(写真:写真AC)

狂犬病とは

代表的な人獣共通感染病で、主に「かみ傷」から病原体の狂犬病ウイルスが侵入して伝播する脳神経系の病気です。温血動物、特に犬、猫、人を含む多くのほ乳類は、このウイルスに対する感受性が高く、ウイルス感染が起こればほとんどの場合発病し、発病すれば回復は望むことはできず、死亡を免れることはほとんど不可能です。

地球規模で考えた場合、非常に危険度は高いにもかかわらず、日本国内での注目度は低い疾病の代表例の一つが狂犬病です。狂犬病は前回ご紹介した「感染症新法」では、四類感染症に分類されています。狂犬病は、国内でウイルスに感染して発病した事例は60年間以上起きていないのですが、世界中では依然として猛威を振るっており、危険度は非常に高いまま今日に至っています。

狂犬病対策を考える場合に考えておかねばならない背景

狂犬病およびその対策について理解していただくために、感染病対策が取られる場合に必須となる事項をまず紹介します。

■感染病の発生には3つの要素が不可欠
狂犬病に限らず、感染病の発生には次の3つの要素の存在が不可欠です。すなわち、①病原体、②病原体に感受性のある人(動物)、③病原体の感染経路です。これら3要素の全てがそろわない限り感染病は発生しません。ある地域で、3要素のどれか一つの要素の数値が異常に大きくなるような事態が生じた時に感染病は初めて発生します。3要素のうちの2要素の数値が大きくなると発生の規模は拡大します。逆に、どれか一つの要素の数値が限りなくゼロに近づいた時に発生は止まります。

■感染病防疫対策の基本は3要素の1つをなくすこと
従って、感染病防疫対策を実施する場合、3要素のどれか少なくとも一つの要素にターゲットを絞り、そこを重点的に攻めて、その要素の数値を限りなくゼロに近づける方策を講ずることが考えられます。
例えば、「消毒」は、ある地域で生活あるいは活動する人(動物)、または環境を汚染しているか汚染する恐れのある「病原体」の消滅を目的としています。また、日本国内に存在していない一類感染症などの病原体が国内に初めて侵入したと診断された時には、行政が中心となって消毒と罹患者(感染者)の隔離が直ちに実施されます。隔離は、「感染経路」を遮断して病原体の人から人への伝播を防ぐことを目的に行われるもので、「病原体」が侵入したと判断された地点などで早期に実施される徹底的な消毒は、侵入した「病原体」の完全消滅が目的です。これらの措置は、病原体の存在しない元の清浄な環境に戻すために行われるのです。

汚染された環境を戻せる場合、戻せない場合

徹底的な消毒で清浄な状態に戻す
ところで横道にそれますが、口蹄疫や豚コレラ、アフリカ豚コレラのような、日本国内には病原体が存在しない、産業動物に深刻な被害を与える重要度の高い動物固有の感染病(家畜伝染病予防法で家畜伝染病、いわゆる家畜の法定伝染病に指定されている感染病)が農場などで診断された場合には、その農場で飼育されている産業動物は全て殺処分され、通常焼却または埋却されます。その上で農場全体が徹底的に消毒されます。これは、国内をそれらの病原体が存在しない、元の清浄な状態に戻すために行われるのです。人に感染して直接被害を及ぼさない感染病の場合でも、このような極めて厳格な行政対応が獣医領域ではなされています。

病原体の消滅が困難な場合はワクチン接種
一方、感染病予防のために行われるワクチン接種は、原則的には、ある地域(国)を汚染している病原体を消滅させることが困難と判断された場合、その地域(国)で生活、活動する人(動物)の「病原体感染に対する抵抗性を獲得させる」ために実施されるものです。人の感染病の場合、多くの感染病予防のためのワクチンは整備されています。現在国内で発生していない感染病に対するワクチンも、多くの場合備蓄されていると思われますので、必要性が生ずると予想された場合、早めに最寄りの保健所などにワクチン接種について相談することが推奨されます。

■ワクチンが間に合わない場合は感染経路を遮断
しかし、新型インフルエンザなど社会に大きな影響を与え、しかもワクチン開発および製造が間に合わない状態にある感染病の流行が起きている時には、可能な限り外出を控えること、イベントの中止などの防疫対策が取られます。これらは病原体の「感染経路」を遮断することにより、感染病の蔓延を防止するために実施されるものです。

■病原体が存在しなければワクチン接種は禁止(動物感染症)
動物の感染病の場合、ある地域(国)に病原体が存在しないと判断されている感染病に対するワクチン接種は禁止されています。ワクチン接種の行われる感染病は、その病原体がその地域(国)に常在していること、すなわちその病原体汚染地域(国)であることを意味します。従って、ワクチン接種は貿易上不利益を被ることがあります。

日本国内での狂犬病発生

■日本でワクチン接種が義務付けられている理由
先ほど紹介しましたが、病原体が日本国内に常在している感染病対策の柱は、ワクチン接種による感染する可能性のある人(動物)の抵抗性獲得になります。しかし、狂犬病ついては、他の感染病と取り扱いが明らかに異なっています。昭和32年以降、60年間以上の長きにわたって国内での狂犬病の発生は皆無です。この事実は、現在国内には病原体の狂犬病ウイルスは存在していないことを意味しています。従って、国内に存在しない狂犬病ウイルス対策として、国内飼育犬に対する狂犬病ワクチン接種による抵抗性賦与は必要なく、日本では、国外からの狂犬病ウイルスの侵入を防ぐ対策に限定しても問題ないはずです。それどころか、通常、国内に病原体が存在しないことが分かっている動物の感染病に対するワクチン接種は禁止されています。ところが、狂犬病の場合だけは特別な扱いとなっていて、現在でも、日本国内で飼育されている犬は、年に1回の狂犬病ワクチン接種が義務付けられているのです。

■敗戦直後は狂犬病が多発
米軍の空襲による日本中の都市の壊滅と、それに伴う混乱が続いていた太平洋戦争敗戦直後の国内各地では狂犬病が多発していました。ですから狂犬病撲滅が喫緊の課題となっていました。そこで昭和25年に「狂犬病予防法」が制定されました。この法律は、狂犬病ワクチン接種だけでなく、飼育犬すべての市町村への登録を義務化し、登録犬全てには鑑札の交付がなされます。この法律は、野良犬の存在を許さず、国内に存在するすべての犬を行政の管理下に置き、その上で国内すべての犬にワクチン接種による狂犬病ウイルス感染に対する抵抗力を賦与し、狂犬病撲滅を図る目的で制定されました。

■法施行から7年で狂犬病は消えた?
この法律は、日本獣医師会を中心に熱心に施行されています。その成果は顕著です。先ほど紹介したように、この法律の施行後わずか7年で狂犬病は国内から姿を消し、それ以降60年間以上発生していません。野良犬も激減しました。

しかし、現実には国内で飼育されている全ての犬が狂犬病ワクチン接種を受けているわけではありません。さらに、犬、猫その他多くの種類の狂犬病ウイルスに高い感受性を持つ動物の国外からの持ち込み、輸入は頻繁になされています。狂犬病ウイルスの国内侵入と蔓延の危険度は高いまま、現在に至っています。

■不法に捨てられる動物のほとんどが高い感受性
悲しい現実ですが、飼育されていた犬、猫、各種外来動物が、飼い主により不法に捨てられる事例は後を絶ちません。特に、捨てられた外来動物が各地で潜み、繁殖してさまざまな問題を引き起こしています。これら国外から持ち込まれ、捨てられた動物のほとんどは、狂犬病ウイルスに対する高い感受性を持ち続けていることが容易に想定されます。これらの危険度の高い外来動物による狂犬病ウイルスの感染および水面下での拡散は懸念され続けています。従って、飼育犬の狂犬病ワクチン非接種は、現在でも非常に危険です。

狂犬病の世界的動向

写真を拡大 (出典:厚生労働省健康局結核感染症課)

世界で狂犬病の被害はどのように起きているのでしょうか。図に人における狂犬病の世界的な発生状況を示しました。これは、少し古いデータですが、厚労省健康局結核感染症課により2016年にまとめられた1年間に発生した患者数です。この図から、発生は世界中で起きており、毎年6万人以上の多くの人が狂犬病に罹患していることが分かります。日本国内に居住する限り狂犬病に罹患する危険性は高くないのですが、国外では信じられないほど多数の人が狂犬病に罹患していることが分かります。ただし、図に示された患者数は届け出のあった数だけです。アジア、アフリカでは、実際にはこの数字以上のはるかに多くの人が被害に遭って死亡していると考えられています。ほとんどの患者が犬からのウイルス感染を受けています。

■人への感染事例が起きなかっただけ
発生地域は、アジアが非常に多く、特にインド、中国、パキスタン、バングラディシュ、インドネシアでは罹患者が1000人を越しています。日本の他、韓国、台湾、オーストラリア、ニュージーランドでは罹患者は出ていません。アフリカでの発生も顕著であることが明らかです。ヨーロッパでは、東欧で発生しています。北米では発生していませんが、南米では発生しています。ただし、狂犬病患者の発生していない国では狂犬病が発生していないということでは必ずしもありません。人への感染事例が起きなかったということだけです。

以上より、地球規模で考えた場合、狂犬病は、今なお人類の健康的な生活維持に大きな脅威を与えていることがお分かりいただけると思います。
次回は、狂犬病について詳細に紹介する予定です。

(了)