海外進出企業を取り巻く
国際安全保障‘環境’と政治的リスク

                                              清和大学非常勤教員
                                     日本安全保障・危機管理学会研究員
                                  クライシスマネージャー(総合危機管理士)
                                             和田大樹

1.はじめに
2011 年になり中東や北アフリカ地域で政治的な下克上が始まった。チュニジアで独裁政権が崩壊した事をきっかけに、アラブの大国であったエジプトでもムバラク政権が倒れ、その勢いは長年強権体制が敷かれてきたリビアやアルジェリア、モロッコ、イエメン、バーレーンなどイスラム各国に飛び火した。またこの革命的な流れはフェイスブックやツイッターなど現代通信テクノロジーが生命線的な役割を担っており、政府によるコントロールの程度差はあるにせよ、中国や北朝鮮、ミャンマー、ジンバブエ、コートジボワール、ベラルーシなど非常に独裁的な体制が敷かれる非イスラム諸国に与える影響も
少なくない。

また日本周辺においても、昨今の東アジア情勢から目を離す事はできない。昨年11 月に発生した北朝鮮の韓国・ヨンピョン島への砲撃は、1953 年の休戦協定締結以来、初めて韓国領土に侵害を加えた武力攻撃で、朝鮮半島が未だに法的な戦争状態にあり冷戦の生き残りであることを再確認させた。また中国は今年日本を抜き世界第2位の経済大国となり、世界的な資源外交や尖閣諸島問題においても経済的な利点から、より強気な姿勢で対応してくると思われる。日本にとっても最大の貿易相手国という立場から、経済交流に油を注ぐような対中外交は展開しにくい。

さらに世界を震撼させた2001 年の9.11 同時多発テロからちょうど10 年になる今日においても、国際テロリズムの脅威は不透明性と不確実性に満ちており、筆者が専門とする学際的な国際テロ研究でも今後の動向を予測することは決して簡単ではない。ただ欧米の有力研究所や大学教授等の分析や学説を集約し一般的に言えるのは、その脅威の構造変化は見える一方、国際テロの脅威は未だに健在であり、そのグローバルネットワークと世界に拡散するイスラム過激派組織や実行犯によるテロリズムは継続され、政治権益だけではなく“経済権益”、“ソフトパワー”もその標的とされているということである。確かに欧米権益や現中東政府が第一義的な標的であることは確かであるが、その“同盟国の権益”もその中に含まれていることは日本も忘れてはならない。

このように戦争、内戦、テロなど国際社会を取り巻く政治的リスクというものは、海外進出する企業にとっては決して無視できないものである。国際政治的にも冷戦終結から約20 年間、国際体制は米国の一極構造で進んできた。しかし本格的に21 世紀の半ばに入っていこうとする現在、その構造は徐々に変化し、中国やインドなどの新興大国の台頭で国際社会は新たな時代に入ろうとしている。国際経済の流れは間違いなく国際政治の影響を受ける現実を考慮すれば、流動的に変化する国際安全保障環境の中で日系企業が海外進出をする際、どのようなことに配慮するべきなのであろうか。

2.政治的リスクの観点から、国際社会はどのようになっていくか
日本はこれから本格的な少子高齢化社会に突入する。先月国交省から2050 年に日本の人口は現在の四分の三になると発表されたが、日本の労働力低下と経済のグローバル化の進展という現実は、国際競争という立場から今後さらに日本企業の海外進出を促進させる。またその進出先も欧米各国や中国、インド、東南アジア諸国だけに留まらず、中央アジアやアフリカ地域などさらに多様化することも考えられる。

海外進出企業を取り巻く政治的リスクという観点からみれば、今後の国際社会の行方はそう明るいものとは言い難い。まず当然だが先進国と比べ、発展途上国の政治経済体制は非常に脆弱である場合が多い。昨今話題になる中東・北アフリカにおける政治的な下克上を見ても分かるとおり、今日グローバル化が進む中で、長年強権的な政治体制が敷かれ経済格差が激しい国家では、日常的にテロや襲撃事件など社会の治安を乱す行為が発生するリスクは自然に付きまとうものである。さらにツイッターやフェイスブックなど現代通信テクノロジーの発達はそれを拡大させ、政権までを転覆させる潜在的な可能性を秘めており、この現実は同じように強権体制に支配される非イスラム国家の国民をも勇気づけるであろう。例えば中国で本格的にそれが発生した場合、世界経済に与える影響は計り知れない。国内が混乱し一種の内戦状態に陥ることになれば、日本経済は壊滅的な打撃を受け、在中邦人の生命も危険にさらされる。

また新たな政治的リスクとして英国の研究所などで議論されているのが地球温暖化に関係する脅威である(IISS 発行 ”Climate Conflict” 著者Jeffrey Mazo 参考)。マスメディアなどでは地球温暖化問題を環境問題の枠内で報道するまでにしか至ってないが、最新の安全保障研究ではそれが動乱、テロ、内戦、戦争など社会の治安に与える影響とその可能性について学術的な議論がされ始めている。それによれば、今日でも貧困や失業、食料不足や内戦などが原因で人間生活にとっての基礎レベルに至らない状態に追いやられている国民を多数抱える国家は、アジア・アフリカ地域を中心に多く、今後地球温暖化の影響を真っ先に受けるであろうと警告して
いる。さらに日本の人口が減少する中、世界の人口は現在の約69 億人から2030 年には80 億人、2050年には90 億人を越えると予想されている。その中でも爆発的な人口増加が見込まれるのが発展途上国を中心としたアジア・アフリカ地域なのである。地球温暖化によって気候変動が起こり、自然の生態系が悪化し、干ばつや砂漠化などにより安全な水や食料に辿り着けないという脅威がさらに深刻化しようとしている。地球の資源が減少する反面、世界の人口は増加するという悪循環によりもたらされる脅威は、最新の技術・テクノロジーの世界的な促進を持ってしても抑制する事は難しい。また中国などの新興大国の誕生により資源に対する需要は増大する一方である。それにより経済大国による資源獲得を目的とした資源外交はアジア・アフリカ方面へ一層激化すると予想され、一種の“資源獲得競争”が現実のものとなるかもしれない。このように国内の政治・経済・社会的な原因に基づきテロや動乱が発生するだけではなく、他の原因によってもそれが活発化するであろうという事が議論され始めているのである。今後アジア・アフリカ地域への進出を拡大させようとする企業は、今以上に危機管理対策というものが必要になってくるであろう。

写真を拡大国連の「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)第2作業部会報告書」(毎日新聞 2007年4月16日 東京朝刊より抜粋)

3.危機管理対策
このように総論的な立場から簡単に論じてきたが、政治的な環境変化がより複雑になると予測される中、今後日系企業が海外に進出する場合の危機管理対策はより重要になってくる。

まず進出を計画している現地の治安情勢、政治経済状況、周辺地域の安全保障環境には予防的観点から配慮する必要がある。現地の治安情勢は企業が進出する際には直接的に影響するものなので、進出決定の際の重要なバロメーターの一つになると思われるが、政治経済状況とそれにより考えられる内部的脅威、さらに周辺地域の安全保障環境から受ける外部的脅威についてはどれくらい真剣に捉えられているだろうか。上記のように国際社会のグローバル化は国家の相互依存関係を深め、内政は外部からの影響を強く受ける。また、フェイスブックなどの通信手段により国内の政治経済状況が一変することも考えられる。そのような事情を海外進出決定の際全く考慮に入れておかなければ、仮に動乱や内戦が勃発した場合、企業が直面する経済的損失も相当なものになると思われる。国際社会の構造がより複雑化する中では、どのような事態が突発的に発生しても決して不思議ではない。

また、万が一動乱や内戦が発生した場合の行動計画も決定しておく必要がある。そうなった場合には、まず企業本社と駐在所、企業本社と役所、駐在所と大使館・領事館が連帯し、邦人の安全を確保できる体制を構築して置かなければならない。より具体的には、進出場所の現地情報や非常事態が発生した場合の危機管理体制(邦人の避難場所、出国ルートなど)を国から入手し、国との密な情報交換を行えるようにしておく必要があるだろう。また避難し出国する外国人や外国企業、外国政府との連帯網も、邦人の安全と保護の観点から重要であると思われる。

最後になるが、海外進出する際の参考としてブリュッセルに本拠地を置く世界的なシンクタンク、国際危機グループ(International Crisis Group  通称ICG)を紹介しておきたい。この機関は各国の政治経済リスクについて学術的ではなく、非常にフィールドワーク的側面から分析しており、現地の情勢の行方について分かりやすく説明している。進出先の多様化が考えられる日本企業にとっては、経営的な側面からも必要な情報を与えてくれるので是非とも参考にして頂きたい。
http://www.crisisgroup.org/en.aspx