未納部品は後から空輸
日産自動車


日産自動車では、東日本大震災で国内工場および多くのサプライヤーが被災。海外向けの部品供給など、国 内外の物流が一時中断に追い込まれたが、関連会社、サプライヤー、海外工場が連携することで、中断からわずか 5 日で国内外の輸出入の業務を再開。震災から3カ月後の6月半ばには、日本から海外への輸出サプ ライチェーンを正常化し、海外の生産影響を最小限にとどめた。

■海外生産を優先
日産では、国内工場で生産したエンジンやトラン スミッションといったパーツに加え、数多くの部品 を海外工場の生産向けに輸出している。そのため、 国内の工場や部品サプライヤーが被災してしまう と、現地工場での生産に必要な多くの部品の供給が 途絶えてしまうため、世界各地の自動車生産に甚大 な影響を及ぼす。

東日本大震災では、 国内生産の再開だけではなく、海外の生産への影響を防ぐことを優先に、全社体制 で輸出の再開に向けて動いた。

まず、国内における輸出入業務を担う SCM 本部部品物流部では、すぐに供給を再開できるように同 社の輸出拠点の要である本牧事業所(横浜市)に災 害対策本部を設置し、 現場担当の部品物流部に加え、 本社から購買部門、生産管理部門のメンバー約 20名を常駐させた。

総力でサプライヤーの被災状況を確認するとともに、復旧させる部品の優先順位づけを行った。一方、 購買部門では代替サプライヤーとの調整などに動いた。

■全輸出業務がストップ


日産の海外への輸出拠点は、 本牧を始め、 九州(福 岡県京都郡) 、愛知(名古屋市) 、富士(静岡県富士 市)の全国に4つある。ここから世界 20カ国以上 に向け、 海外輸出用の部品を 40フィート(1フィー ト=約 30㎝)コンテナにつめて毎日 400 本輸出し ている。中

でも、本牧事業所の役割は大きく、輸出 するコンテナの数は、毎日 250 ~ 270 本を占める。

3月 11 日の地震では、本牧事業所に大きな被災 はなかったが、多くのサプライヤーの被災に加え、 3月 15 日の静岡県東部の地震により、日産のトランスミッションの製造拠点であるジャトコ富士宮工 場が被災し、また、陸送ルートの要である高速道路 など物流網の混乱も重なり、輸出する部品の納入が 途絶えた。そのほか、3つの輸出拠点でも、3月 15 日から 18 日までの4日間、輸出業務が完全に途絶えた。

 

■何万単位の部品に影響
震災翌週には、部品サプライヤーの被災状況が明らかとなった。事業が止まったサプライヤーは2次 サプライヤーの影響を考慮すると 100 社を超え、購買部門は、代替となる部品パーツを調達できるサプ ライヤー探しに奔走した。

本牧事務所で輸出業務を担当する同社 SCM 本部 部品物流部の尾上清部長は「自動車製造に必要な部品数は、3万点?4万点。車体を構成する部品やエンジン・トランスミッションなど一部を除くと、8 割近くは外部部品サプライヤーで製造されている。 同じような部品でも部品番号が異なると仕様が異な るため、1社のサプライヤーが被災するだけでも膨 大な数の部品供給がストップする。東日本大震災では、最終的に何万単位の部品が影響を受けた」と振り返る。

■遅れた部品は空輸で対応
多くの部品製造の再開の見通しがつかない厳しい 状況にも関わらず、日産では中断から5日後の3月 19 日から輸出オペレーションを再開させた。

早期復旧を実現したポイントは大きく分けて2つ ある。1つは、被災していない部品の物流維持だ。 部品が全部集まらなければ当然、自動車は完成しな い。しかし被害を受けていないサプライヤーの物流 まで止めてしまうと、工場は稼働し続けるため、後になって膨大なボリュームの部品を送らなければならなくなる。そこで同社では、多くの部品が未納でも、スペースが空いたままコンテナを、そのままの 状態で海外に送り出した。この手段はコスト面から考えると効率的ではない。しかし、コンテナによる 輸送は、先方に届くまで通常2週間から1カ月半が かかる。そのため、サプライヤーが復旧するか、あるいは代替サプライヤーの手配がつくなどして製造 が再開された部品については、仮に再開に1カ月程 度を要したとしても、後から空輸で送れば数日で届 き、コンテナの到着までには十分に間に合う計算に なる。尾上氏によれば、大きな部品を空送することはコスト面から好ましくないが、電子部品など小さ い部品を空輸することで海外の生産への影響を最小限に留めることができたという。

一方、輸出品の中には全部の部品が集まらないと出荷できない「KD(ノックダウン)生産」(製品の 主要部品を日本から輸出して現地で組み立てを行う 生産)の製品も数多くあった。こうした部品については、本牧近隣に外部倉庫を借り、すべての部品が集まるのを待ってから対応した。

■海外担当者が来日


輸出オペレーションを再開する上で、もう1つポ イントになったのが、海外工場の SCM 担当者との チームワークだ。

本牧からの部品の輸出先は 20 カ 国以上。言語の異なるすべての国に、現地の言葉で 情報発信することは、非常時において大変な手間が かかり、時間のロスとなる。一方で、震災により十分な部品が供給できない状況の中で、正確な情報を 提供しないと、各国間で部品争奪戦になる恐れもある。

日産では、海外の工場と連携を高めるために、海 外工場の SCM(物流、生産、調達)の担当者を本 牧に呼んだ。アメリカ、イギリス、メキシコ、南ア フリカ、インドなど、多い時には世界から 10 カ国 以上の調達担当者が本牧に常駐した。海外の担当者は、日常の通勤も含め、一切、日本 のスタッフの助けを借りなかったという。日本の切 迫した状況が、実際の経験を通して共有されていたのだ。

海外の SCM 担当者には、本牧の1つの大会議室 を提供した。社内では 「外人記者クラブ」 と呼ばれ、 この会議室から各国の担当者は、日本の生産状況や 部品在庫の状況など直接確認した情報を、自国の工場に連絡した。日本の担当者と出荷の優先順位につ いても綿密に調整したという。

さらに、SCM 担当者を通じて、海外の工場には 生産ラインの残業の抑制や、土曜 ・休日出勤の禁止、休日の振替を取らせるなどの稼働日調整を行うよう要請。業務量を減らし、現地での生産体制をできる だけスローダウンさせることで、東日本大震災に伴う日本からの部品供給途絶による影響が少しでも和らぐよう手を打った。その結果、アメリカ、イギリ ス、中国などの大きな生産工場では、長期の生産ラインのストップを阻止することができた。 ?

「海外のスタッフにとって大変な経験だったと思 うが、災害対応としては大成功だった。海外との情 報共有がうまくいったことで、日産グローバル全体 として部品の争奪戦を防ぐことができた」(尾上氏) 。

■データの一元管理が課題
今回の震災では課題も見られた。何万、何十万という部品の受発注・輸出をコントロールするために、日産ではオペレーションのデータ管理にはすべ て IT ツールを利用している。しかし、複数の管理 ツールはそれぞれ個別に活用されていて、データが 一元管理されていない。そのため、1つの情報を書 き換えるのに、データを何度も置き換える作業が 必要となる。震災での対応では、IS(Information System)部門と設計開発部門の協力により一元的 なデータベースを構築した。 「今後は情報をより早く入手できるように、システムの改善に着手してい る」と尾上氏は話す。

■震災後のリスク管理
日産の東日本大震災の対応は、BCP(Business Continuity Plan= 事業継続計画)のシナリオに基 づいて正確に実行されたわけではない。状況の変化に応じて、何をすべきか判断して1つ1つの対応策 を講じた結果、サプライチェーンへの影響を最小限 に抑ることができたのだ。

「ポイントの1つは、影響の受けていないサプライ チェーンを止めずに管理したこと。もう1つは、海 外拠点で SC Mに携わるスタッフを日本に集合したこと、そして、グローバルで勤務体制の変更など生産計画を再構成したことが、早期の復旧に貢献した。 今回、経験し、学んだサプライチェーンのリスク管 理を元に、今までとは異なり生きた BCP を再構築して、日産グローバルでどんな災害が起きても対応で きるようにしていきたい」と尾上氏は話している。