一寺言問地区を含む墨田区向島は、江戸時代から続く下町。向島という地名も、浅草から見て「向こう岸」という意味で、古くから隅田川七福神めぐりなど庶民の行楽地として栄えてきた。第2次世界大戦でも奇跡的に空襲を免れたが、一方で現在でも古い町並みが残る木造住宅密集地として、防災が地域の課題だった。1985年に住民主体で結成した一言会は、この地区の特徴である細い「路地」に注目。「防災まちづくり」と言えば通常は道路を広げ、燃えにくい住宅に建て替えることが一般的な手法だが、一言会では昔の面影を残しながら防災力を向上するため、細い路地を「災害時に緊急避難ができる路」と捉え、整備を進めた。また、災害時に火災が発生することが予想されることから、雨水をためて消火用水として使用できる「路地尊」を設置。路地にも「会古路地(えころじ)」など、親しみを込めた名前を住民が話し合って決定した。これらの取り組みは、阪神・淡路大震災以降の長田区など神戸の下町における防災まちづくりの参考事例になったという。

 

下町ならではの防災活動

一言会の理事を務めるLLC住まい・まちづくりデザインワークス代表の野田明宏氏は、早稲田大学の佐藤滋研究室で建築設計と都市計画を学ぶかたわら、学生のころから下町の魅力にひかれ、2008年から一言会の活動を手伝うようになった。しかし当時は一言会も結成から20年が経過し、夏の納涼会や年末の忘年会などを定期的に開催するだけで、目立った活動はしていなかったという。

野田氏は「町づくりから20年以上が経過した町で、これからの防災に何が必要かもう一度見直そうと、皆さんにお声掛けした」と話す。

月に1度のワークショップを開催し、課題を整理したところ、1985年当時と一番変化したのは「人」だったという。密集地ならではの問題として、多世代で住みつづけるには敷地面積が狭いため、高齢単身層が増加する一方、建替住宅開発の進行により、昔ながらの路地も少なくなっていった。道路閉鎖が起こりやすい密集地では、通り抜けができる路地は災害時には大事な避難経路となり、向こう三軒両隣は共に救助活動する仲間になる。その路地と日常のコミュニティの大切さをどうやって若い世代に伝えるか。そのために若い世代にどうやって防災訓練に参加してもらうかが課題として浮き彫りになった。ちょうどその時に野田氏はプラスアーツ代表の永田氏と出会い、アートと防災を融合させた取り組みに共感したという。

試験的に行った2009年は、町内会の防災訓練にブースを出展する形で行われたが、約130人の子どもが参加。家族を入れると300人ほどの集客があり、町内会も「これは1度でやめるわけにはいかない」と、カエルキャラバンの有効性を認めたという。 

昨年のキャラバンでは、テーマを「雨水関連」に設定した。プラスアーツの通常プログラムのほか、昔ながらの紙芝居や雨に関するクイズのほか、「路地尊」の水を水道水と飲み比べるなど、独自のプログラムを増やしている。地域の災害としては、荒川の氾濫などによる水害が挙げられる。一言会は地域の災害史をまとめた動画も上映した。キャラバンは全国展開しているため、地元の子どもだけでなくほかの地域でキャラバンを体験して、リピーターになって参加する熱心な子どももいるという。

野田氏は「プラスアーツは、同年代で災害に取り組んでいる、数少ない信頼できる仲間。これからもいろいろなアイデアを出し合っていきたい」としている。