トップの“暴走”を誰も止められず

経営陣の編集への「過剰な介入」がかえって危機を拡大

寄稿 メディア研究家/早稲田大学メディア文化研究所招聘研究員 井坂公明

 

1982年に端を発する朝日新聞の慰安婦誤報問題は、2014年8月に至って火を噴き、読者の信頼失墜、部数の激減など大きなダメージを同紙にもたらした。32年間も誤報記事を取り消さなかったこと、14年8月5日の記事取り消しの際謝罪をしなかったこと、謝罪の必要性を指摘したジャーナリスト・池上彰氏のコラムの掲載を拒否したことなど、経営陣の対応には判断ミスが目立つ。浮かび上がってくる危機管理のポイントは、一般企業にも共通するトップの資質の問題とトップの“暴走”を誰も止められなかった社内体質、新聞社に特有な「経営と編集の分離」の問題などだ。社外の有識者で構成する慰安婦報道を検証する第三者委員会が14年12月22日に公表した報告書(以下「報告書」という)などを基に、この事例をメディアにおける危機管理のケーススタディとして考察した。

 

1. 慰安婦誤報問題とは

朝日新聞は82年9月2日付紙面で、済州島において山口県労務報国会下関支部動員部長として慰安婦とする目的で多数の朝鮮人女性を強制連行した、という吉田清治氏(故人)の証言を掲載した。歴史学者の秦郁彦氏は吉田氏に対する取材や済州島での現地取材を踏まえ、92年4月に吉田証言は疑わしいと指摘したが、同紙はその後も証言記事の掲載を続行。97年3月31日付特集紙面では「真偽は確認できない」と記載したものの、訂正や取り消しは行わなかった。

朝日新聞は14年になって、8月5、6両日付朝刊に検証記事を掲載し、吉田証言が誤報であったことを認め、吉田氏関連の初報を含む16本の記事を取り消した。しかし、謝罪の文言がなかったため、同紙にコラムを連載していた池上氏は8月29日付朝刊に掲載予定だったコラム用に「過ちは潔く謝るべきだ」という趣旨の原稿を送ったが、朝日側は掲載を拒否。これに対し、読者などから報道機関が言論・表現の自由を封殺するものだなどの批判が噴出。木村伊量社長(当時)が、問題化していた福島第一原発事故に関する吉田昌郎所長(故人)調書の誤報問題と併せ、責任を取って辞任する事態となった。

 

2. 誤報発生から記事取り消しまで
 (1982年9月2日~2014年8月4日)

◇訂正嫌がり、問題先送りのまま時が経過

危機管理の第1のポイントは、82年の吉田証言報道以来、なぜ32年間も訂正・取り消しをしないまま放置してきたのかという問題だ。これは木村社長ら14年当時の経営陣だけの責任ではなく、82年以降の歴代経営陣の責任でもあるが、この間、朝日新聞には少なくとも2回、訂正・取り消しのチャンスがあった。最初は秦氏が92年4月に、現地調査などを基に吉田証言は疑わしいと指摘した時。次は97年3月の特集記事で慰安婦問題を大きく取り上げた時だ。

報告書は、秦氏の調査結果は吉田証言と正面から抵触するものであったのだから、吉田氏本人へのインタビュー以外の裏付け調査や秦氏のような批判の存在を紙面化するなどの対応が求められたと指摘。にもかかわらず、朝日新聞は吉田証言について引用形式にするなどの「弥縫(びほう)策」をとったのみで、現地取材もしないまま同証言の取り扱いを減らすなどの消極的な対応に終始したとして、「これは読者などの信頼を裏切るものであり、ジャーナリズムのあり方として非難されるべきである」と批判した。

97年の特集についても、報告書は、済州島での裏付け取材は短期間のもので徹底的な調査ではなかったこと、吉田証言を裏付ける証言は出てこなかったこと、吉田氏本人への接触を試みたものの応答を拒まれ話を聞くことはできなかったことなどの事実関係を確認。特集で同証言の「真偽は確認できない」と記したことに関し、これを訂正と見ることはできないとした上で、「訂正又は取り消しをすべきであったし、必要な謝罪もされるべきであった。しなかったことは致命的な誤りであった」との見解を示した。

さらに、97年の特集の後、担当した社会部デスクは「以後、吉田証言は記事では使わないように」と記載した社内連絡文書を出したが、この文書は社内で意識されたとは言えず、吉田証言をめぐる問題は社内の整理としても曖昧な状態となり、改めて検証されないまま14年の検証に至ることになったと指摘した。

報告書はそうなった要因として、①自分や自分の属する部署が関与していない記事について当事者意識が希薄だった、②担当記者が代々資料を引き継ぐとことはなく、デスク間でも明確な引き継ぎのルールがなかった、③訂正・取り消しについて統一的な基準・考え方がなく、ルールが不明確だった、④社内で意思疎通が不十分で、活発な議論が行われる風土がなかった―の4点を挙げている。

これに関し、池上氏はネットのインタビューで「吉田証言は『不良債権』そのものだった。処理をしないで放置している間にどんどん膨らんでしまった」として、日本企業に特有な「問題先送り体質」が背景にあったと指摘する。

また、一般的に新聞社においては「訂正は記者の恥」という意識が強く、年に数回訂正を出した記者は地方へ飛ばされるとうわさされる新聞社もある。朝日新聞記者有志が出版した「朝日新聞 日本型組織の崩壊」(文春新書)は、誤報を認めれば記事を書いた記者だけでなく上層部のキャリアにも傷がつくという組織の内部論理が、訂正・取り消しを極端に嫌がる姿勢を生んだとの見方を披露している。

訂正・取り消しを嫌う社内体質の下で、担当記者やデスクが次々に代わり、経営陣も含め強いリーダーシップを取る責任者がいないまま、時間が経過していったというのが実態のようだ。

 

3. 誤報記事の取り消し
 (2014年8月5日、6日)

◇安倍政権の動きが影響

第2のポイントは、32年間も放置していたのに、なぜ昨年8月になって記事の取り消しに踏み切ったのかという点だ。報告書によると、11年12月に韓国の日本大使館前に慰安婦像が設置され、朝日新聞の過去の報道が再び日本国内で批判されるようになったのを受け、12年5月に吉田慎一編集担当らが吉田証言問題について秘密裏に「下調べ」を実施する方針を決定。同年秋ごろ、安倍政権が誕生した場合には、慰安婦の募集、管理などで全体として強制性があったと認めた河野談話の見直しや朝日新聞幹部の国会証人喚問もあり得るとの観測が浮上したことも下調べの動機となった。吉田清治氏の子息や記事に関与した主な記者からの聞き取りなどを13年1月ごろまでに済ませ、元々記事にする前提ではなかったので、内容をファイルにして一旦終了した。

14年2月中旬ごろから、安倍政権による河野談話見直しの動きに経営陣が危機感を抱き、本格的な検証を行わざるを得ないとの考えが強まった。3月下旬に社内に検証チームを設置。14年中に記事化する方針を固めた。当初は政府による河野談話検証結果発表の後に、6月ごろに記事にする予定だったが、サッカー・ワールドカップの開催時期を避けたりした結果、最終的に8月上旬に落ち着いた。これに関連して、経営幹部はこの検証は危機管理に属する案件であるとして、経営幹部がその内容に関与することとしたという。

14年8月当時ゼネラルマネジャー(GM)兼東京本社報道局長だった市川速水氏は、なぜ8月に記事を取り消したのかについて、「抵抗の拠点から 朝日新聞『慰安婦報道』の核心」(青木理著、講談社)のインタビューの中で、安倍政権による河野談話の検証結果が6月20日に公表されたこと、15年が戦後70年、日韓国交正常化50年に当たり、慰安婦問題が日韓関係などのトゲになっていることを踏まえ、ここで朝日新聞のよって立つところを整理・確認して次の段階に進もうとの意図があったと説明。元主筆の若宮啓文氏も同書の中で「吉田証言について遅まきながら明確に取り消し、身ぎれいになった上で言論戦を挑もうという気持ちだったのでしょう」と推測している。

これに対し、朝日新聞関係者は木村氏が社長時代に、NHK番組改変問題で同紙と対立していた安倍晋三首相と数回会っていると指摘した上で、「今回の(誤報取り消しの)背景には、安倍政権へのすり寄りの問題があるのではないか。安倍政権が長期政権になると思ったのではないか」との見方を示している。いずれにせよ、河野談話の検証などの安倍政権の動きが影響を与えたのは確かだと言えよう。

 

◇進退問題への波及恐れ、謝罪を削除

最大のポイントは、誤報を認めながらなぜ謝罪しなかったのかという点だ。報告書は、吉田証言の裏付けは取れず虚偽性をうかがわせる資料も確認できたことから、現場の検証チームは訂正しておわびする方針で固まり、7月15日までに紙面案を作成したが、16日の協議で木村社長が反対したため、おわびは削除して「反省」を表明するにとどめたとの経緯を明らかにしている。朝日新聞によると、木村社長は反対した際、「経営に重大な影響を及ぼす可能性がある」ことを理由に挙げたという。

経営幹部が危機管理の名目で編集に介入したことに関して報告書は、「組織体として新聞の発行事業を行っている以上、あり得ること」と一定の理解を示しながらも、謝罪しなかった点は「誤りであった」と断定。さらに「報道の自由が国民の知る権利に奉仕するものであることから憲法21条の保障の下にあるということを忘れ、事実を伝えるという報道機関としての役割や一般読者に向き合うという視点を欠落させたもの」と厳しく批判した。

また、編集部門に「謝罪すべきだ」との意見があったことに関して、「(経営幹部の判断に)反対する者は、できる限り議論を尽くし、そのような結論になるのを回避する努力をすべきであり、…このような努力が十分尽くされたとまではいえない」と、編集幹部らの努力不足を指摘した。

この点に関し、当時他紙の編集局長に相当するGM職を務めていた市川氏は「抵抗の拠点から」の中で、「僕はリスク管理という観点で見ていたから、何を選択してもそれなりのリスクはあると。おわびに関しては入れたときと入れなかったときのリスク…そういう何十通りの中から選んだわけで、僕自身はどれがベストかとはいえませんでした」と、トップによるおわびの削除方針に異論を唱えなかったことを明らかにしている。

木村社長がなぜ謝罪に反対したのかについて報告書は「謝罪することによる影響の一部に強くとらわれて判断したもの」との曖昧な表現でしか触れていない。

市川氏はこの点について、「抵抗の拠点から」で①おわびが前面に出てしまい、一連の慰安婦報道すべてをおわびしているように受け取られかねない、②おわびをすれば当然、どう責任をとるのか、社長が辞めろと、すぐになりかねない―との理由を挙げている。重点は後段にあり、謝罪が経営トップの進退問題につながることを恐れたと受け取られても仕方がないだろう。

そもそも朝日新聞の慰安婦報道に関しては、いずれかの時点で、誰かが決着をつけなければならなかった。同紙の過去の事例を見ても、89年のいわゆる「サンゴ記事捏造(ねつぞう)事件」では当時の一柳東一郎社長が引責辞任している。今回も結果的に木村氏が社長を辞任することにはなったが、当初から朝日新聞の経営幹部に慰安婦誤報の重大性に関する厳しい認識が欠けており、謝罪・引責がなくても何とか乗り切れるとの安易な見通しもあったのではないか。

 

4. 池上コラム掲載拒否
 (2014年8月下旬~9月上旬)

◇他紙の反応に驚き続報取りやめ

8月5、6日の検証記事以降の朝日新聞の対応については、なぜ慰安婦問題に関する続報を出さなかったのかという指摘が少なからぬ識者からなされている。市川氏はこの点に関し「抵抗の拠点から」の中で、「あの検証記事にはもっと内容がたくさんあったので、それを連日打っていくという計画もありました」とした上で、「ただ、正直いうと、雑誌はともかくとして、他紙までがネガティブにとらえて、次の日から批判的なキャンペーンを始めてしまった」と告白。読売新聞や産経新聞などの強い批判が想定外だったことを続報を取りやめた理由として挙げている。

しかし、新聞界を全体として見れば、少なくとも池上コラム掲載拒否問題が表面化した9月初めまでは、読売、産経両紙を除く全国紙、地方紙はほぼ「静観」の構えで、両紙に同調する論調やキャンペーン的な動きはほとんど見られなかった。例えば、毎日新聞は8月29日付朝刊で朝日新聞の検証記事の不備を指摘したが、第3社会面という目立たないところに記事を掲載している。

続報を掲載しなかったのは、朝日新聞が浮足立っていたというか、読売、産経両紙や一部週刊誌の批判に過剰に反応した結果だという気がしてならない。

 

◇トップと身体張った議論できず

謝罪問題と並んで重大な問題は言論の自由にも関わる池上コラムの掲載拒否だ。報告書は、池上氏に連載コラム「新聞ななめ読み」で慰安婦問題の検証記事を論評してほしいと依頼したのは朝日新聞側であり、慰安婦問題を論じた池上コラムは14年8月29日付朝刊に掲載される予定だったなどの事実関係を明らかにした。

それによると、池上氏は27日午後、朝日新聞の担当者に原稿をメールで送信。担当者は「過ちは潔く謝るべきだ」との見出しを付けた。当時経営幹部は8月の検証記事に対する他の新聞などの反応を注視しており、池上コラムについても杉浦信之編集担当ら危機管理を担当していた役員と木村社長らが目を通した。

27日夕方になって木村社長が掲載に難色を示し、見出しをマイルドにするという妥協案も退けた。渡辺勉ゼネラルエディター(GE)兼東京本社編成局長は杉浦担当に対し、「原稿を載せなかった場合、慰安婦を巡る問題の議論が言論の自由を巡る問題に変わってしまう」と掲載を主張したが、杉浦担当は「これ(掲載拒否の判断)は経営上の危機管理の観点からなされたものだ」と押し切った。

木村社長は9月11日の記者会見で、自分はあくまで感想を述べただけで掲載見送りを決めたのは杉浦担当だと説明したが、報告書は「編集部門は(池上氏の原稿を)そのまま掲載する予定であったところ、木村が掲載に難色を示し、これに対し編集部門が抗しきれずに掲載を見送ることとなったもので、掲載拒否は実質的に木村の判断によるもの」と認定した。やはり「謝罪」となると経営トップとしての責任問題が浮上するので、これを警戒したということではないか。

報告書は編集部門の対応にも触れ、「可能な限り意見を述べ、議論を尽くして、掲載拒否の結果を招かないよう努力すべき」であったが、「努力が十分とまではいえない」とトップの“暴走”を止められなかった責任を強調している。

特に、田原総一朗委員は報告書の個別意見で、謝罪問題と池上コラム問題の双方に関して「問題は最高幹部の判断が誤りであったと同時に、編集部門のスタッフがなぜ最高幹部の誤りを指摘してとことん議論を尽くすことが出来なかったのか、ということだ」と指摘。その上で「最高幹部と身体を張った議論が出来なかったことこそが朝日新聞の問題体質であり、最高幹部が辞任しただけでは体質改革にはならないのではないかと強く感じている」と警鐘を鳴らした。

 

5. 木村社長の記者会見
 (2014年9月11日)

◇慰安婦誤報を主テーマとした会見は開かず

木村社長が慰安婦誤報に関し、記事を取り消しながら謝罪の言葉がなかったこと、取り消しが遅きに失したことについておわびを表明したのは、14年9月11日の福島第一原発事故に関する「吉田調書」をテーマとする記者会見の場だった。木村氏の社長在任中は、慰安婦誤報問題を主なテーマとした会見は開かれなかった。

この点ついて報告書に言及はないが、読者への説明責任を果たすためにも、また危機管理という観点からも、慰安婦問題を主なテーマとした会見を開くべきだった。「吉田調書」の誤報を謝罪した“ついで”に慰安婦誤報も謝罪した形になったため、記者団とのやり取りも中途半端なものとなってしまい、正式な「けじめ」も先送りされてしまった。

 

6. 取締役会、臨時株主総会
 (2014年10月~12月5日)

◇読者不在の“お家騒動”

朝日新聞は14年11月14日の臨時取締役会で、木村社長が吉田調書報道と慰安婦誤報問題の責任をとって辞任し、後任に渡辺雅隆取締役が就任する人事を内定した。木村氏は「特別顧問」に就任すると発表されたが、同月28日の取締役会では「顧問」に格下げとなり、12月5日の臨時株主総会では顧問就任も辞退するなど、同氏の処遇が二転三転した。

朝日新聞関係者によると、10月には、木村氏は社長は辞任するものの特別顧問として居座りいわゆる「院政」を敷くつもりではないかとの見方が社内で強まった。これに危機感を抱いたOBの集まりである東京、大阪など五つの「旧友会」は同月20日、中江利忠東京旧友会会長(元社長)ら各トップの連名で木村氏に退陣を促すとともに役員を一新するよう求める文書を全取締役、監査役、村山・上野両社主家に送った。その後、この文書は旧友会のホームページに全文がアップされ、朝日新聞の“お家騒動”が世間に知れわたることとなり、木村氏は次第に追い詰められていった。

朝日新聞は慰安婦と吉田調書の2つの誤報で崖っぷちに立たされていたが、その期に及んでなお社内の主導権争いは激しさを増していたようで、これも読者離れの一因になったとみられる。ただ、社内には木村氏の影響力を絶ったことを当然視する声も根強い。

 

7. 第三者委員会が報告書提出、朝日新聞が「見解と取り組み」を発表
 
(2104年12月22日、26日)

◇経営が編集に過剰介入

新聞社などのメディアには、報道の自由を守る観点から、編集に関する最終決定は経営に携わらない編集部門の責任者が行うようにすべきだという「経営と編集の分離」の考え方がある。それを徹底すれば経営者の“暴走”は止められるのだろうか。

報告書は、新聞社において守られるべき原則である点は認めながらも、報道は新聞社の事業として行われるので、新聞社が組織として危機管理を必要とする場合には、合理的な範囲で経営幹部が編集に関与すること自体はあり得るとしている。

しかし、今回のケースについては、「企画立案から紙面の内容に至るまで経営による『危機管理』が先行しすぎて」おり、「『社を守る』という大義によって、さまざまな編集現場の決定が翻された」と指摘。さらに「今回の問題の多くは、編集に経営が過剰に介入し、読者のための紙面ではなく、朝日新聞社の防衛のための紙面を作ったことに主な原因がある」と断定。介入する場合でも最小限で、限定的であるべきであり、新聞記者出身以外の第三者の意見を聴く必要があると提言した。

これを受けて朝日新聞は14年12月26日に「報告書に対する見解と取り組み」を公表し、「経営と編集の分離」原則を一層尊重すると表明。今後は、原則として記事や論説の内容に介入せず、例外的に経営に重大な影響を及ぼすと判断して介入する場合には、ルールを作り透明性を保証した上で行う、との方針を打ち出した。具体的には、①社外取締役も出席する取締役会に正式議題として諮るなどして議論を記録に残す、②社外の複数の有識者で構成する常設機関を設け意見を求める、③編集部門に判断の根拠を開示して意見を求める―などの対応策を示した。

日本新聞協会は1948年3月16日の「編集権声明」で、編集権の行使者について「編集内容に関する最終的責任は経営、編集管理者に帰せられるものであるから、編集権を行使するものは経営管理者およびその委託を受けた編集管理者に限られる。新聞企業が法人組織の場合には取締役会、理事会などが経営管理者として編集権行使の主体となる」との見解を示している。

編集権が取締役会つまり経営側にあるとなると、「経営と編集の分離」原則は曖昧なものとならざるを得ない。どこまでが「合理的な範囲」なのか、「最小限の限定的な介入」なのかについて一般的な基準を示すのは困難で、ケース・バイ・ケースということになろう。

日本の新聞社のように、編集記者が部長、編集局長と昇進していって最終的に代表取締役社長に就任するという慣行の下では、初めから経営者=オーナーと編集責任者が分かれている米紙、例えばニューヨーク・タイムズなどに比べ、「経営と編集の分離」は成り立ちにくい。特に、報告書が朝日新聞の現状として指摘しているように取締役会が形骸化し、代表取締役社長に実質的権限が集中している場合はなおさらだ。トップの権限は人事権も含めて強大であり、トップは周りに言うことを聞く人間を集める傾向が強いからだ。

こう考えると、「経営と編集の分離」を慣行として定着させることは不可能ではないだろうが、それだけでトップの“暴走”を抑えるのはなかなか難しいのではないか。

 

8. 今回の事案の教訓

この朝日新聞の事例からくみ取ることができる教訓は何か。食品偽装問題などにも共通すると思われるが、①自らの誤り・間違いに気付いたら、速やかに対処する、②どこが誤りかを明確にし、謝罪し責任をとる、③トップが記者会見を開いて対外的に説明責任を果たす、④内部事情より、顧客(読者)目線による対応を優先させる―との姿勢が企業にとって必須であるということだろう。

誤りや間違いは、放置を続けても、必ずどこかの時点で表面化すると認識すべきだ。決着をつける時期が遅くなればなるほど、公表に踏み切った段階で被るダメージも大きくなる。

今回の場合、トップが現場の決定を次々に覆し判断を誤ったことが危機をより深刻なものにした。ABC調査*によると、朝日新聞は昨年8月現在の725万部からわずか半年で45万部も部数を減らした。親子2代、3代と続いてきたコアな読者で購読をやめた人も少なくない。

こうしたことを考えると、危機管理の根本はトップにあり、と言わざるを得ない。特にメディアにおいては、報道の自由がよって立つ「知る権利」や言論の自由を重くみる、資質の高いトップを選ばなければ、「経営と編集の分離」も絵に書いた餅となりかねない。トップにはこの原則をできる限り尊重する自制心や、周囲にイエスマンばかり集めず、耳の痛い話も聞くことをいとわない懐の深さも求められよう。

トップの“暴走”を防ぐ仕組みとして、社外取締役の増員など、形骸化している取締役会の活性化策も必要となろう。また、容易ではないかもしれないが、トップと「身体を張った」議論が出来るような社内風土の醸成も望まれる。

 

*日本ABC協会が実施している雑誌の発行部数調査のこと

 

Profile
井坂公明(いさか・きみあき)
1979年東京大学法学部卒、時事通信社に入社。編集局政治部次長、同整理部長、マスメディア総合本部調査部長などを歴任。2009年4月から2年間、東洋大学社会学部メディアコミュニケーション学科で非常勤講師。早稲田大学メディア文化研究所招聘研究員。日本マスコミュニケーション学会、国際危機管理学会日本支部各会員。著書に「メディアの将来像を探る」(一藝社)、「扉はふたたび開かれる」(時事通信社)(いずれも共著)など。