熊本地震の被災地における夜間給油の様子 (画像提供 : 平野石油)
今年4月14日、16日と立て続けに2度の震度7を記録した熊本地震。被害は甚大で各地で停電が発生したものの、それでも電気や燃料事情については東日本大震災と比べて深刻な問題にならなかったことに読者は気が付かれただろうか。その裏には、東日本大震災の教訓から中小の燃料配送業者の全国ネットワークを構築し、来るべき災害に備えていた会社の活躍があったことはあまり知られていない。ネットワークをコーディネートした平野石油株式会社を取材した。


「東日本大震災では、エネルギーの重要性を改めて認識した。燃料が本当に必要な被災者や復旧に当たる業者に届けることができるのは、私たちのような末端の小口燃料配送業者。中小企業でできることは限られているが、全国に同じような業者とのネットワークを持つことで、来るべき災害に備えることができるのではないかと考えた」と話すのは、平野石油株式会社取締役の平野賢一郎氏。

同社は昭和8(1933)年に東京にて石油販売業として創業。当初はガソリンスタンドを都内で経営する一般的な石油小売業だったが、20年ほど前からスタンド事業は全て閉鎖し、工事現場の重機や高層ビルの発電機などに石油を運ぶ、いわゆる「パトロール給油」に特化した。

平野氏は「石油小売業を営む中、私たちにできる石油の付加価値とは何だろうと考えた。その結果、山奥の工事現場や高層ビルの上など、どこへでも石油をお届けするという「移動ガソリンスタンド」の道を選んだ」と話す。

取材に応じる平野石油株式会社取締役の平野賢一郎氏




東日本大震災をきっかけに、広域の燃料会社ネットワークを構築

東日本大震災は冬場に発生したため、被災者が暖を取るための灯油や、備蓄の配給を受けるための車のガソリンなど、燃料は企業だけでなく被災者にとっても生命線となった。実際に、ガソリンスタンドに並ぶ最中に燃料節約のため車中で七輪を焚き、二酸化炭素中毒で亡くなった被災者もいた。

(画像提供 : 平野石油)

平野氏は「東日本大震災を経験し、国も経産省、資源エネルギー庁などを中心に災害時の燃料問題に取り組んでいるが、災害時、広域的に末端の被災者まで燃料を届ける体制ができているのかというと疑問が残る」と警鐘を鳴らす。

同社は現在、3.11の教訓から全国の同業者をネットワークで繋ぎ、災害時には365日24時間の燃料配送体制を整えている。同業者のネットワークは現在140社。今回の熊本地震では、広島と福岡から5社が同社の要請を受けて、同社ローリーと共に現場に駆け付けた。

「実はこういった小口の燃料配達業者はホームページすら持っていないところも多い。私たちはそのような会社でも、どの会社がどの車を持っていて、どのくらいのドライバーを抱えているかを一元的に把握している。

また、各社がそれぞれ支払い条件や価格を依頼者と交渉していたらそれだけで貴重な時間をロスしてしまうが、私たちはそれらすべてを取りまとめ、燃料、タンクローリーの手配から請求書の発行まで一気通貫して取り扱うことができる。

燃料を必要とする会社が地元や周辺各県の個別の燃料会社の備蓄、配送能力を評価し、包括的なサポート体制を構築するにはハードルが高いと考えており、災害時には、被災地と燃料を配送可能な中小燃料会社との、いわばハブの役割を担うことができたと考えている」(同氏)。


熊本地震の教訓

平野石油がネットワークを構築しながら対応した熊本地震だが、様々な「想定外」も発生した。

4月14日の震度7の地震が発生したのち、九州電力は直ちに災害対応を開始。15日には県内で約12,800戸が停電し、高圧発電機車による送電作業が始まった。「高圧発電機車」とは、別名「移動電源車」とも呼ばれる、車に搭載した高圧発電機により自家発電する車両のこと。今回の熊本地震では発電した電力を直接電線につなぎ、電力が不足している地帯に送電した。

この高圧発電機車は1台1時間当たり最大で200リットル(ドラム缶1本分)という大量の軽油を消費する。その高圧発電機車が全国の電力会社から集められ、17日には56台、18日には85台、最終的には169台にまで膨れ上がった。これだけの発電量を賄う燃料を、道路なども寸断されている被災地に集めるのは非常に難しい作業と言える。

電線に直接電気を送る高圧発電機車 (画像提供 : 平野石油)
高圧発電機車が縦列駐車している場合は、給油に長いホースが必要になる (画像提供 : 平野石油)

加えて、電力会社の要請で当初集まったタンクローリーはガソリンスタンドにある灯油などを家庭などに販売するための小型タンクローリーが大部分。平時は小回りが利き便利だが、容量は1000リットル~2000リットルと少なく、ホースの長さも10m~20m。バッテリーでモーターポンプを回し給油するため、給油のスピードも非常に遅かった。

復旧作業が長期化し、被災地に充分な電力を供給するには、高圧発電機車の増台が必要と考えた九州電力は、全国の電力会社に出動要請をかけた。発電機車と同時に、燃料を配送するためのタンクローリーも、1回でまとまった数量を配送できる専用ローリーと、危険物を安全に取り扱いの出来るドライバーを要請した。しかし、ここでも問題が発生した。

平野氏は「まず最初に発生したのは情報の錯綜だ。4月19日の12時30分に愛知県の協力会社から私たちに手配可能か確認があり、その30分後には、被災地に近く、燃料の配送が可能な協力会社と調整し、手配可能と連絡を入れた。しかし最終的に我々に手配要請があったのは4月20日の朝9時頃だった」と当時を振り返る。

これには電力会社側にも事情がある。九州電力はまず全国の他の電力会社に燃料とタンクローリーの出動を依頼。各電力会社は要請を受けて取引のある協力会社に連絡し、さらにその協力会社からまわりまわって手配依頼を受けたのが平野石油だったのだ。返信もその逆をたどったため、ほぼ1日のタイムラグが生じてしまった。

平野氏は「電力会社から私たちに直接依頼をいただければ、このようなことは起きなかったのでは」とする。

さらに、熊本県内のサービスステーション(SS)で一時的に燃料が不足するという情報が流れ、様々な人が燃料を求め向かった。実際、急激な需要の増加、道路状況の悪さ等から燃料を届ける事が出来ず、一時的に枯渇してしまうという事態も発生する。

「有事の際SSだけを燃料確保、タンクローリーの運用拠点として考えるとBCPが十分に機能しない可能性が高いと考えている」(平野氏)

燃料売り切れによるスタンド閉鎖。熊本市内にて。 (画像提供 : 平野石油)

独自のアイデアで情報共有

今回の出動で、平野石油も学んだことは多い。その1つが、効果的な地図の活用による電力会社とドライバーとの情報共有手段だ。

「初めは、Google mapを印刷したものを渡され、『ここに行ってくれ』と要請されたが、被災して通れない道もあり、土地勘のない私たちがそこまでたどり着くのは難しかった。加えて、いつまでに何リットル必要なのか、給油に必要な装備は何なのか、そのような情報を関係メンバーで共有する必要が出てきた」(平野氏)

益城町の交通規制の様子 (画像提供 : 平野石油)

現場では下図のように、地図に必要事項を記入できる欄を設置。被災でカーナビが役に立たなかったため、ドライバー同士が情報交換できるよう、一度行った場所には目印や通行止めの情報なども地図上に書き込むようにした。

写真を拡大  地図に必要事項を記入できる欄を設置

「例えば、補給先がホースが30m必要な場所と先に分かっていれば、業者の選定もそれに合わせたものにできる。私たちは配送のプロなので、現地でさまざまな采配をとることができる」(同氏)


必要なのはコーディネーターとコントローラー

作業詰所では、平野石油の配車のベテラン社員がコントローラーとして采配をふるった (画像提供 : 平野石油)

平野氏は「熊本地震で感じたことは大きく2つ。1つは地域のSSだけを燃料確保先とするのは非常に危険だということ。そしてもう1つは、燃料を配送、そして給油する様々な燃料配送業者を取りまとめる現地のコントローラーが必要だということだ」とする。

熊本地震では東日本大震災と違い、製油所に大きな被害はなかったが、やはり被災により道路状況が悪化し、一時的に燃料不足が発生した。被害の大きかった益城町と南阿蘇村では、23カ所あるSSのうち、4月23日時点で営業できたのは8カ所にとどまっていた。やはり県外を含めた燃料供給先の複線化とコーディネーター会社との協力関係構築は、災害時の燃料調達における重要課題といえるだろう。

また、現地のコントローラーについては今回、同社の配車を担当するベテラン社員が当たった。配車とは、普段から全ての車両の性能や装備を見極めつつ、どこに何を届ければ最も効率が良いかを考える業務だ。もちろん、無理な運転などによる2次災害を誘発しないよう労務管理にも気を遣う。

同社は、普段から培った広域ネットワークと、現地でのさまざまなアイデアや現場のコントロールにより、159キロリットル、ドラム缶に換算すると実に795本分に相当する現地への燃料供給を実現したのだった。

平野氏は「全国の燃料配送業者のネットワークは一朝一夕にできるものではなかったが、これまでの取引関係の中で、いろいろな会社とお付き合いさせていただき、ドライバーや車両などのさまざまな情報を把握していることが当社の財産。皆さんのハブになることで、これから来るであろう南海トラフ地震や首都直下地震などの大災害に備えていきたい」と話している。

(了)