ネトボラ宮城

まだ人々の記憶に新しい、昨年11月22日に長野県北部を襲った長野県神城断層地震。北安曇郡白馬村を震源とし、小谷村、小川村、長野市で最大震度6弱を観測した。地元コミュニティの活躍などにより死亡者は出なかったものの、重軽傷者46人、一部損壊を含めると、実に1567棟の住宅が被害に遭った。被災地で地震発生日から「役に立つ」と評価が高かったのが、Googleマップを活用した「長野県北部地震被害状況マップ」。作成者はIT×災害のメンバーでもある「ネトボラ宮城」代表の佐藤大氏だ。

ネットボランティア集団である「ネトボラ宮城」代表の佐藤大氏は、普段は東北大学病院メディカルITセンターで助教を務め、DMAT(災害派遣医療チーム)の隊員でもある。IT×災害では、情報支援レスキュー隊(IT DART)情報発信チーム両方に参加、するコアメンバーの1人だ。 

もともと東北大学病院でシステム部門を担当していた佐藤氏は、東日本大震災前から院内の総合防災訓練の企画など、災害対応を担当していた。 

震災直後から1カ月間ほどは同院の災害対策本部に張り付いて本部内の調整をしていたが、大きな余震も過ぎて状況が落ち着いたころ、県の災害医療アドバイザーである医学部の教授から「被災地の仮診療所でネットワークを使える環境がない。手伝って欲しい」との打診があった。一方で、プライベートなネット関係の仲間からは「ICT支援の申し入れがあるが、被災地側の受け入れ窓口を知らないか」との問い合わせがあり、「支援して欲しい人と支援したい人が揃っているのに、出会えていない」と感じたという。

ITでできる被災地支援


最初に仮設診療所へのパソコン設置の依頼を受けたのが4月11日。知り合いへの声掛けなどで賛同者を募り、13日にはメーリングリストを立ち上げたところ、1週間もしないうちにメンバーが30人を超えた。この熱意を無駄にしてはいけないと、21日には医療関連分野にこだわらず、広くほかのボランティア団体と被災地をつなぐためのサポートを意識するようになった。 

支援を求めている側はネット環境どころか、日々の水や食糧にも困る生活を送る一方で、メディアによって報道された避難所には支援物資が集中し、モノがあふれかえるような状況が発生していた。佐藤氏は「被災地の人が自立的に情報収集・発信できる環境を整えることが必要」と考えた。 

その後、活動は単なる機材提供から、ボランティア情報のツイートなどの情報支援活動にシフト。ゴールデンウィーク前には「ネトボラ宮城」の名前が決定し、各種のイベントや会議に出席することで地元のNPO関係者やICT支援者、「助けあいジャパン」などの全国組織との交流が始まった。最終的にはメーリングリストには100人を超える支援者と支援を求める人が集まったという。 

当時のTwitterは以下のサイトでまとめられている。
http://twilog.org/netvol_myg/month-1106

震災でのノウハウを生かし、遠隔地から災害支援 
佐藤氏は「東日本大震災の後、さまざまな災害ごとに情報発信するうちに、災害のフェイズごとにどのような情報が必要なのかが分かってきた。また、どこにその情報が掲載されるかもだいたい把握できるようになった」と話す。 

例えば、災害が発生した直後の段階では、市町村が開設する避難所の情報、日本道路交通情報センターのホームページで国道や高速道路の通行止めのほか、JRのホームページで運行情報などをチェックする。水害や雪害の場合は、気象情報も欠かせない。半日から1日たつと、市町村から上がってきた被害情報が取りまとめられて県の防災ポータルページなどにアップされる。市町村は被害状況についてはアップされないこともあるので、被害を俯瞰するのは県のホームページが良いという。より細かい情報を見る場合には、市町村のホームページも有効だ。Twitterで情報が発信されている場合は、情報が散逸しやすいので、ハッシュタグの使用を提案する。数日のうちに社会福祉協議会でボランティアセンターが立ち上がるので、そのボランティアセンターのホームページなどにリンクする。佐藤氏はFacebookでこれらの情報を集めたリンク集をつくり、災害のフェイズに合わせて更新している。 

長野県神城断層地震では、道路の通行止め状況やボランティアセンター、避難所などを網羅した地図を作成した。Googleマップの「MyMap」機能を使い、手作りで作成したという。記載する内容は、これまで培われたリンク集のノウハウを注入した。佐藤氏は「私がやっていることは、パソコンが使用できれば誰でもできること。もっと標準化し、みんなでできるようにしたい」と話す。