(写真:フォトライブラリー)

その時、避難所では何を食べていたか。
これは重要な問題ですが、時の流れにかき消されて事実が把握しにくくなっています。メディアからの情報が少なく、現地入りしないと分かりにくい。私は詳細を知りたいのですが、なかなか真相が見えてきません。

直近にあった大阪北部地震(2018年6月18日午前7時58分発生)を見てみましょう。地震の規模(マグニチュード)は6.1、最大震度は6弱で、大阪市を含む13市町が災害救助法の適用を受けました。震度6弱の揺れを記録したのは、大阪市、高槻市、枚方市、茨木市、箕面市です。発災直後に避難所に避難した人は大阪府全体で1410人、避難所数は568カ所でした。これは、大阪府の人口の1%に満たない数です。停電は翌日解消されましたが、ガスの供給停止は最大8日間、水道供給停止は3日間に及びました。

大阪北部地震では、発災時刻が通勤・通学時間帯と重なり、交通機関が全面停止し大混乱となりました。これまで経験したことがない通期時間帯の災害だったため、多くの教訓が得られました。しかし、被災者が直面した食の被害はどうだったのかは不明のままです。

被災市町の自治体の多くはアルファ化米を備蓄していて、食料全体に占める割合が多いのは高槻市、枚方市、茨木市、豊中市、守口市で100%、大阪市が82%で、13市町の平均は72%です。しかし、なぜかアルファ化米を避難所で食べたという内容の報道は見当たりませんでした。

不思議に思い、早速、災害救助法の適用を受けた13市町の災害対策課などの担当部署に調査を依頼しました(質問紙を郵送して、2018年10月1日までに100%回収:表1)。

「備蓄していた飲料水、食べ物はどの程度役立ちましたか?」と尋ねたところ、食べ物と飲み物が「とても役立った」は15%、で予想外に少ないものでした。「やや役立った」は共に60%台です。役立たなかったは共に8%でした。役立った場所は避難所が8割、残り2割は学校、駅前、断水した地域と答えています。

「どの程度役立ったのか」その理由を尋ねると、それほど大きな被害ではなかったため(大阪市)、震災発生直後は店頭から食品が消えたが、翌日からほぼ通常通り買い物ができたから(茨木市)、避難者が少なかったから(守口市)などと答えています。その中で注目されるのは「避難者の多くが食べ物と飲み物を避難所に持参したので行政が提供する機会が限定的であった」(摂津市:備蓄食料の47%が乾パン)でした。

これだ! アルファ化米を被災者が食べるシーンや記事が見られなかった理由の一つが見えました(表2)。

以下、避難所の食事の様子が伺える新聞記事を産経新聞大阪本社朝刊から拾ってみました。

地震発生翌日の記事(産経新聞大阪本社版 6/19)
○運転再開を待つ駅前ではコンビニ、売店は閉店時間を繰り上げて夕方ごろに閉まり、自動販売機の水やお茶の大半は売り切れていた。
○避難所では壁際に敷かれたマットの上に家族ごとに固まって座り、スーパーなどで買ってきた「おにぎりなど」を食べていた。
○―給水タンクが設置され、水筒やペットボトルを持参した人たちが訪れた。(高槻市小学校の避難所)

地震発生3日後の記事(産経新聞大阪本社版6/21)
○スーパーやコンビニでは発生直後に食料や水が品薄になった。コンビニではカップ麺、冷凍食品、水がまたたく間に売り切れた。
○食事は冷凍食品ばかりで「体調面が心配」という人もいる。備蓄は大切であると実感している。

地震発生1週間後の記事(産経新聞大阪本社版6/25)
○ガスが止まったため、スーパーで大量に冷凍食品を買い込んで自宅の電子レンジで温め、避難所に持ち込んで食べる。ガスが復旧した23日、好物のオムライスを自宅で作り避難所で待つ子どもに持って行って食べさせた。

避難所で食べるのは備蓄食ではない

避難所に、自宅から温かい食べ物・飲み物を持ち込んで、家族で食べるという状況が読み取れます。それらの食べ物は大急ぎで店に行き、買い込んだおにぎりや冷凍食品などで、いわゆる備蓄品ではない。また、生活水は地域や避難所に来た給水車からもらった様子が読み取れました。

これでほぼ避難所での食事の様子が断片的に分かりました。行政の備蓄した主力のアルファ化米をご飯にして食べていないのでしょう。避難所には自分好みの日常に近い料理品を持ち込んで食べていたことが推察され、いわゆる災害食の出番は少なかった訳が分かりました。災害時、被災した人々はできるだけ新鮮で日ごろ食べている食べ物に近いものを欲しがっているようです。

一方、行政の差し出す災害食はどうでしょう。高度の加工技術を使って手間を掛けて作っていますが、それは日持ちするための工夫です。阪神・淡路大震災以後、災害食が出始めたころの賞味期限は約3年でした。しかし「3年では短すぎる」とダメ出しされ、「もっと長持ちさせよ」と急き立てられ5年モノになり、近ごろでは7年モノが出現しています。これは言ってみれば、食べ物の「化け物化」です。経済効果を優先させているからです。

被災者の本音は、鮮度の高い食べ物が欲しい、死に絶えた食べ物は要らない「普段着志向」です。一方、行政は「丈夫で長持ち志向」です。両者は別々の方向を目指し、ますます開きが大きくなる。いったい将来どうなるでしょうか? おそらく被災者は、行政を見放しそっぽを向くでしょう。そして非常持ち出し袋を充実させ、自助へと方向転換するような気がします。これを明るい兆しと考えますか?

熊本地震でもアルファ化米は食べられていない?

ご質問は?
Q. 災害時は全壊、津波、火事などでせっかく入念に用意した非常持ち出し袋を見失ってしまうこともあります。そのリスクをカバ-できるのは、やはり公助:行政です。行政も腰を据えて災害食を充実させてほしいと思いますが、いかがですか?

A. 素晴らしい質問です。「まさに、おっしゃるとおり、拍手です」「自助は大いに結構。同時に行政はもっと人々に歩み寄らなければ……」「要は災害発生後の1週間までが決め手。行政は傍観者ではなく、スピード感のある対応が求められていると思います」
(グラフでは4~5日間の対応が求められる)

 

Q. アルファ化米は、発災後どの時点で食べられるのでしょう? 熊本地震ではアルファ化米はもっと食べられたんではないですか?

A. 熊本地震は、ほとんど炊き出しで、アルファ化米はそれほど食べられていないと思います。なぜなら私の知る限り、九州では鹿児島県だけがアルファ化米を備蓄していて、他の県は米を備蓄していたのです。実際、おにぎりの炊き出しでは食中毒事件が発生しています。
アルファ化米を食べるのは、発災後、避難所の中で被災者が定位置に納まり、やれやれと座れるようになり、人手がそろって、役割分担などをして行政からアルファ化米が運ばれてきてようやく用意が始まるのではないかと思われます。おそらく1週間後ぐらいでしょうか。熊本日日新聞では、本震の4日後に当たる4月20日にアルファ化米が配られている記事が載っています。熊本地震でアルファ化米が載ったのは、後にも先にも、これが初めての記事です。
今回は、行政、避難所における災害発生後の食と備蓄についてフォーカスしてみました。

 

(了)