古河電工 BCMSの成果が試された

5拠点の被災を乗り越えた

古河電気工業株式会社(以下、古河電工)は、千葉、横浜、平塚、日光(銅箔事業所も含む2 拠点)の5つの事業所で工場の操業が停止した。建物・施設の損傷に加え、一部の事業所では、敷地内で液状化や路面の隆起などの被害が生じたが、あらかじめ策定していた事業継続計画(BCP)により速やかに業務を復旧させた。

写真を拡大工場敷地内で発生した液状化

古河電工では、「光半導体デバイス事業」を対象に、今年1 月、事業継続の事実上の国際的なマネジメントシステム(BCMS)の規格であるBS25999を取得した。同規格は、被災時でも重要業務を継続させるBCP 運用の取り組みを第三者機関が認証する際の基準となるもので、国内でも既に30 社近くが取得している。東日本大震災ではその成果が試されることとなった。

同社は国内7カ所に事業所・研究所を持ち、そのうち5 拠点が、3月11 日の東日本大震災で被災し事業を停止した。ほとんどの事業所では一時的な中断ですぐに操業を再開できたが、同社の基幹製品である光ファイバーケーブルや電力ケーブルを製造する千葉事業所では、中央排水溝が陥没し、食堂やトイレが使えなくなったほか、一部の工場施設が傾くなど設備面で大きな損傷が生じた。

敷地内では液状化現象や路面の隆起の被害も起き、これらの影響により光半導体やガラス基板の製造が中断する事態となった。光半導体デバイスの製造は同社のBCMS の対象にしている最重要事業のため早期の復旧が求められた。

写真を拡大崩壊した中央排水溝

■危険な場所には近づかない
地震発生当時、BCM 策定の中心的メンバーであったCSR 推進本部管理部の山本一郎主査は千葉事業所にいた。揺れがおさまるとすぐに大山事業所長を本部長とする現地対策本部が立ち上がった。初動対応として社員の安否確認を行ったが、山本氏は「携帯電話の通信が想像以上に繋がりにくかった」と振り返る。通信会社の通信制限により安否確認システムも十分に機能しなかった。夕方になってようやく、ほとんどの安否が確認でき、関連会社を含め全従業員が無事なことがわかった。社員の安全を守れた理由の1つは危険個所に従業員が近づかないように日常的に注意を促していたことだ。

同社では2009 年度までに、国内すべての事業所のインフラを対象にBCP を策定した。その際に建物や設備の耐震診断を行い、今年の4月から診断結果に基づいた補修工事を開始する予定となっていたため損壊の恐れがある場所については、事前に生産技術部から危険性を指摘されていた。山本氏は、「建物被害周辺に従業員は誰も近づきませんでした」と話す。

当日は、既に日が暮れかかり余震も続くことから現地対策本部では停電した工場内で被害状況を把握することは危険と判断。万が一のことを考えて製造ラインに必要なガスや電気の主要電源を止め、指示者層を除き事業所の社員全員に帰宅を指示した。

■震災5日目には事業復旧
翌12 日には、設備関係者や工務関係者が朝から出勤し、手分けをして工場のインフラを中心に点検を始めた。設備点検の指揮を執ったのは生産技術部の古屋憲章主査。古屋氏は、山本氏とともに本社でBCP の策定を進めてきた1 人だ。地震発生時には三重事業所にいたが、11 日中に本社に戻り、翌日の12 日には千葉事業所で現地対策本部と共にリーダーとして被災状況の確認や復旧の措置にあたった。

「三重事業所から東京本社に帰ったのは、情報の収集先が東京本社であることをBCP で決めていたからです。迷わずに、次の行動に移ることができました」(古屋氏)。

千葉事業所で製造される光半導体デバイス事業は、国内では他社も含め同事業所のみが扱うオンリーワンの事業。事故発生時には代替生産などバックアップ体制を築くことは難しく、BCP では建物を耐震化することで事業継続性を維持するはずだったが、補強工事が始まる前に被災してしまった。現地対策本部は被災の翌日に千葉事業所の復旧工事の段取りをつけて建設会社に施設の修理を依頼した。災害発生後、工事請負業者などは、他企業との取り合いとなる可能性が高く、優先的に請け負ってもらうためには、早い判断が不可欠だった。「BCP で優先事業が明確化されていた結果です。みんなのベクトルが決まっていたので、執行部はやりやすかった。少なくとも焦りはなかった」と古屋氏は話す。

週明けの15 日には本社の緊急対策本部メンバーが全員招集され、千葉事業所のほかに、日光事業所でも大きな被害が出ていたことから事業所間の支援体制を整えた。千葉事業所には、三重事業所と平塚事業所の生産技術本部が支援に駆けつけた。こうした取り組みにより15 日には、陥没した中央排水溝のバイパス配管工事が完了し、16 日には一部で操業が再開するまで復旧した。全社ほぼすべての事業操業体制が整ったのは25 日のことだ。BCP では4週間でフル操業に戻すことを目標としていたが、結果的に2 週間で達成した。

事業が再開するまでの間、取引先には自社の状況を伝えるとともに、取引先の事業に影響を与えてしまう製品について、日頃付き合いのある企業に代替生産を頼むなどの対策を講じた。

逆に、同業他社の被災により、同社が代替生産先として依頼される製品もあった。通常よりも業務が多くなったものについては三重事業所で対応した。

写真を拡大写真左から、CSR 推進本部管理部主査の山本一郎氏、同部管理部長の田中雅子氏、生産技術部主査の古屋憲章氏

■想定外の電力制限
多くの点でBCP が生きたとはいえ、想定外の事態も起きた。

最も大きな問題となったのが福島第一原発事故に伴う計画停電だ。東京電力からは計画停電の実施の有無がはっきり知らされなかったため、各事業所では計画停電に対応した操業体制を構築することができず、一時的に休業せざるを得ない状況となった。

日光市にある銅箔事業所では、製造途中で電気が止まった場合、溶かしていた銅が再び固まってしまい、すべての工程をやり直さなければならないため、やむなく1 週間の休業指示を出したという。この問題を踏まえ、同社では、今夏の電力制限に向けて各事業所に自家発電装置の準備を整備するほか、銅箔工場では、以前に同社の事業の一部であったコージェネレーションシステムを再稼働させる予定だ。

もう1つ山本氏が改めて重要と認識したのが、災害時におけるCSR(企業の社会的責任)のあり方だ。

震災当日、東京丸の内にある本社には、採用試験を受ける60 人もの学生が来社していた。同社では都内の交通状況から帰宅困難になると判断し、急きょ会議室を学生の宿泊場所として提供した。多くの学生は電車が運行する翌日までそこで待機することとなった。遠方から来た学生については翌日、社員が同行して見送った。山本氏は、今後はこうした来訪者の対応についてもとりまとめておく必要があると指摘している。