震災時に求められるリーダーシップ

アイリスオーヤマ




災害発生時、早期の事業復旧を実現する上で重要な鍵となるのが、組織を1つにまとめあげるリーダーシップだ。仙台市に本社を置くアイリスオーヤマでは、3月11日の東日本大震災で、角田市にある主力工場である角田I.T.Pが被災した。混乱する状況の中で、代表取締役社長の大山健太郎氏は直ちに現地に飛び、トップ自ら事業継続の方針を打ち出すことで、現場を1つにまとめ早期の事業再開を実現した。 




アイリスオーヤマは、生活用品や家電製品の製造・販売を行う。取り扱う製品は、収納用品、家具製品、家電製品、ペット用品など多岐にわたり、その数は1万4000点にも及ぶ。

角田I.T.Pは、製品開発を行う研究施設や従業員用の研修施設、お客様相談窓口、プラスチック製品を生産する工場など、同社の主力拠点として、多くの施設が集中する。3月11日の東日本大震災では、震度6弱の揺れを観測し、同敷地内にある全施設の電気、ガス、水道すべてのインフラが一斉に停止した。従業員に被害はなかったものの、施設内では、多くのキャビネットが倒れ備品が散乱したほか、多目的ホールの天井が落下。工場内では、物流自動倉庫の棚から多くの荷が落ち、荷物を積み下ろしするクレーンが一時的に動かせない状態となった。 



震災当日、千葉県幕張市の展示会を訪れていた代表取締役社長の大山健太郎氏は、震災発生後すぐに仙台の本社に戻ることを決意。翌々日の13日には角田工場に到着し、従業員の安否や、製造・物流面での被害状況を確認した。社員こそ無事だったが、県内沿岸部は津波の被害が大きく、また親類や知人に犠牲者や行方不明者が出たという社員も多く、すぐに仕事に集中できるような雰囲気でなかった。 



震災から3日後の14日月曜日、角田工場の社員の出勤率は6割程度だったが、大山社長は朝礼で、社内を1つにすべく事業継続に向けた早期復旧の方針を語った。 



アイリスオーヤマが取り扱う製品の中には、カイロやマスク、ブルーシートなど、震災時の避難所の生活や復旧活動に役立つものも少なくない。大山社長は、いち早く角田工場の態勢を立て直して出荷できるようにすることが会社の使命であり、被災者への貢献につながることを社員に訴え、さらに、宮城県と仙台市に3億円の義捐金を渡すなど、自分たちが地元の復興を全力でサポートしていく決意を示した。 



「震災直後、見つからない親類を捜しに行くのか、被災地へボランティアに行くべきか、仕事をすべきなのか、多く従業員が何をすべきか悩んでいたと思いますが、社長が明確に方針を打ち出したことで、社内全体にまとまりができました」と災害対策本部のメンバーとして活動した同社総務部部長の山田氏は振り返る。 大山社長は、その後すぐに仙台本社に向かい、WEB会議を通して国内の全拠点と連絡体制を構築し、事業継続に向けて動き出した。




■工場と取引先が連携


早期復旧を実現する上で鍵となったのが、ガソリンの調達だ。角田I.T.Pの従業員の通勤手段は自家用車のため、社員の通勤の足を確保するためにもガソリンを確保することが不可欠となった。まずは、購買部が中心となって、ガソリンスタンドを運営するホームセンターの取引先からガソリンと軽油を詰めたタンクローリーを確保した。届けられた燃料は、地元の運送業者の協力を得て給油所に保管した。もう1つの手段は、東北、関東に比べ、燃料が調達しやすかった九州の工場から携行缶を調達して、角田へと送られた。




■全拠点で同じ商品を生産


もう1つ早期復旧を実現する上で鍵となったのが、受発注のデータを管理する情報システムのバックアップと生産拠点の分散化だ。震災後の停電により、角田I.T.Pの情報システムはストップした。14日の午後、震災後にレンタルした自家発電装置2機を使い、一時的にサーバーを立ち上げ、データを兵庫県三田市にある三田工場のバックアップサーバーに移行。仙台の本社から遠隔操作により、角田工場の生産を補うために必要なデータを埼玉工場を含む全国6拠点に送り、代替生産を実現させた。 



「停電によりシステムが止まった際、バックアップシステムに移行することは訓練で行っていたので速やかに対応できました」(山田氏)。 



同社は、1995年の阪神淡路大震災で三田工場が被災したことから、データのバックアップや代替生産を検討してきた。阪神淡路大震災以降、リスク分散を目的に埼玉工場など3つの工場を新設。国内にある8か所の全工場で、同じ商品を生産し、どこの工場が止まっても別の工場がすぐにフォローできる体制を整えた。 



こうした対応により、3月24日に角田工場での生産を再開。28日には、多くの荷が落下した自動倉庫のある物流棟も復旧し、生産、物流ともに通常稼働となった。 



震災を踏まえ同社では、今後の震災対応の見直しを進めている。今回の震災では建物上階の揺れが激しかったことから、サーバー室は3階から津波や河川の浸水のリスクがないことを確認した上で1階に移し、自家発電装置を常設した。「今回の震災では想像以上にインフラの復旧に時間を要した」今後懸念される地震に備え、より迅速な対応ができるように施設内の震災対応に力を入れていきたい」と山田氏は話す。