特別寄稿

綺麗なバラには棘がある

ヒル・アンド・アソシエイツ・ジャパン株式会社代表取締役社長 石井弘之

2011年の3月に、それまでの軍事政権から新政権への委譲が実現し、民主化開放が急速に進展しつつあると報道されるミャンマー。新たな製造業の拠点として、そして、6000万人を超える人口を擁する将来の有望市場として、この国に関するバラ色の記事が新聞で見られない日は無いと言っても過言ではありません。事実、人件費が高騰の一途をたどる中国の7分の1とも言われる安価で供給豊富な労働力や、民主化開放政策の一環として推進される規制緩和は、直接投資先としての大きな魅力となっています。一方で、尖閣諸島の国有化に伴う日中間の政冷経冷は、その長期化の懸念とも相まって、チャイナ・プラス・ワンの担い手として、さらには中国に代わる生産ベースとしての対ミャンマー投資という戦略の現実味を高めています。

しかしながら、このバラ色観測の一方で、例えば、軍守旧派による現政権への巻き返し、法制規制面での透明性の欠如、汚職・腐敗、少数民族の抵抗・暴動、労働組合法の制定(2011年10月)に伴う労働者の権利意識の上昇と労働争議リスク等々、同国への直接投資が直面しうるビジネス・リスクにも懸念を要する実態が見られます。

そこで、本稿では、民主化開放への抵抗勢力としての軍守旧派及びその関連利権に起因するリスクに加えて、法制規制やその執行上の不透明性という2つのリスクについて統合的に論じてみたいと思います。

 
■紛糾した外国投資法の可決
海外からの直接投資をドライビング・フォース(企業の未来に対する戦略的ビジョンを決定する最も根本的な因子)とする開放政策の基礎とも言える「外国投資法」は、本年9月7日に連邦議会で可決されるまで紛糾し、紆余曲折を経ました。紛糾と紆余曲折の原因は、民主化開放を推進したいテインセイン政権と既得権益を維持したい軍部守旧派及びその息のかかった財閥との主導権争いにあります。事実、テインセイン大統領は、その可決法案の内容を不十分として署名期限の9月24日までの署名を拒み、結果として、法案は差し戻し不成立となりました。この事態を、規制緩和を通して経済改革を迅速に進めようとする大統領と、国内産業を外資から保護しようとする議会との対立と見ることもできますが、連邦議会の四分の一は軍勢力が占めているという事実からして、既得権を守りたい軍守旧派とこれをよしとしないテインセイン大統領との抗争として見ることも可能です。

そもそもの法案は、国内中小事業者保護のために海外からの直接投資の対象外とする産業分野を「農業全般」、「環境やエコシステムを害しうる事業」等、極めてあいまいな定義で限定したり、投資規模500万米ドル以上のプロジェクトは大型プロジェクトとして位置付け、ミャンマー側企業が最低でも51%のマジョリティを取るなどの不透明かつ保護主義色の強い内容が含まれたものでした。特に、大型プロジェクトのマジョリティ条項については、その水準の投資が可能なミャンマー側企業は軍の利権が及ぶ限られた既存財閥しか有り得ず、露骨な保護政策として諸外国からの批判を浴びました。外資は資金だけ供出させられ、主導権は現地の既存財閥が確保するための立法と見なされても止むを得ない内容でした。

結局、マジョリティ条項は排除されましたが、出来上がった外国投資法は、例えば、ミャンマーで既に行われている業種については海外独資が認められず、現地との合弁を要求されるといった、大型店舗等の進出から中小現地小売業を守るという真っ当な面と、軍部守旧派の息のかかった財閥系企業の既得権益を守るという、いわば、開放政策とそれに逆行する保護主義が同居する有り様となりました。テインセイン政権が軍部守旧派に譲歩したのは明らかですが、ここに、国民を守ることを通じて国民の支持を維持することでしか民主化開放の大義を確保できないその一方で、軍部守旧派という抵抗勢力も無視できないテインセイン政権の苦悩があると思われます。
 
■汚職・腐敗そして中国
 汚職・腐敗防止のための国際活動を展開するNGOのトランスペアレンシー・インターナショナルは、2011年度のその発表においてミャンマーの腐敗度を183カ国中180位と位置付けています。もちろん、この評価にはかつての軍政時代の負の遺産が大きく影響していると言えますが、前述のとおり、法制規制にはあいまいなところも多く、また、執行においても直ちに透明性があがるとは考えにくいところがあります。
 事実、現政権の司法及び行政は、依然として軍部の強い影響力下にあると見られます。かつての軍部が少数の大規模財閥と結託して資源、エネルギー等の大規模プロジェクト利権を独占していたのは周知の事実ですが、その構造は民主化開放の進展以降も大きく変わっていないというのが現実です。例えば、中国によるミャンマーへの投資には日本とは比較にならないほど膨大なものがありますが、この中国による直接投資は、現在も軍部の利権の塊と言われます。

昨年の9月にテインセイン大統領は、軍政時代に決定していた中国によるミッソン・ダムの開発を自らの任期である2015年までの間、中止するとの決断を下しました。現在、ミャンマーには数多くの水力発電所建設計画がありますが、その半数以上は中国プロジェクトです。ミッソン・ダムの建設中止は、環境破壊を理由に建設に反対する地域住民あるいは多くの国民の意図を汲んで大統領が下した英断であり、タイ資本によるダウェー火力発電所建設中止とともに、民主化に対する大統領のコミットメントを示したとも当時は受け止められましたが、それ以降、環境や民意に配慮しての中国プロジェクト中止の事例はなく、この英断も民意と軍部の中国プロジェクト利権の板挟みになった政権の苦肉の演出であったというのが本当のところかとも思料されます。

このように、表向き民主化開放が進んでいるように見えても、経済利権は依然として軍部と既存財閥が占有し、法制規制の執行が軍部の強い影響下にあるとすれば、民間企業によるミャンマーへの直接投資もこの現実に起因するリスクを十分に認知する必要があります。例えば、契約関係を巡って外資と現地企業との間に争いが生じた場合に行政や司法が透明性の高い公正な処置を取るといった保証はどこにもありません。また、軍に執り入った者が入札や許認可において優遇されるという軍政時代の腐敗した風土も決して一掃されたとは言えないことから、一連の海外腐敗防止法コンプライアンス上のリスクも存在します。現地パートナー選定の際や幹部社員の採用等にあたっては、事前の厳重なデュー・ディリジェンスの実行が求められると思います。

綺麗なバラには、やはり必ず棘があるということでしょうか。

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石井弘之 (いしい・ひろゆき)
大学卒業後、素材エネルギー会社に入社し、人事労務関連業務に従事する。その後、米国系保険会社勤務を経て、国際医療アシスタンス会社の日本法人責任者を約9年間務める。2010年5月から現職。経営学修士。