特別寄稿

内閣官房新型インフルエンザ等対策室 
内閣参事官 杉本 孝

■はじめに 
変異するウィルス・過去のパンデミー
本年8月に、米国のいくつかの州で豚インフルエンザ H3N2vが人に感染する例が合計 200 人以上報告された。このウィルスは、香港インフルエンザ H3N2 に 09 年に発生したパンデミックインフルエンザの遺伝子が交雑したものと考えられており、農業見本市などで生きた豚と濃厚に接触した子供が多 く感染・発症したもののようである。その病原性は弱く、人から人に感染する力も弱いようであり、幸いなことに現段階大きな問題とはみなされていないが、注意深くフォローする必要がある。

インフルエンザウィルスは、遺伝子の変異が激しく、水鳥が本来的な宿主であるが、偶発的に豚や人に感染し、変異を繰り返すうちに、人から人に効率 的に感染する力を有するようになる。それが多くの人が感染したことのないタイプであれば、免疫がないために、世界的な大流行(パンデミー)を引き起こし、時に重大な被害を生じさせることがある。過去に知られている最も重大なものが 1918 ∼ 19 年に世界中を襲ったスペイン風邪である。第一次大戦 中であったために目立たないが、世界で 4000 万人ともいわれる死者を出し、我が国でも 38 万人余の 犠牲者を出した。その後も 57 ∼ 58 年のアジア風邪 (H2N3) 、68 ∼ 69 年の香港風邪(H3N2)がパンデミーとなった。

インフルエンザウィルスのように遺伝子変異が激しく、感染力が非常に強い病原体はあまりない。しかも、 病原性の強さはすぐに判明するものでもなく、 変異しやすいことから途中で強い病原性も持つようになるものもある(09 年の H1N1 のように成人に は弱いが、小児にとっては重症化する率が高いものもある) 。このような特性を持つ感染症は、健康危 機にとどまらず、国民生活・経済の破綻回避という 国家的危機管理としての対応を必要とすることとなる。新型インフルエンザ等対策特別措置法 (以下 「特措法」という)は、まさにこのような健康と国民生活・経済にわたる総合的な危機管理法制として制定された。本稿では、この特措法成立の背景や、その全体構造と具体的な中身について、できる限り要点をしぼって説明したい。  

なお、現在、特措法を踏まえた政府行動計画の改 定や重要な政令事項に関する幅広い学識経験者によ る検討が進められており、今後の検討にゆだねられ ているところも多いことなどもあり、本稿において 意見にわたる部分は筆者の個人的見解であることを お断りしておく。

■新型インフルエンザ対策の経緯 新法以前
1997 年に初めて香港で高病原性鳥インフルエンザ H5N1が人に感染したことが確認されたことを皮切りに、現在までに、中国から北アフリカにかけて多くの発症・死亡例が報告されている。我が国でも、平成 15 年に初めて家禽への高病原性鳥インフルエンザ H5N1 の大きな感染が発生し、多くの家 禽が処分された。これをきっかけに、H5N1 亜型の新型インフルエンザへの備えが政府を挙げて急ピッチで進められてきた。主なものを挙げれば、抗インフルエンザウィルス薬の国と都道府県による備蓄や、H5N1 プレパンデミックワクチンの備蓄、発生 時の対処要領を定めた政府行動計画の整備、政府一体となった施策推進のための閣僚会議の設置等々である。

■H1N1 パンデミーの対処、 対策の再構築と特措法の整備へ
このように H5N1 の新型インフルエンザへの備えを進めていたところ、 大方の予想に反し、2009 年、豚由来の H1N1の新型インフルエンザによるパンデミーが発生した。幸いにも、我が国では、医療関 係者の努力、国民の高い公衆衛生意識などにより世 界的にも特筆すべき少ない被害で終わったが、この対処を通じて貴重な教訓が得られ、新型インフルエンザ対策の再構築を進めることとなった。一方、全国知事会、経団連、医療関係団体等からも新たな法 制の整備が不可欠である旨の要望が累次にわたり寄せられた。さらに、平成 23 年の東日本大震災や福 島第一原発の大規模事故災害を通じて、「想定外では許されない」との機運が強まり、まず、対策の再 構築の一環として同年9月、新型インフルエンザ対 策閣僚会議において、H1N1 パンデミー対処の教訓を盛り込んで政府行動計画を改定した。その際、政府行動計画の実効性を更に向上させるため、早期の法整備を行うことが指示された。このような経過を 踏まえ、内閣官房において、全国知事会、全国市長会、全国町村会、日本医師会や病院団体等の医療関係団体、経済団体、労働団体、厚生労働省新型イン フルエンザ専門家会議メンバーなど医療公衆衛生の専門家等幅広い関係団体・者と精力的に意見交換を行い、平成 24 年3月9日に特措法案を国会に提出し、与野党の圧倒的多数の賛成を得て4月 27 日に成立、5月 11 日に公布となった。その概要はスライド1にまとめてある。  

なお、特措法については、来年春の施行を目指して、医療公衆衛生、法律、経済、防災、危機管理、 経済界、労働界、報道関係者など幅広い学識経験者が参画する有識者会議が置かれ、行動計画に盛り込むべき事項や重要な政令事項の基本的考え方について、開かれた形で議論を進めていただくこととなっている。

■特措法の概要∼全体構造∼
特措法の目的は、新型インフルエンザ等から国民 の生命及び健康を保護すること、また新型インフル エンザ等が国民生活及び国民経済に与える悪影響を最小限のものとすることである。  

なお、特措法の対象は、 「新型インフルエンザ等」 (第2条第1号)であるが、これは感染症法第6条 第7項各号に定められた「新型インフルエンザ等感 染症」以外にもう1つあることを示している。それは、「新感染症」 「 (感染症法第6条第9項。症状が 重篤な未知の感染症)であって、全国的かつ急速にまん延するおそれがあるもの」については、新型イ ンフルエンザ等感染症と同様のインパクトを持ち、 健康危機管理及び社会の危機管理を要するものとの 観点から、これを特措法の対象に含めている。  

また、特措法は、病原性の高い新型インフルエンザを一番の念頭において作られているが、通常、発生当初の時点ではその病原性が明らかではない場合が多いと考えられ、特措法による政府対策本部の設 置など所要の対策が動き出す必要があり、病原性が 明らかとなっていないものも基本的には特措法の対象としている。

■特措法の概要∼各論的事項∼
パンデミックの影響を少しでも抑えるためには、 平時から緊急事態時への移行時間を確保するため患者発生のピークを遅らせること、そしてそのピークを医療提供の限界内に押し止めることが重要である。特措法には、この戦略を実行するために必要な措置が盛り込まれている。

☞ 事前準備と発生時の対処態勢
まずは、発生前の準備として国、都道府県、市 町村は行動計画を作成すべきこととしている(第 6条∼第8条) 。さらに発生時には、責任ある迅速 な意思決定と国と地方公共団体の関係を明確にする ため、国及び都道府県で対策本部を設置することと なっている(第 15 条、第 22 条) 。また、対策が科 学的・合理的なものとなるよう、学識経験者の意見 を聴く仕組みも盛り込まれている(第6条第5項、 第 18 条第4項) 。

☞ 法律運用を時系列で眺める
また、スライド2は、特措法の運用を、特に緊急 事態宣言を中心にして時系列的にみたものである が、新型インフルエンザ等が発生(国内であれ、海 外であれ)したときには、国及び都道府県に対策本 部が設置され、症例や遺伝子分析の知見が世界で蓄 積されていき、症状が非常に重篤なものであり、国 内でも発生をしており、社会的な混乱が懸念される と判断される場合には、政府対策本部長から新型イ ンフルエンザ等緊急事態宣言 (第 32 条) がなされる。 このような病原性等についての科学的な判断を踏ま えた慎重な二段階構造となっている。もちろん、緊急事態宣言をした場合であっても、さらに症例が増 加して病原性がそれほどではないとわかれば速やかに解除 ( 第 32 条第5項 ) することとしている。  

なお、この二段階構造は、特措法で定める一つ一つの措置についてもそのようにしており、はじめは 要請をする、それが正当な理由なく従わない場合であって、特に必要が高いときに限り、一定の行動を 指示したり、施設を一時的に管理者の同意なく使用 するという慎重な仕組みをとっている。

 

☞ 新型インフルエンザ等緊急事態宣言
新型インフルエンザ等緊急事態宣言は、それ自体としては国民の行動に制限を及ぼすものではなく、 国民に対し、特措法第4章に定められた措置をとる可能性があるような事態であるということを国民に 明確にお知らせするためのもので、様々な緊急措置のいわば第一段目のトリガーである。その具体的内容は政令で定められることとなっており、政令の基本的考え方については有識者会議の重要な一つの議 題である。

☞ 全国的整合性の確保の仕組み
全国的かつ急速にまん延するという新型インフル エンザ等の特性と通勤通学等により広域にわたり人が日常的に移動している現実を踏まえれば、国、都 道府県及び市町村の対策実施の整合性を図ることが 重要である。このため、行動計画は、国から始まり 都道府県、市町村というように階層的に作成されることとされている。また、発生時においては、国の 対策本部において、発生したウィルスの特性や感染 段階の判断といった医学公衆衛生学的知見を的確に 反映させて、行動計画に盛り込まれている措置の中 からどれを、どのように実施するかを明示する基本 的対処方針を作成(第 18 条)し、これによりとるべき措置を機動的に国全体に示し、国、地方公共団体、民間が整合的な措置を取り得るように構成されている。

☞ 民間の協力確保
新型インフルエンザ等対策のためには、国や地方公共団体のみでは十分な機能を持つことができないことから、通常時から事業として行っている民間法人の協力をいただくこととしている。災害対策基本法や国民保護法でもおなじみの指定(地方)公共機 関制度である。特措法では、感染症対策としての特殊性から、他法にはない「医療、医薬品・医療機器 の製造販売」が例示として明記されている(第2条 第7号) 個別には政令又は知事が定めることとなる。

さらに、特定接種の対象となる登録事業者(第 28 条、第4条第3項)は、医療提供、国民生活及び国民経済の安定に寄与するため、まん延時においても事業を継続することが求められている。

☞ 社会的対策
個別の社会的対策としては、感染しやすい人混みなどを抑制していくという伝統的な公衆衛生対策 (第 45 条)も盛り込まれている。緊急事態宣言の対象区域において、当該区域を管轄する都道府県知事 が、不要不急の外出自粛要請(第1項)や学校や興行場などの人が多く集まる施設の使用制限などを要 請(第2項) ・指示(第3項)するものである。これらは、国内発生早期に患者発生のピークを遅らせ るため、あるいは患者数がこれ以上増加した場合に は医療提供体制が破たんする恐れがあるような場合に、新型インフルエンザ等の潜伏期間及び治癒までの期間(新型インフルエンザの場合、発生しなけれ ば明確ではないが、インフルエンザウィルスとしての共通性があるとすれば、おおむね1∼2週間程度 を想定)並びに発生状況を考慮して知事が期間を指定して行い、使用制限等の要請・指示をした施設については公表される。なお、この不要不急の外出自 粛要請はもちろん、施設の使用制限の指示に従わなくとも罰則の対象とはならない。なお、施設の使用制限等については、感染の危険性を伴うという内在的な制約等によるものであり、損失補償の対象とはならない。  

その他にも、緊急物資の輸送、重要な物資の安定的な供給確保などのための措置が設けられている。 なお、知事等による特定物資(政令で定められる) の保管命令に従わず当該特定物資を隠匿等した者 (第 76 条) 、知事等による立入検査の妨害等(第 77 条)については、国民保護法等と同様に罰則規定が 設けられている(法人の両罰規定は第 78 条) 。  

また、新型インフルエンザ等対策において、在留邦人の保護というのは重要なテーマである。外国に 進出している日本企業も多いが、邦人従業員・家族の健康管理のため、常に当該国・近隣の感染症情報には注意をしていただきたい。

☞ 医療的側面からの仕組み
医療提供能力を超えれば、重症で止まる人も死亡する可能性が高まり、軽症者も重症する人が多くなるだろうと思われる。その意味で、新型インフルエンザ等が発生したときに最も重要なことは、やはり医療を確保することである。医療提供体制確保の仕組みとしては、指定 ( 地方 ) 公共機関制度 (第 47 条) 、臨時の医療施設の特例(第 48 条)あるいは同意のない一時使用権限(第 49 条) 、特定接種の対象となる医療機関による事業継続の努力(第4条第3項) 、 医療等への従事要請(第 31 条)がある。  

医療関係者に対する要請・指示は、医療関係団体 の意見も十分聴いたうえで、国民保護法と同様に、まず十分な理解を得るために「要請」をしっかりと行い、万やむを得ない場合に「指示」をするという二段階構成にし、罰則は付しないという構成とされた。  

さらに、新型インフルエンザ等患者と濃厚に接触 するというリスクにかんがみ、要請・指示に応じて新型インフルエンザ等医療に従事した際の新型インフルエンザ等罹患による死亡等に対しては、その損 害を補償する仕組み(63 条)も整備された。  

さらに、医療的措置として、予防接種に係るものとして2つの仕組みが盛り込まれている。1つは、医療提供体制や国民生活・経済の破たんを防ぐために国民に先んじて予防接種をするという特定接種 (第 28 条) 。それから、新型インフルエンザ等緊急 事態宣言が出されている状況下における国民の皆さんに対する予防接種(第 46 条)である。いずれも公費で実施される。

■まとめ
新型インフルエンザ等対策において最も重要なプレイヤーは、現場の公衆衛生・医療関係者であることは当然であるが、病原性が強いものであればあるほど国民生活・経済に基盤に関わる事業者、現場で働く方々、そして国民一人ひとりの意識と行動の重要性が増すことは言うまでもない。その活動を最大限効果的なものとするよう、あらかじめ各レベルの 対応計画作成に向けて関係者との調整がなされ、それぞれが納得したうえで全力を尽くせるようにして おくことが望ましい。いつ、どのように発生するか 予想はできないが、特措法が国民の生命の保護と社会の危機管理に役立つものとなるよう、魂を入れる作業はまさにこれからである。関係者・団体のご協力をお願いしたい。