災害時における組織間の「連携」が強く求められ、連携強化に向けた取り組みが各方面で加速している。この連携を支え、連携強化を図る上で欠かすことができないのが情報の共有だ。東日本大震災の教訓を踏まえ、自治体でも災害時に強いクラウドを活用した情報共有システムが導入され始めている。災害対応において必要な情報とは? 情報共有を支える体制やシステムのあり方について、東日本大震災での実際の対応から得られた教訓をもとに検証する。

企画:TIS株式会社、リスク対策.com編集部

元岩手県防災危機管理監越野修三氏に聞く

3.11における情報共有

三陸沖を震源としたM9.0の東日本大震災で甚大な被害を受けた岩手県。津波により沿岸部一面が破壊し尽くされ、ライフラインが断絶したため、直後には被災者の状態や避難場所、市町村の被害状況などの情報収集すらままならなかった。当時、岩手県防災危機管理監だった岩手大学地域防災研究センター教授の越野修三氏は、混乱する中でどのように情報を集め、どう共有し、対策につなげたのか。情報共有を支える体制と今後のシステムのあり方について聞いた。

Q1 東日本大震災により沿岸部を中心に甚大な被害が出るなか、岩手県ではどのように情報を収集し、共有したのでしょうか?

岩手県では、情報収集は災害対策本部の情報班が担当することになっています。災害対応において必要な情報は活動の目的によって変わってきます。東日本大震災では、まず人命救助が最優先でした。そのために必要な情報は、救助ニーズと救助資源。つまり、どこに助けを求めている人がいるのか、助けるために自分たちが持っている資源は何かということです。

資源とは、我々職員、外部からの応援部隊、通信手段やヘリコプター、さらに救助に必要な資機材などすべて含まれます。「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」というように、災害時においては救うべき「相手」のことを知り、自分の状況を正しく認識しなくてはなりません。そして、もう1つ加えるなら、道路状況や気象状況など、目的を達成させるための環境全体について。これらを、災害対応にあたるスタッフ間で共有した上で作戦(災害対応)を実行する必要があります。 

しかし、東日本大震災では、被害があまりにも大きく、当初は市町村からの情報が全く入ってきませんでした。陸前高田市や大槌町などの市町村では、庁舎そのものが大打撃を受け、完全に麻痺した状況に陥っていましたし、電話やインターネットが使えない市町村も多数ありました。

ただ、県庁には非常電源装置が導入されていたので、テレビから津波が防潮堤を乗り越える映像を見て、ただごとではないことは推測できました。それでも、発災直後は避難者の状況や被災状況が全く分からず、自衛隊や警察、消防から断片的な情報が入ってきただけでした。

Q2 被災ニーズがつかめない中で、どう対応されたのでしょうか?

直観として病院を優先的に救助することが重要だと考えました。命が危険な状況になっている人が行くとしたらまず病院です。被災地の状況はどうなっているか分かりませんでしたが、病院の位置はすべて把握できていました。 

津波で道路が浸水して車が使える状況になかったのでヘリコプターを使い、病院に災害派遣医療チームDMATを運び、命に関わる緊急性の高い人たちから救助しました。同時に、避難所の確認もヘリコプターで行っていきました。

パイロットが上空から見て、避難所の場所やおおよその人数などの情報を災害対策本部に伝え、人命に関わり緊急性が高いようならばパイロット自らの判断で救助にあたるよう指示を出しました。

本部に入る情報は限られていましたし、その都度、救助するかどうかを対策本部から指示することはできないので、現場に判断を託したのです。一方、自衛隊は直後から被災地に入り、虫の目となって避難所の状況などを調べてくれました。

Q3 こうした情報をいかに共有されたのでしょうか?

岩手県の災害対策本部には自衛隊や盛岡市消防本部、県警本部、さらにはDMATなど、関係する組織がすべて入るように決めていました。災害対策本部にいれば、そこに入ってきた情報はすべて関係する組織間で共有できる仕組みにしていたのです。朝と夜の1日2回は、本部支援室で連絡調整会議を開いて、各班や関係機関で現状や問題点を共有しました。 

初動期は、とにかく速報性が重要なため、状況が一目で誰もが分かるように、大きな地図を広げて浸水地域や断絶している道路状況、孤立している避難所などを記入していきました。地図は情報共有を図る上での基本となる重要なものです。他の情報は貼り出した模造紙に書き込んでいきました。こうした対応ができたのは、通信が使えないことを前提に、何度も訓練を繰り返してきたからです。