特集:BCPで生き抜く

営業への影響を避けた
ライフライン途絶でも復旧

配電盤メーカーの国分電機は、茨城県常陸大宮市にある工場が被災した。4日間の停電、10 日以上の断水、そしてガソリンが手に入らないという状況の中、BCP で定めた目標時間内に主要業務を再開させた。

「とにかく茨城工場との連絡が取れませんでした」同社でBCP 策定を中心となって進めてきた取締役業務本部長の赤司善治氏は東日本大震災の発生直後の様子をこう振り返る。東京都が昨年度に実施した「BCP 策定支援事業」に参加し、昨年11 月に初めてBCP をつくり上げた。その矢先のことだった。

計画では、携帯電話で安否を確認することになっていたが、まったく電話が通じず出足からつまずいた。ようやく工場と連絡が取れたのは、地震発生から2時間近くが経過した午後4時半過ぎのことだった。その電話も数分間で切れ、翌朝まで通話ができない状態が続いた。

茨城工場は内陸寄りに位置しているため津波による直接的な被害の心配は無い。しかし、数分間の通話では、震度6強の揺れで、建屋内部で一部天井が落ちたり壁が崩落するなどの大きな被害が出ていることが判明した。ただ、当日働いていた93 名ほどの従業員については1人が頭を打撲するなど軽く負傷した程度で大きな人的被害が無かったことも分かった。ちなみに、工場は20 数年前に建てられた鉄骨ALC造で耐震基準は満たしている。数分間の通話では、作業ができる状態ではなかったため、マネージャークラスを残し、一般従業員とパート社員はすべて帰宅させたことまで報告を受けた。

被災当日は工場長と副工場長が東京出張で不在だった。それでも、現地では代理の課長が指揮命令をつかさどり混乱は起きなかったという。同社が策定したBCP では、偶然にも、工場長と副工場長の不在時に茨城工場が被災するという今回の被災と同じシナリオを立てていたのだ。

一方、東京本社では、被災当日に社長をトップとする災害対策本部を立ち上げ、翌朝、工場長と副工場長が合流。茨城工場の復旧について本格的な検討を開始した。

BCP では、茨城工場が被災した場合は鹿児島にある工場で代替製造をすることを定めていたが、鹿児島工場の生産能力は茨城工場の7割程度で、生産体制をシフトすると、その間は夜間操業したとしても生産力が落ちる。また、作業員の移動や物流の切り替えにも多大な手間や時間を要するため、簡単には決定ができなかったとする。

とにかく詳細な被災状況をいち早く確認する必要があったため、工場長と副工場長は即、社用車で、茨城工場に向け出発。常磐自動車道が使えないため、一般道を走り、翌日未明に茨城工場に到着した。

被災の詳細が明らかになったのは13 日(日曜日)。ライフラインは、電気、ガス、水がすべて止まっていた。工場内の機械は位置ずれを起こし、ボイラーの配管や配電盤の塗装廃液を浄化する装置も被災している可能性があり、復旧には時間がかかることが予想された。鹿児島工場には、いつでも代替生産が行えるようスタンバイをさせていたが、機械類に大きな損傷が無かったため、ライフラインの復旧を待って茨城工場での操業再開を目指すことにした。


こうした状況の中でも、顧客への連絡は冷静に実施することができた。もともと同社のBCP は、競争が厳しい業界内で、被災時に顧客を奪われることがないよう、営業対応に重点を置いた内容になっている。赤司氏は「明確に復旧の見通しを伝えられる状態ではありませんでしたが、相手が不安にならないよう被災状況の説明などには慎重に言葉を選び、状況が確認でき次第、連絡をすることを伝えた」と


する。

14 日(月曜日)の段階では、従業員の3分の2ぐらいが出勤したが、断水によりトイレが使えず、自宅が被災した社員もいたため、基本的に半日交代の勤務体制とした。社員の精神状態や、家庭の状況にも配慮した勤務体制にシフトしたことは、モチベーションを維持する上でも大きな要素となった。

■想定外はガソリンの不足

今回の被災で、最も想定外だったというのがガソリンの不足だ。

「ガソリンについては人海戦術でスタンドに並ぶしかありませんでした。本社から運ぶわけにもいきませんし、山間部で物を買いにいくのも車が必要ですから、頻繁に工場に出勤しろとも言えない状態でした」(赤司氏)。

水の復旧も12 日目と、予想以上に時間がかかった。が、仮設トイレの設置や、鉄板の洗浄作業に水を使わず、昔ながらの工法であるシンナーに変えるなど柔軟な対応で乗り切った。

さらに、電気が4日半もの間、止まったことが誤算だった。茨城県北部地震を想定した同社のBCPでは、電気は3日目には動くと考えていた。

このほか、建屋の復旧については、設備のメンテナンス会社や建設会社との連携が課題として浮き彫りになった。まず、工場のシャッターが歪んで開閉ができない状態だったが、地元のシャッター業者は、同じような被災企業の対応で忙しくてつかまらない。建屋の修理については、工場を建設したゼネコンと調整ができているはずだったが、ゼネコンは医療機関など人命に関わるような重要施設を優先復旧しているため、手を回してもらうことはできなかった。

結局、建物修理については、自社のグループ会社である電気工事会社が紹介してくれた建設会社に対応してもらった。

■12 日目で80%の生産体制に復旧

工場が本格稼働したのは12 日目。この時点で、被災前の80%のレベルでの生産体制を可能にした。

BCP では10 日以内に平時の50%まで稼動率を復旧させる目標を立てていた。これに対し、今回の被災では復旧が2日ほど遅れたが、稼動率は目標を30%上回った。

「想定していた震度5強より揺れが強く、ライフラインの被災やガソリン不足など想定を大きく上回る被害の中、概ね目標を達成できたことは大きい」と赤司氏は語る。

■BCP で受注増

写真を拡大BCP策定を中心となって進めてきた赤司取締役

今後、BCP を見直すポイントとして赤司氏は、まず、安否確認体制を見直すことを挙げる。「電話が普通に通じるようになったのが3日目ぐらい。全社員のメールアドレスを登録するとともに、メール以外にも、何通りか連絡が取り合える方法を考えていきたい」( 赤司氏)。また、シナリオについても、もっと多くの想定を取り入れ、継続できる体制を整備していきたいとする。「深く考えれば考えるほど、議論が空転して前に進まなくなってしまいます。今回のマグニチュード9のような地震を想定すれば、あきらめるしかないし、思考も止まってしまう。どのくらいの想定まですべきかは難しいですが、想定外の被害がありうることを視野に入れながらも、まずはできることをやっていきたい」(同)。

評価できる点として赤司氏は、営業面での成果を挙げる。3月の売上は、大幅な落ち込みを想定していたが、結果的には、配電盤の修理などの受注が増え、当初計画より、売上が上がった。

「もしもBCP を策定していなかったら、ここまでスムーズには復旧ができなかった」と赤司氏。事業継続の目的や、初動の手順、優先して復旧すべき業務がしっかり整理されていたことで、決定1つ1つに迷いやブレが生じなかったことが大きいとする。

同社では、近く、今回のBCP の検証を行い、より実効性のある計画に高めていきたいとしている。