再春館 ヒルトップ全景(写真提供:再春館製薬所)
執行役員経営企画室長の
大庭博人氏
熊本地震の震源地である益城町に本社を構える再春館製薬所は、震度7を記録した2度の地震により操業休止を余儀なくされた。「前震は大した揺れではなかったというようなことが言われますが、ここ(震源地)は十分以上に揺れています」(再春館製薬所執行役員経営企画室長の大庭博人氏)。想定外の事態が次々に発生する中、代表取締役社長の西川正明氏のリーダーシップと、社員の団結力により事業の早期復旧を果たした。多くの社員が被災する中、社員と家族の生命・生活を最優先にしながらも、地域の復興を支えた。


基礎化粧品「ドモホルンリンクル」で知られる再春館製薬所は、益城町役場から北東へ3㎞ほど離れた場所にある。社員1000人を超える熊本県内の有数企業。小高い丘全体が同社の敷地で、再春館ヒルトップと名付けられている。敷地内には、同社が運営する保育園施設もある。

2001年に「森の中の工場」をイメージした新工場が完成。2007年に本社・コールセンターも再春館ヒルトップに移転した。低層で頑丈な造りで、建物の壁面や屋上にはソーラーパネルがぎっしりと取り付けられている。周辺の丘陵地に設置されている太陽光パネルを合わせると、再春館ヒルトップ全体の年間電気使用量の100%にあたる電気をつくり出しているという。

「どこにもないものを、どこにもない方法で」というのが同社の目指す商いの姿。社内を見てまず驚かされるのが1000人規模の社員がワンフロア間仕切りなしで働けるワークスペースだ。日常的に社員間で良好なコミュニケーションがとれるように設計されている。そのスペース中央には、東京証券取引所を彷彿させるような数字が映し出されたモニタが設置されている。コールセンターのオペレーターの動きや日々の売り上げ目標の達成状況が全社員にリアルタイムで共有されているのだ。

写真を拡大 本社内のワークスペースは、良好なコミュニケーションがとれるよう社員がワンフロア間仕切りなしで働いている

2度の被災でコールセンター停止

そんな巨大施設が、震度7を記録した2度の地震により被災した。4月14日の震度7(M6.5)の前震では、敷地内の地割れ、室内のガラス割れ、コンテナの転倒などの被害が出た。大きな被害ではなかったが、当時、業務を終え帰宅途中だった再春館製薬所執行役員経営企画室長の大庭博人氏は「前震は大した揺れではなかったというようなことが言われますが、ここ(震源地)は十分以上に揺れています」と振り返る。

コールセンター業務は午後10時までやっているため、まだ数十人の社員が働いていた。現場にいた管理職の判断でコールセンター業務は打ち切り、その日は全社員を帰宅させた。

午後10時7分には震度6弱、10時38分には震度5弱、11時43分には震度4、そして翌日午前0時3分には再び震度6強、1時53分には震度5弱と大きな余震が繰り返された。

「誰も、ほとんど寝ることができなかったのではないでしょうか」と大庭氏は話す。

15日の午前中の段階では全社員の安否まで把握ができなかったが、多くの社員が出社した。

コールセンター業務は朝から再開させたが、余震が多いことから昼の12時で閉鎖し、自動応答システムに切り替えた。無事に1日目の作業を終え、わずかながら落ち着きを取り戻そうとしたさなか、翌16日の午前1時25分、前震をさらに上回る揺れが益城町を襲った。

大庭氏は「熊本中を探しても飛び起きなかった人はいないでしょう」と揺れの大きさを表現する。しかも停電で真っ暗な中で恐怖は増幅したという。

「皆生きることだけで必死だったと思います。家に居られない人は何とか避難所まで行ったでしょうし、避難所まで行けず車の中で過ごした方も多かったことでしょう」(大庭氏)

夜が明けて、会社に来たのは社長と10人程度の社員だった。土曜日で休日ではあったが、社長、経営幹部に加え、会社のことが心配という人や、家にいることができない人もいた。

前日、片付けを行っていた本社コールセンターは、再び机上から物が落ち散乱。天井のフックが外れ落下寸前の状態になっていた。さらに、システムの要であるサーバーは免振台が備え付けられていたにもかかわらず免震構造部分が降り切れて倒壊。奇跡的にシステム停止には至らなかったが簡単に中に立ち入れる状況にはなかった。

社員の安全を最優先に考え、西川社長の判断で、この日から営業を当面休止することにした。

幸いだったのは、ライフラインが生きていたことだ。周辺地域は、電気と、特に水が長期間大きな影響を受けたが、同社は井戸水を使い、コールセンター業務を維持するため数日分の電力を賄える非常用発電機を備えていたことから施設機能は維持することができた。

写真を拡大  本震後の社内の状況。机は散乱し、天井が崩落しかけ、サーバーは免振構造部が振り切れて倒壊した(写真提供:再春館製薬所)

社員・家族に会社を開放

西川社長は、16日の時点で、被災した社員や家族らに対して会社を開放することを決定。社長自らも本社に連日泊まり、再開に向け陣頭指揮を執り続けた。

週が明けて18日~20日までは経営層を中心に、何から手をつけるのか、どう工事を進めるのか、コールセンター業務や生産をいつからどう再開させていくのか協議を続け、21日から集まれる人だけ全員出社させることを決めた。

家を失ったり、家族がケガを負った人も何人もいた。「犠牲者がいなかったとか、大きなケガをした人が出なかったから良かったというレベルの話ではなく、苦労して新築をした直後に家が全壊で住めなくなった人もいれば、購入したばかりの車が潰れたり、知り合いにご不幸があったりいろんな人がいます。それぞれの立場で被災の重さは違っています。ただ1つ共通して言えることは誰一人楽しいなんて人はいなくて、皆つらい状況だったということです」(大庭氏)。

皆さんの安全はしっかり守る

21日朝9時、全社員の半数にあたる500人ほどが本社に集まった。「全員ジャージ姿で、女性の方も化粧すらできていない様子でした。水もガスも止まった状態で、1週間、お風呂に入れていない人も多かったのでしょう」。

社員を前に西川社長が話した言葉は「この地震により、自分たちの生活は一変した。しかし、企業の責任として、社員の安全や雇用をしている以上、社員・家族の生活を何としても守らなければならない。一方で、企業は、営業をしなくては給料を払い続けられない。絶対に皆さんの安全をしっかり守る。会社としてできることは可能な限りする、だから皆さんに会社に出てきてほしい」という内容だったという。社長の話を聞きながら皆が涙を流していたと大庭氏は振り返る。

同日、すべての社員に見舞金として、夏の賞与相当額を最高評価で支給することを宣言した。

復旧に向け、最初に取り組んだのは、社員の被災状況のヒアリングだった。安否確認のようなシステムで集計した数字ではなく、家族一人ひとりの様子や、家の状況、現状の悩みなどを人事チームが中心となり細かく聞き取っていった。特に出社できない社員については、どんな問題があるのかをできる限り細かく把握し、会社としてできる支援はないかを併せて検討していった。連絡がつかない人には、親しい社員から連絡をとってもらうなどあらゆる手段を使った。

被災した社員へは見舞金を支払い、家が被災した社員には寮に引っ越してもらったり、不動産会社を紹介した。独自の低金利融資制度も行った。学校や幼稚園が休みになっていることから、会社が運営する専用保育園に小中高生も受け入れた。

21日に集まった社員を前に話す西川社長(写真提供:再春館製薬所)
復旧方針について話し合う対策本部の会議(写真提供:再春館製薬所)
写真を拡大 出勤者数や保育園で受け入れた児童の集計(写真提供:再春館製薬所)

7000件の励まし

一方、フリーダイヤルの停止後も、ファックスとメールだけは誰もいないフロアに届き続け、顧客からは21日の時点で、全国から7000件もの励ましの言葉や注文が入っていた。

西川社長は、顧客にあてた手紙の中で「感謝の気持ちがあふれ胸がはちきれそうな想いを覚えました」とコメントしている。

同社が販売する化粧品や漢方薬は、長年愛用し続けている顧客が多い。「こちらの都合だけで長期間待ってくれとは言えません」と大庭氏は語気を強める。事業の再開については、システムの復旧と、コールセンターの再開、商品の発送体制の整備などが必要だが、クリーンルームは壁が崩壊し、製造ラインは崩れ、商品を充填して包装する機械が壊れていた。

同社では、製品を製造してから3週間以内に顧客に届ける生産体制を敷いているため、在庫を多く持たない。それでも、被災した倉庫から、無傷の商品を運び出し、顧客へ届ける作業を24日から開始。同時に機械設備の修復、コールセンターの清掃を行い、25日にはコールセンター業務と一部生産の再開にこぎつけ、5月の連休明けには全面再開を果たした。「皆が必死になったことで信じられないスピードで再開ができました」と大庭氏は語る。

写真を拡大  復興の歩みは、写真とコメントで細かくまとめられている。避難所訪問にあたった社員の声も紹介されている

危機に強い社風

もともと、1000人近い社員が間仕切りのないワンフロアで働くほど同社はコミュニケーションを重視している。20年ほど前、同社のテレマーケティング手法は強引と批判を受け、以来TM(テレマーケティング)改革を全社を挙げ遂行してきた。その一環として、スタッフ間のコミュニケーションも強化してきたのだ。それが、今回の災害対応でも機能した。どこで、誰がどんな作業を進めているか、どんな支援が必要かを社内全体で即座に共有できる。それに加え、西川社長のリーダーシップにより目標・目的が明確化され、即座に全体調整がとれた活動が展開できる――。

震災直後より西川社長が掲げた復興方針は「社員とその家族の生活を守る」「お客様へのサービスを一刻も早く再開する」「地元である益城町・熊本への応援」の3つの柱。

「自分たちを育ててくれた熊本県や益城町に対して企業が果たせる責任としてできる限りのことを行いたい」という西川社長の言葉を受け、同社では復興部を創設。同じ地域にある会社として、社員が交代で直接近隣の避難所を訪れ、必要な支援を把握しながら、清掃や炊き出しの応援、保湿液、保護乳液、洗顔せっけんの提供など、少しでも心和らぐ生活を送れるための支援活動を続けている。

復興支援活動の中心的な存在として、また、社内や社員の活動を記録し続けてきた同社広報室の江河真喜子氏は「『何か困っていることはありませんか』というような上から目線の聞き方では、家がなくなってしまったからどうにかしてくれ、大切な人が亡くなってしまったなど、逆に被災者の心を傷つけてしまう。同じ被災地に生活する者として等身大の支援を心がけています」と語る。毎日のように避難所を訪れあいさつを交わし、まわりを掃除をするなど継続的に接しているうちに会話が生まれ、少しずつ自分たちができることが見えてくるのだという。「支援してあげているのではなく、私たちも“ありがとう”という言葉に支えてもらっているのです」(江河氏)。「どこにもないものを、どこにもない方法で」という精神は支援活動にも生かされている。

自社で炊き出しを行い、社員や家族に食事を提供(写真提供:再春館製薬所

避難所を訪問する社員(写真提供:再春館製薬所)

有事対策マニュアル見直し

5月に入って、同社では、有事対策マニュアルを策定した。安否確認や一斉に指示が出せるシステムも独自に開発中だ。「阿蘇山の噴火もあり得るので、どういうときに、どういうメンバーが、どういう条件のもとに集まって、どういうことをどのくらいの時間の中でするのか、誰がどう発動をするのか、情報手段は何を使うのかなど素案を決めています」(大庭氏)。

これまでは正直、災害対応については真剣に考えたことが無かったと大庭氏は打ち明ける。しかし、今回の地震では、マニュアルがあったとしても、机上の計画では通用しないことも痛感した。「震度●以上なら、作業を止めて現場の安全確認というようなことが書かれているマニュアルがありますが、現場の社員が言ってたのは、お客様と電話している最中に、大きな地震が発生しても、震度がいくつかなんてわからないし、お客様とのコミュニケーションを強化しているので変な切り方をして不快な想いをさせたくないという悩みです。それでもガラスが割れるかもしれないという恐怖もある。だから弊社のマニュアルにおいては、身の危険を感じたら電話を切って机の下に入って安全確保をしろ、と明文化しました。そうした細かな権限まで明確にしないと現場の社員は判断できないのです」(大庭氏)。

BCPの観点からも見直しを進める。これまで同社は、コミュニケーションを重視する故に、製造も販売も同じワンフロアで活動してきた。が、逆に考えれば災害で両方同時にやられるリスクもあるということ。かといって、分散したり代替生産をすることは会社の理念に抵触する。今後リスクの分散については、あらゆる方法を視野に真剣に考えていきたいと大庭氏は話している。

写真を拡大  すべての顧客会員に配送した西川社長のあいさつ文。復興を支えてくれたことへの感謝の気持ちなどが書かれている。協力会社や、社員、家族にも、復興の経緯やこれからの方針などについて手紙を送った