18年前、私がリスクマネジメントを勉強し始めたときに、ある金融機関の広報部長がこうつぶやきました。「ああ、大変な時代になった。前は責任なんか取らなくてもよかったのに、今は責任を取らなくてはいけない時代になった。生きにくいよ」。この言葉はいつまでも違和感として私の中に残りました。「責任を取らなくていい時代なんてあったのかな?」と。以来、責任とは何か、と考えながら不祥事の結末を追いかけるようになりました。今回は、経営責任の取り方について考えてみましょう。原稿を書き始めたら、日産の西川社長の辞任ニュースが飛び込んできました。皆さんと一緒に考えるちょうどよいテーマとなりました。

ダメージコントロールとしての記者会見とは

不祥事発生時には、責任を追及する質問は必ず付くものです。記者会見では質問のプロが多数集まりますから容赦ありません。「責任を取って辞任するお考えはないのですか?」「この責任をどう取るつもりなのですか?」「責任は取らないのですか?」「責任を感じていないのですか?」

普通のトーンなら、自分のペースで回答できることもありますが、質問者が語気を強めた言い方だと一瞬ひるんでしまったり、かえって感情的になってしまうこともあります。

メディアトレーニングの観点からすると、責任追及の質問には、「私は〇〇をして責任を果たします」と切り返すのが一般的です。7月31日に行われたかんぽ生命の不適切営業での記者会見でもこのやりとりがありました。顧客に不利益を与えた疑いのある契約が18万3000件あったとするひどい内容のもので、これまでも指摘されていたのに放置していた経営責任を問うきつい質問が何度もなされました。記者会見では、「職責をしっかり果たすことが経営責任の取り方だ」「調査結果が出てから」「陣頭指揮を執る」と一貫した主張でした。

このかんぽ生命の不適切営業の問題は、数の多さ、信頼の裏切り度合いからしても、歴史に残る責任が重い不祥事だと思いましたが、思ったほど大きく報道されていません。典型的なクライシスコミュニケーションの失敗である「対応が悪い」「起きたことに対する姿勢が悪い」といったスキがないからです。どこからどう質問が飛んでこようが、どんなに攻められようが、耐えきってぶれなかったからです。3時間にも及ぶ記者会見は、紛糾したものの悪くない会見だと思いました。その意味では、この記者会見はダメージコントロールとして機能していたといえるでしょう。

辞任のタイミング、仕方を考える

辞任は最も重い責任の取り方ではありますが、すぐに辞めればいいというものではありません。あまりにも早く辞めれば、「逃げた」とも受け取られます。多数の死傷者を出し、遺族に謝罪行脚しなければならない場合には、それをすることがまさに責任を取ることになるでしょう。第三者委員会の報告書では、経営責任が詳細に記載されますので、その結果を待って自らの責任の取り方について結論を出すというのも選択肢としてはあり得るでしょう。その意味では、辞任のタイミングというのは案外悩みどころではあります。日産の西川社長の記者会見でもタイミングについて質問が何度も飛び交いました。

辞任以外にも「降格」「報酬返上」という選択もあります。ところが、責任を取って社長から会長、あるいは相談役になる、というどこから見ても「昇格」にしか見えない責任の取り方を発表する会社があります。代表権がなくなるだけと会社を去るという意味の辞任では重さが異なります。辞任の仕方には経営者の責任をどうとらえているかの感性が表れるといえるでしょう。

では、日産の西川社長の辞任劇をどう見たらいいのでしょうか? 今回疑われた不正報酬は、疑われた金額だけ返上する、というのはあまりにも当たり前すぎるのです。記者からは「せこいのでは」といった質問も出てきてしまいます。記者会見では辞任のタイミングについて、質疑応答が何度も飛び交いました。ご本人が考えていたタイミングと現実は違ってしまったことへの悔しさがにじみ出ていたといえるでしょう。

形として事実上の解任となりますので、あまりよい形とは言えません。もっとスマートな責任の取り方があったのではないでしょうか? ゴーン氏を告発した時点で、例えば、体制を再構築するまで「無報酬」で働くという責任表明をすれば、ご自身の考えるタイミングまで務めることができた可能性はあります。私の愛車も日産です。当たり前ではない、もっと粋で重い責任の取り方をしてもらいたいものです。

(了)