行政の「限界」を知り、自ら備える防災力を

今年も多くの大規模災害や事故が発生した。

総務省消防庁がまとめている災害情報に掲載された災害・事故の死者を集計すると189人となる。8月に広島市で発生した土砂災害による死者が74人と最多で、次いで御嶽山の噴火が57人(6人行方不明)、2月の豪雪関係が26人と続く。災害別にまとめてみると、台風や前線に伴う大雨に関連した災害による死者が99人で、噴火が57人、豪雪が28人、その他工場の爆発事故が5人となっている。海外では、韓国のフェリー転覆事故やマレーシア航空機の墜落など、人為災害が目立った。そしてエボラ出血熱の感染拡大など、未知の脅威もくすぶっている。

今後の危機に備え、いかに備えを進めるべきか。今年国内で大きな被害をもたらし災害の教訓を振り返ってみたい。

 

リスクコミュニケーションの不足
広島の土砂災害は、8月20日未明の突発的な豪雨により大規模な土砂災害が発生し、74人が犠牲になった。

広島市安佐南区、安佐北区(国土地理院撮影)

行政の「避難勧告の遅れ」が問題視されたが、課題はそれだけではない。広島県は花こう岩が風化してできた、もろくて崩れやすい地質「真砂土(まさど)」が多いことが指摘されており、平成11年6月にも、大雨に伴う土砂災害により、県内の南西部を中心に死者および行方不明者32人、住家の被害が4516棟に及ぶなど、甚大な被害が発生している。県指定の土砂災害危険個所は全国最多の3万1987カ所あり、被害が出た安佐北地区や、安佐南地区も含まれていた。そればかりか、大きな被害が出た一部地域は土砂災害防止法の「警戒区域」にすら指定されていなかった。過去の災害の教訓が街づくりに生かされていなかったことは大きな反省点と言える。

避難勧告の遅れについては、発令基準が曖昧だったとことに加え、未明ということもあり、下手に避難勧告を出せば逆に住民を危険な目に遭わせかねないなど、迷いがあったことが判断を鈍らせた。

内閣府が昨年の伊豆大島の災害を受けて作成した「避難勧告の判断・伝達マニュアル作成ガイドライン案」では、従来の避難所への避難だけでなく、家屋内に留まって安全を確保することも避難行動の1つと明記するとともに、空振りを恐れず早めに避難勧告を出すことや、避難が必要な状況が「夜間・早朝」になる場合でも躊躇することなく発令すること、場合に応じて「避難準備情報」を発令することなどを提案しているが、これらが現場市町村に浸透していなかった。

しかし、これらを可能にするためには、災害発生前からの、住民とのコミュニケーションが不可欠になる。行政の対応に「限界」があることを住民が知ることで、災害発生時にはじめて住民が主体的に考え、行動が起こせるようになる。逆に、住民は、行政が自分たちの生活を守ってくれるなどという甘えを捨てるべきだ。基本は自分たちで必要な情報を入手し、適切な行動をとる。そのために平時から備えをすることが自助である。行政を公助の船と捉えるのではなく、お互いに自分たちの地域を守っていく責務があることを認識した上で、平時から、行政のできること、住民が果たすべき役割を話し合い、備えておくことが重要ではないか。

 

未知の脅威への対応
今年2番目に大きな被害を出したのが御嶽山の噴火だった。

9月27日に噴火した御嶽山は、噴火の予知ができず、結果として57人が犠牲になり、依然6人が行方不明のままだ。9月11日には1日80回を超える地震が観測され地震活動が活発になっていたにもかかわらず、それが噴火の前兆とは分析されず、さらに、こうした情報が住民レベルまで届いていなかった。

過去を振り返れば、2000年3月の有珠山噴火では、地震活動が活発化したことから、直前に噴火を予測する緊急火山情報が発表され、これを受け周辺住民の避難が行われたことから1人の犠牲者も出さなかった。2009年2月の浅間山の噴火でも、噴火前に警戒レベルを上げ、これにより道路規制などが行われ噴火被害を最小限に抑えることができ、いずれのケースでも噴火予知は機能した。

しかし、これらの予知はたまたま機能したかもしれないという謙虚さを、行政も、住民も忘れ、自然災害の脅威を軽視してしまっていた。

現在、国内で選定されている110の活火山のうち、常時観測されているのは47のみ。これらの火山は、気象庁が2009年6月に、中長期的な噴火の可能性および社会的影響を踏まえ「火山防災のために監視観測体制の充実等の必要がある火山」として選定したものだ。御嶽山は常時観測の火山に含まれていたが、火山噴火予知連絡会の藤井敏嗣会長は、御嶽山の噴火前から「火山の観測ができているからといって、火山噴火予知がすでに確立しているというわけではない」と指摘してきた。山の中でマグマの状況がどうなっているかは、残念ながら現在の科学レベルでは完全に把握できないということだ。

実際、今年3月には箱根山で活発な地震活動が観測されたが噴火に至らなかったし、蔵王などでは、今も地震活動が観測されている。重要なことは、こうした未知の領域があることを行政も住民もそして専門家も正しく認識した上で、平常時から、少しの変化などでも空振りを恐れず伝える「リスクコミュニケーション」だろう。その意味では、広島の土砂災害と同様、行政と住民、そして専門家の平時からの関係が問われている。

我々が経験したことのない災害は噴火だけではない。大火災、エボラ出血熱や強毒性新型インフルエンザなどの感染症、スーパー台風など数を挙げればきりがない。これらに対応するためにも平時からのリスクコミュニケーションが不可欠になる。

 

行政の限界を超えた住民力
最後に、公助の限界を理解し、住民が自助を果たした事例として長野県の神城断層地震での住民の対応を紹介したい。

地震直後の白馬村堀之内地区の様子

11月22日に発生した「長野県神城断層地震」の住宅被害は全壊77棟、半壊136棟、一部損壊1624棟(12月24日時点長野県発表)におよんでいる。近隣の住民たちが下敷きになった家屋の中から被災者を助け出すことなどにより1人の犠牲者も出さなかったことは「白馬の奇跡」と呼ばれるまで評価されている。

長野県警の発表によると、被害が大きかった白馬村神城(堀之内地区)では、26人が倒壊した民家の下敷きになるなどしたが、全員が救出された。多くが近隣住民の手助けによるものだった。

農村部ということもあり、農機具や山林整備に使う器具を持っている家が多かったことが幸いだったとも言えるが、近隣を知り、普段から助け合う共助ならぬ「近助」が機能した防災のモデルケースであったことは確かだ。

その裏付けとも言えるのが、白馬村が4年前から作成している「災害時住民支え合いマップ」だ。災害時に自力避難が困難な高齢者や障害者の住宅を地図に落とし込み、誰が手助けするかを地域で決めて地域で共有するためのもの。

区より小さな組の単位で地図をつくり、要支援者のいる家屋に赤い〇のマーク、支援する側に青い〇のマークをつけるなど、住民が助け合える仕組みを構築してきた。

ちなみに白馬村は29の行政区に分かれている。地区ごとに「区長」を頂点としたピラミッド型の住民組織が築かれ、86世帯230人の堀之内地区では、地区の下に10世帯ほどを束ねる8人の組長が、さらに組長の下には補佐役もいる。

こうした組織単位で、マップの作成や更新を通じ、 誰がどこにいるか普段から声をかけ合い、何かあったときも 『あの家にはお年寄りがいる』 『あの家には何人住んでいる』と直ぐに分かる仕組みができていた。こうした備えが死者ゼロにつながったと、白馬社会福祉協議会の山岸俊幸事務局長は話す。

災害時住民支え合いマップは、 長野県が2005年にひな形を示し、県か市町村に策定を促してきた。2014年3月末時点で、県内77市町村のうち、66市町村が取り組んでいる。白馬村では目標29地区中、堀之内地区を含む16地区が策定済だ。

一方、被害が大きかった大北地域に限って言えば、公設消防により救出された例はわずか2件にとどまる。

地震が発生した11月22日は、1人が非番で、10時半ぐらいに最初の電話が入った。内容は、被災中心地からは離れた八峰根のロッジで、倒れてきたスキーで手を切ったという軽傷だった。その後、11時ぐらいに被害が最も大きかった白馬村の神城地区から住民が下敷きになっているとの救助要請が入り、救急車が出動。現地に到着すると、地元住民が下敷きになっている現場へ案内し、救出活動にあたった。救出した被災者は、20キロほど離れた大町市内の病院に搬送。代わりに応援の救急車が広域消防本部から駆けつけ、もう1人を救出した。公設消防での救出はこの2件だけだ。

消防の活動が遅かったわけではない。白馬村、小谷地域を管轄する北アルプス広域消防署には、常時緊急出動できる車両が2台しかなく、職員はわずか8人体制。毎日、1人が非番になるため、実質動けるのは7人。1台の救急車あるいは消防車に3人が乗って出動すれば、1人しか残らない。これで、約447平方キロメートル、人口約1万2000人の地域を管轄するわけだから、手の回しようがない。

驚くことに、白馬に次いで被害が大きかった小谷村からは救助要請も入っていないという。小谷村では、家屋の全壊などが比較的に少なかったこともあるが、被災直後から地元消防団が見回りを開始し、危険家屋の住民を避難所に移すなどの活動にあたった。もともと、1軒1軒が離れポツリポツリとたつ山間部では、近所を見回るだけでも限界がある。その意味では、消防団の活動が共助の限界を助ける上では今後も期待されることは間違いない。公助の限界があることを知り、防災に備えたことが白馬、小谷の奇跡を生んだと言えよう。

 

住民力におけるこれからの課題
ただし、白馬の事例を、本当に「美談」だけにしていいのかという点については、あえて課題を提起しておきたい。公設消防に限界があるとは言え、住民が危険な地域で救出活動にあたることが、十分な検証がないまま「美談」とされてしまってはならない。現地には、1階がつぶれ、2階が中ぶらりになった建物もある。ちょっとした作業で、建物全体のバランスが崩れ、二次災害に発展することは十分考えられる。

今後の対策として求められることは、当然のことながら、住民による救出活動の負荷をなるべく減らすために、耐震化や家具の転倒防止について、一層推進していく必要があるということ。特に一人暮らしの高齢者などは、費用のかかる耐震化への理解を得ることは難しい。しかし、仮に被災してしまった時に、救出にあたってくれる近所の方までを危険な目にあわせるかもしれないということを認識してもらえば、多少なりとも耐震化への動機付けにはなるかもしれない。「自分はどうなってもいい」という考えは、共助の根底を揺るがす。支援者側だけでなく、要支援者の防災教育が今後は求められる。

一方で、救出する側にもルールが必要だ。勇猛果敢に被災家屋から被災者を助けることは、結果が無事ならば、それほどありがたいことはないが、もし自らが被災すれば、自分を助けようと、さらに多くの人が被災する危険性もある。

例えば、見回りに行く時には必ず2人以上で回る、危険性の判断を十分に行った上で自らの安全性が確保できれば救助にあたる、そうでなければ公設消防の到着を待つ、救出後の搬送先を決めておくなど、あらかじめ対応の心得を持っておくことも重要ではないか。

東日本大震災で甚大な被害を被った岩手県大槌町では、安渡地区が独自の地区防災計画づくりに取り組んでいるが、その中で、老人への避難の説得は15分までにするというルールを検討している。この地区では、駄々をこねる老人を「こすばる老人」と呼んでいるが、東日本大震災では津波警報が発せられても「ここから動きたくない」と、駄々をこねる老人が多く、老人の避難を支援している最中に津波に巻き込まれた消防団員も出てしまった。

来年は阪神・淡路大震災から20年目を迎える。おそらく、あと1つでもマグニチュードの値があがれば、白馬、小谷だけでなく長野市を含めた街は、当時の神戸の姿のように一変していたことを肝に銘じておかなくてはならない。

災害は突然やってくる。今日できることは今日やっておかなければ必ず後悔する。個人でできること、家族でできること、そして隣近所で、地区全体へと弾み車を回していくことが求められる。