今年で26回目となる、黒潮町砂浜美術館で開催された「Tシャツアート展」
全国で最も深刻な津波被害が懸念される高知県黒潮町が、地区防災計画の策定に踏み出した。住民があきらめずに災害に立ち向かい、最終的には地域の活性化に結び付けられるように、住民主体の計画づくりが進められている。

 

編集部注:この記事は、2014年9月1日発行の地区防災計画学会誌「C+BOUSAI」に掲載した記事をWeb記事として再掲載したものです。役職などは当時のままです。(2016年6月8日)

2012年3月31日、内閣府が公表した「南海トラフの巨大地震による震度分布・津波高について(第1次報告)」は、高知県の四万十川に近い穏やかな漁業と生花の町「黒潮町」を、不本意な形で一躍全国に知らしめてしまった。「最大震度7」「最大津波高は34.4m」「海岸線に津波が到達する時間は最速2分」。中央防災会議の「南海トラフの巨大地震モデル検討会」が算出した全国でも最悪の被害予想だった。

当日は多数のメディアが黒潮町に押しかけ、報道ヘリコプターの飛ぶ音が鳴り響いた。「正直なところ、ショックで何も考えることができなかった」。黒潮町長の大西勝也氏は当時を振り返る。その日から、「津波犠牲者をゼロにする」という気の遠くなるような目標に向けて黒潮町役場と住民の挑戦が始まった。

「新たに公表された想定は、(あまりに過酷な状況のため)黒潮町の防災対策を検討すること自体が不可能になった。まず何があってもぶれない、黒潮町の『防災思想』が必要と感じた」(大西氏)。1970年生まれで高校卒業後に海外で洋ランの栽培などを学んだ後、黒潮町で農家を経営した。2010年に町長に当選し、現在2期目。

町長に当選して1年が過ぎようとしたころに、東日本大震災が発生した。もし南海トラフ地震が発生したらと危機意識は芽生えたが、具体的な被害予想数値や国の指針が出るわけではなく、何をすればいいか1年間思い悩んだという。次の年の2012年3月31日、内閣府から新たな想定が発表された。翌4月1日は日曜日だったため、大西氏は住民の問い合わせを予想して職員を休日出勤させた。しかし、住民からの問い合わせは全くなかったという。

「反応がなかったのが1番怖いと思った。みんな災害に対してあきらめているんだと感じた」(大西氏)。町で会った住民からは、「町長さん大変だねえ」と慰められることもあったという。これではいけないと感じた大西氏は、月曜日の新年度初めの職員への訓示で「津波の対策をあきらめたり、住民に不安をあおるような発言はやめよう。今後の発言の一切は、全て課題を解決するためのものにしよう」と話した。

防災の最前線にいるはずの町役場の職員から「何をやっても無理」という意識が住民に広がることだけは、絶対に避けたかったからだ。そしてこの日から、黒潮町の津波対策への取り組みが本格的に始まった。

 
 


「避難放棄者を出さない」黒潮町の防災思想

「町長から最初に言われたことは、新たな想定に対して『対策を練れ』ではなく『思想を創れ』でした」(黒潮町情報防災課長の松本敏郎氏)。

それまで黒潮町の防災計画の基礎となっていた津波高は2003年に県から発表された8m。それでも大変な高さだが、34.4mは桁が違う。おそらくそれまでの防災計画の手直しという「対策」レベルでは、限られた予算や人員の中、根本的な解決は不可能だ。町長の「対策を練るのではなく、思想を創る」という真意がここにある。

その思想を創るために、黒潮町役場では、町長はじめ防災情報課などの職員が気仙沼を中心に東北を視察し、現地のヒアリングを行った。被災地の惨状を目のあたりにして、黒潮町では圧倒的な優先度として「人命」を掲げることを改めて決意したという。そのために何を思想の中心にもってくるか。ヒアリングを通して得た結論は「あきらめない」「避難放棄者をださない」ことだった。大西氏は防災思想を創る上での本質を次のように話している。

「私は防災の本質は『自分の人生と向き合うこと』だと考えている。まず個々のより良い人生を実現するという本質があり、そこに災害が降りかかる。災害を自分の人生の中でどのくらいのボリュームで位置づけられるのか。自分が幸せになるためには、災害とどのように向きあっていかなければいけないのか。それを住民の皆さんに考えてほしいと思った」。

「避難をあきらめる」ことは「人生をあきらめる」ことに他ならない。人生をあきらめないこと。それは大西氏から住民への、防災以外の普段の暮らしも含めたメッセージだった。新たな想定の発表から1カ月あまり後の5月、黒潮町の地域防災計画は「避難放棄者を出さない」という基本理念をもって再構築することに決まった。「あきらめない。揺れたら逃げる。より早く、より安全なところへ」というフレーズを作り、犠牲者ゼロを目指す方針を策定した。

710回、3万超える住民とのコミュニケーション

「あきらめない」基本理念を創った黒潮町は、次のステップとなる住民とのコミュニケーションを開始した。しかし防災に関わるコミュニケーションが町役場にとって想像もつかないボリュームになることは予想がついた。当時の黒潮町の南海トラフ地震に対する体制は、南海地震対策係という担当セクションに2人が配置されていただけ。そこで黒潮町は全職員による防災地域担当制というスキームを考え出した。

まず、町内を集落ごとに61地区に細分化した。そこに町長、副町長、教育長、情報防災課長、南海地震対策係を除き、学校職員、保育士に至るまで黒潮町全職員およそ200人をはり付けることにした。この配置は職員の出身地に配慮し、「自分の出身地域を最優先していい」と明確化することにより、職員に主体性を持たせたという。

地域担当制を開始するとともに、同年6月から8月まで各地域でのワークショップを開催。同時に避難経路や避難場所の点検に当たった。ワークショップは延べ156回開催し、4634人が参加。避難経路295カ所、避難場所168カ所も見直した。9月には、地域ごとに住民と地域担当職員の合同開催で避難訓練を実施。10月から年末にかけて地区別懇談会も開催し、これらの成果を報告した。2013年には、さらなる地区を細分化した取り組みを開始した。目的は「戸別津波避難カルテ」の作成だ。

黒潮町の当時の人口はおよそ1万2300人。そのうち津波リスクのある地域に住むのは74%にあたる約9100人(3791世帯)。この津波リスクのある全戸に対して、戸別の津波避難カルテを作成しようとする試みだ。途方もない取り組みに見えるが、黒潮町は組織をさらに細分化することでこれを実現した。2012年に61に分けた地区を、さらに10軒~15軒の軒単位で構成される班に分けた。結果としてできた463班のうち283班が浸水の危険地域に含まれる。

戸別に避難行動計画を作成

津波避難カルテづくりの前段となるのは、「戸別津波避難行動シート」(図1)だ。ワークショップの1週間くらい前までに班内で事前にシートを配布し、家族で話し合いながら事前に記入してもらう。これをワークショップに持ちよって空白部分を埋めていき、完成させる。カルテには住民が避難地図も作成しているため、同じものを役所でも保管することで、黒潮町は町内の浸水区域についてさらに確度の高いハザードマップを持つことができたという。

ワークショップは土日を除いてほぼ1年間、毎日のように開催され、多いときには1日に2~3カ所で行われることもあったという。結果的に、ワークショップの参加率は63%、カルテの回収率は100%という驚くべき成果をあげた。

 


戸別津波避難カルテづくりでは、地区の細分化によるさまざまな利点が見えてきたという。例えば近所の出席状況が明確なため、欠席がしづらいこと。大人数でないため、1部の住民が活動を怠るといった「社会的手抜き」が排除できること。班単位のワークショップによるコミュニティの活性化や、カルテに記入することによって、記憶に定着化することなどだ。

「取り組みを開始した当初は、お年寄りは津波が来ても“逃げない”ことを自慢するような町だった。少なくとも今は逃げないことがどれだけ家族に迷惑がかかるか、恥ずかしいことかが分かり、みんなが前を向いて防災に取り組んでくれるようになったと思う」(情報防災課長の松本氏)。

 

 

地区防災計画策定に向け、説明会を開始

「カルテ」を作成した黒潮町が、次に取り組むのが地区防災計画策定だ。2014年7月22日時点では5カ所に説明会を行い、4カ所から作成するという返事をもらっているという。

「住民も、やることをやらないと行政に期待することはできない。地区防災計画は、私たちの手でしっかり作っていきたい」。海沿いに面する田ノ浦地区での「第2回地区防災計画説明会」で、区長の濱口正海氏は地区防災計画策定に対する意気込みをそう語ってくれた。

黒潮町はこれまで、津波浸水危険区域を中心に津波避難計画を作ってきたが、この地区防災計画制度を期に山間部の土砂災害や河川の氾濫など、町内の全ての災害に対応できるような地域防災計画をまとめあげたいと考えている。

「61カ所すべての地区で地区防災計画を策定するには、おそらく最低でも2年くらいかかるでしょう。ワークショップも、少なくとも900回は実施されると予想している。専門のコンサルタントが入ればもしかすると10回くらいで終わるのかもしれないが、住民が自らの手で作ったというプロセスが大事だと思っている」(松本氏)。

 

最終的に黒潮町が目指すのは、地域コミュニティの活性化だ。昨年は町ではなく消防団が防災シンポジウムを主催し、国土強靭化担当大臣の古屋圭司氏や内閣官房参与で京都大学大学院教授の藤井聡氏が駆けつけたほか、安倍晋三総理からも激励のメッセージが届いたという。防災を24時間356日考え続けると住民も疲れてしまう。コミュニティを活性化させるためのイベントをこれからも企画していきたいとする。

「本当は防災のためには防波堤も欲しい。ただ、あの美しい長さ4kmの入野の砂浜の沖合一帯に高さ34mの防波堤を造ろうと考えたことはないし、住民からもそのような声は上がってこなかった。河川堤防をレベル1※の津波にしっかりと機能する堤防として補強するだけでも、避難時間を5分から10分稼ぐことができる。私たちは海とともに生きてきた。これからもこの海を自慢しながら生きていきたい」(大西町長)。

※レベル1…概ね数十年から百数十年に1回程度の頻度で発生する津波

(了)