による人口の流出は「少子高齢化を30年進めただけ。どの市町村の未来にも起こりうる現象」との指摘もある。大槌町の課題は、将来の全ての基礎自治体が抱える問題でもあるのだ。大槌町のコミュニティ・ビジネスの可能性を取材した。

東日本大震災が発生した2011年3月11日14時46分18秒、大槌町にも強い揺れが発生した。その後の大津波により、沿岸部にあった市街地は壊滅的な打撃を受ける。2016年2月に町役場が公表している数字では死亡届受理数1233人。避難所などでの関連死を含めると1285人が震災で命を落としている。うち、いまだに420人の行方も分かっていない。町役場でも当時の加藤宏暉町長以下、職員約40人の命が失われ、役場としての機能を失った。津波に襲われた旧役場は現在でも残っているが、後世に残すか取り壊すか、問題は先送りされたままだ。さらに深刻だったのは、市街地の状況だ。岩手県公表資料によると、震災以前に大槌町に存在した事業者は793。そのうち98%にあたる777事業者が浸水区域にあったため、町の経済機能も壊滅したと言っていい。震災前に15000人以上いた住民のうち、現在、町の人口の公表数値は12000人余りだが、住民票による確認数字でもあり、実態は1万人を切っているとの推測もある。現在でも3000人強が仮設住宅での生活を余儀なくされている。

もちろん、町もこの状態に手をこまねいていたわけではない。町長が被災し、混乱を極めていた8月末に当選した前碇川豊町長は同年12月に大槌町東日本大震災津波復興計画を策定。「海の見えるつい散歩したくなるこだわりのある美しいまち」を掲げ、町の復興に乗り出した。

東日本大震災から5年。市街地の盛土作業は進みつつあるが、市街地は見渡す限りの更地ばかり。「復興している」とは言い難い現実が、ここにはある。

町の住民は「盛土はいいことだと思うが、盛土にこだわりすぎたために、復興が遅れているんじゃないか。近隣の自治体は浸水地域でもその場で事業者の判断により本設が許可されている。もちろんこれからの津波の心配があるだろうが、大槌の復興は遅く感じる」とジレンマに陥る。昨年末の町長選で碇川町長は新人の前町会計管理者であった平野公三氏に敗れた。これは政策争いで敗れたというよりは、「復興の遅さに対する住民の不満」が反対票として投じられたとする見方が強い。

「5年という歳月は長い。早ければ今年の4月から盛土をした新しくできる市街地に住民がもどってくるはずだが、どのくらいの人が戻ってくるかわからない。人が帰ってこなければ店もできない。しかし店をやる側にとってみれば、人が帰ってくるかどうかわからない土地に大きな借金をして店を構えるのはリスクが高い。卵が先か鶏が先かの問題だが」と、ある住民は話す。

町の基幹産業、漁業を復活させる大槌町水産業復興エリア

海に面した大槌町は、古くから漁業の盛んな港町だった。井上ひさし氏の「吉里吉里国」でも有名になった大槌町吉里吉里地区では、江戸時代に長く盛岡藩の御用商人をつとめた網本の前川善兵衛(通称:吉里吉里善兵衛)氏が徳川将軍家に吉里吉里で捕れた秋サケを献上。以来今日まで秋サケは大槌の特産品となっている。

しかし東日本大震災で大槌港も大きく被災。868人いた大槌漁協組合は震災以前からの財務内容悪化もあり、一度破たんしている。その後、旧漁協組合員で 3.11以降も業務を続ける意思を持った有志が集まり、新漁協を結成した。結成当初は150人程度だった組合員は現在276人。徐々にではあるが、その活動も活発化している。

大槌町は被災直後から、当時の町の基幹産業である水産業の復興に取り組んだ。碇川豊町長はもともと港町だった大槌町安渡地区を水産業復興エリアとして再興させることを狙い、水産業に携わる企業を集積する「津波復興拠点整備事業」の活用を決定した。「これを受けて担当課は、この20haのエリアを水産加工の産業集積地にしようと考えた。組合も破たんして組合員も減り、魚市場の機能も低下して、漁港も壊滅的な被害を負っていたが、それであればすべてゼロから新しく構築しようと考えた」と、大槌町産業振興部農林水産課水産班班長の木村達男氏は当時を振り返る。

水産業は大きく3つに分けられる。船で海に出て魚をとらえたり、近海で魚を養殖したりする漁業、そして魚を陸で加工する水産加工業、最後に、魚を売りさばく魚市場だ。

「はじめは、本当にこれだけ被災して何もなくなった土地に企業がもう一度来てくれるか不安だった。それでも何かやらなければいけないと思って無我夢中にやった」(木村氏)。

木村氏らの努力が実り、震災の半年後には復興エリアの基盤が整い、水産加工業はじめ水産業に携わる企業が入り始めた。県外からも協力してくれる企業が現れ、現在では22社(予定含む)が集積するエリアとなっている。

漁業学校を開設。若手を育成する

ゼロベースになった漁業の立て直しは、震災前から内在していた問題をあぶりだすことから始まった。もともと定置網漁業では特産品の秋サケが主力商品だったため、秋サケ時期のみ操業する漁師も多く、操業体制が非効率的だった。それに加え、中小規模の漁業層の廃業や経営不振も続き、養殖業も伸び悩んでいた。そこに、東日本大震災がさらに追い打ちをかけた格好だ。

大槌町産業振興部農林水産課長の三浦大介氏は「震災ですべてがゼロベースから始めなければいけなくなったので、あとはプラスしかないだろうと考えた」と話す。その中で前碇川町長が最も力をいれたものが、「漁業学校」の設立だ。課題を解決するには、事業者1人ひとりが個別に解決策を探るより、研修会や優良事例の視察などで「学ぶ」ほうが効率がよい。また、新しく漁業に参入しようとする若者に既存の漁師が技術を教えることにより、町の雇用を促進することもできる。大槌町は2013年に漁業学校を開設したところ、これまでに26人が体験講座や本格養成講座を受講したという。

三浦氏は「今はまだ何もないが、今年から県立病院や小中一貫校「大槌学園」の建物が完成するなど、生活基盤が整っていく。漁業を中心に町が活性化することで、1人でも多くの住民に戻ってきてほしい」と希望を語る。

町の未来を、住民とともに創る
復興まちづくり大槌株式会社

「町の人たちが、いまバラバラになっている。子どもから年寄りまで、1つになって笑顔で過ごせるような町にしたい」と話すのは、復興まちづくり大槌株式会社取締役経営企画部長の石井満氏。石井氏は大槌町出身で、東京でITベンチャー会社などに勤めていたが2011年に東日本大震災が発生。「震災後、東京で大槌町を応援する活動をしていたが限界があった。この会社が従業員を募集しているのを知り、地元のために力になりたいと思い、戻ってきた」と当時を振り返る。家族や親戚もふくめ、現在は仮設住宅で生活している。

同社は、碇川前町長が選挙公約の1つとして掲げたもので、公民の連携を図り、復興のスピードを加速させることを狙って2013年4月に設立された。現在の主な事業は「ホワイトベース大槌」と呼ばれる復興作業員向けの宿泊施設。復興を加速するには作業員向けのホテルが必要だが、町内にはホテルが2つあったほかは、民宿や旅館が点在するだけ。

民宿や旅館は家族向けに作られるため、大部屋に数人が寝泊まりする環境になってしまう。長期滞在する作業員の疲れを癒すには、プライベートを確保した個別の部屋が必要だった。部屋は全部で77部屋あり、基本は共同風呂・共同トイレだが、うち25部屋はビジネスマン向けに部屋内にユニットバスとトイレを設置した。筆者も取材中宿泊してみたが、プレハブとは思えない暖かいつくりで、食事も美味しく満足度は高かった。現在の稼働率は平均して92%で、経営も好調だ。パートを含んだ社員は32人に増え、地元の雇用にも貢献している。

石井氏は「設立したときには『民業圧迫になるのでは』と反対も多かった。しかし自分たちでやらなければ、いずれ県外の企業が参入してくるだけだ。半官半民で思い切ってやったのがよかったのでは」と話す。

ゼロからの再生計画

同社のもう1つの大きな事業は、「中心市街地の再生計画の策定」、すなわち、町の未来を作る作業だ。現在は新しい街づくりのプランを練っているが、その中でいま最も頭を悩ませているのは、商業施設にどのくらいの事業者が入居するかだ。石井氏らは町内全ての事業者に丁寧にアンケートなどをとりながら、町の行く末を探っている。

中心市街地には現在、図書館や公園の整備が計画され、金融機関などの誘致も成功している。そこに10店ほどの店舗が入居できる商業施設を作り、町を活性化させたい考えだ。復興庁に申請し、認可が下りれば被災者であれば4分の3、被災者でなくても3分の2の補助金が出ることになっているが、店主たちの表情にはまだ戸惑いもあるという。現在仮設商店街に入居している事業者は60社ほど。しかし仮設は全て町から無償で提供されているため、月の支払いは共益費の1万円程度だ。新しい商業施設に入居すれば、月の家賃や光熱費を含めて6 ~ 7万円の出費が予想されるうえ、出店には借金も伴う。個々の事情にもよるが、事業主も高齢化が進むなか、新しく本設の店をつくるのはハードルが高い。

ピンチをチャンスに

石井氏は「正直、何が正しいかは分からない。人がちゃんと戻ってくるかどうかもわからないなかで、無責任に店を作りましょうとも言えない。それでも皆、『働くことは生きがい。働ける場所があれば働きたい』と言ってくれている。学校や病院ができて人の流れが変われば、町が変わる可能性はある」と前向きだ。

確かに盛土には時間がかかってしまったかもしれない。しかし失った5年間を嘆いていても、未来は見えない。大槌町の住民はこれまで何度もピンチをチャンスに変えてきた。その経験を活かした住民主体による本当の町づくりに、これからも注目していきたい。