左は東京都帰宅困難者対策ハンドブック、右は大阪府が作成した一斉帰宅抑制のちらし


私は今「帰宅困難者」について考えています。なかなかいい考えが浮かばない。もちろん、制度として東京都が帰宅困難者対策条例を出したり、大阪府が「事業所における『一斉帰宅の抑制』対策ガイドライン」を出したことは意味があることだとは思うのですが、果たして個人一人一人の意識がどこまで変わったのか? 
読者の皆さんの中にも、帰宅困難を体験した人もいれば、体験したことがない人もいるでしょう。しかし、どれだけ普段の備蓄が変わったのでしょう? 

そんなわけで、今回は、帰宅困難を実際に体験した人の話から紹介しましょう。
先日、東京へ出張し(私の自宅は兵庫県芦屋市です)、ある会議で、たまたま実際に帰宅困難を体験した人と知り合うことができました。

その方はTさんという70代半ばぐらいの男性です。会議の休憩時間に入った時、「帰宅困難者のことでコラムを書こうとしているのですよ。私は体験してないから困っていましてね……」と話をしたところ、東日本大震災での経験を語ってくれたのです。

カイロを持っていればよかった

東日本大震災(2011年3月11日午後2時46分、マグニチュード9.0の巨大地震)
その時刻、彼は東京文京区東大構内にいたそうです。その後、千駄ヶ谷の自宅まで8キロの距離を歩いて自宅に帰ることになります。午後3時から歩き始めて自宅に着いたのは6時、3時間歩き続けたとのこと。

東京にお住まいの方は、東日本大震災で川崎や横浜まで歩いて帰ったとか、都内でも20キロぐらい歩いた人は多数いるとは聞いていましたが、なかなかご高齢での8キロは楽ではないはずです。では、会話の内容を再現しましょう。

Q. 道はどうでしたか?

「全く自由に歩けなかった。人が多くて信号も目の前で2回も変わるまで待ちました。それに、腹が減りましたね。コンビニでおにぎりを買おうとしましたが売り切れていてなかったです。サンドイッチもなかったですが、飲み物はありました。「おーいお茶」を買って飲みました(笑)。
スナック菓子はありました。それを買って食べましたね……」

Q. 一番困ったのは何ですか?

「寒いことと、足が痛いことでした。カイロがなかった。いつもカイロを持っているんですが、この時は、中央線で7~8分のところということで、油断していました」

Q. 飲食店は開いていましたか? そこでひと休みしようとは思わなかったのですか?

「思わなかったですね。とにかく早く帰りたかった。家が被害を受けているかもしれないという思いです。携帯電話がつながらなかったし、何の情報もないし……。
道がとにかく混んでいた。人は多いし、車も渋滞していた……」。

Q. 今は何か持ち歩いていますか?

「今は、これですよ」(笑)

 

いただいた名刺にはJ女子大名誉教授と書かれていました。お話いただき、ありがとうございました。

 

次は東日本大震災から7年経った大阪での帰宅困難者の話です。

ライスクッキーが好評

大阪北部地震(2018年6月18日朝7時58分 マグニチュード6.1)
これもつい先日のことですが、東京出張の前日、私は同じく帰宅困難者のことで電話をしていました。相手は大阪府島本町役場です。私はあちこちの危機管理課によく電話をします。大ボケの係員が多い中、この町の係員は「おやっ」と好印象が残りました。そんなわけで、朝から電話をしてみたわけです。

「帰宅困難者の対応をお聞かせください」。男性は次の内容を語ってくれました。興味深いので皆さまにお知らせします。

「地震直後の朝、JR島本駅周辺には緊急停止した車両から帰宅困難者が次々に降りて止まりました。主に通勤客です。そこで、町役場はすぐさま町の施設『ふれあいセンター』を避難所にしました。102名が入りました。このセンターは4階建てで図書館、福祉高齢者用の施設、会議室などがあります。この他に2カ所(駅から近い幼稚園と中学校)にも避難所を開設しました。最大人数は120人です。
そして、ご飯時の食べ物としてライスクッキー(尾西食品からの試供品)とアルファ化米を出しました。

ライスクッキーは好評でした。電車は18日夜9時まで止まっていましたので、翌19日まで避難所は開けておき、避難者は翌朝出て行きました。18日の昼食と夜食の2回分(240食)提供しました。

ふだんは高齢者が多いのですが、その時は通勤の人が多く、町内の人よりも町外の人の方が多かったです。途中下車したわけですから。駅には食べ物や飲み物の備蓄はなかったので、避難所と役場に置いてあった備蓄品を使いました。駅と役場が近くて助かりました。避難者は勤務地が遠いので歩けないと言っていました。タクシーもありませんでした」

この男性によれば、役場の職員3人ぐらいが避難所で案内や世話に当たったといいます。電気とガスは停止していなかったとのことですが、水道は濁っていて使えなかったそうです。

この町の備蓄は、たまごスープ(凍結乾燥の固形状に熱湯をかけるとスープになり、これは大変喜ばれる)など、少し変わったものも含まれています。本来は備蓄品として決められている重要物質の中から、選んで備蓄品を選択するのが通例のようで、そこには「たまごスープ」は入っていないとのことですが、何日も避難生活が続くと避難者は同じ種類の食べ物だけだと飽きてしまうということで、アルファ化米(4~5種類)や飲料水に加え、こうしたスープなども備蓄しているということです。気の利いた本気度の高い取り組みが帰宅困難者に勇気と安心を与えたと思われました。

「避難者が立ち去った後、部屋は食べ残しやゴミで汚れていましたか」と尋ねますと、「いやあ、皆、感謝してきれいに掃除をしてお帰りになりました」と。町の行政が、いかに行き届いた対応をしたかが分かります。

ちなみに、この島本町は人口3万1167人で、産業としてはサントリー山崎蒸留所があります。縁もゆかりもない見知らぬ人たち、それを救済することに力を惜しまず救援することが減災の原点だと肝に銘じました。お話を聞かせていただきありがとうございました

持ち歩きたい、備蓄しておきたい食べ物・飲み物

災害は時も場所も選ばずに襲い掛かります。帰宅困難者になる日はそう遠くないかもしれませんね。さて、何を備蓄して、自分助け、人助けをしましょうか? 企業人、行政人、そして市民の皆さま、ぜひ参考にください。

表:帰宅困難者のための備蓄に適した食べ物、飲み物の要件

 

表:帰宅困難者用1人分として熱、水を加えずに食べられる食品の例

写真を拡大 ※アルファ化米は例外.ヤフー個人ニュース(奥田和子)を参照

(了)