岩手県災害対策本部の闘い

 

約5800人の死者・行方不明者を出した岩手県。県の災害対策本部は、被災状況も分からない中で闘い続けた。彼らが経験した試練は、間違いなく次の大災害でも大きな障壁として立ちはだかる。しかし今の災害対策本部には、当時中心となったメンバーは、既にいない。常に人事で担当が変わる日本の組織体制では、ある意味仕方がないことだろう。今、やるべきことは、彼らが災害対応で得た教訓を我が身のこととして学び取ることだ。岩手県前総合防災室室長の小山雄士氏、元防災危機管理監の越野修三氏、岩手医科大付属病院の秋冨慎司氏に、3.11の災害対応を通じて得られた教訓を聞いた。
(編集部注)この記事は、「リスク対策.com」2013年9月25日号(Vol.39)に掲載したものをWeb記事として再掲したものです。役職などは掲載当時のままです。(2016/05/06)

 

情報が無い中で対応する力
Q.3.11の発災当初、通信が途絶え、被災地の状況が分からない中で、越野さんはいかに災害対策本部の陣頭指揮を執られたのでしょう。
越野 あのような大災害の突発事案というのは、最初から情報が入るはずがないのです。しかし、やるべきことの目的、目標は明らかですから、それを達成するために、手持ちの資源をどうやって運用するかに意識を集中させました。 

目的は人命最優先で、目標は一人でも多くの命を救うことです。この目的、目標に基づいて、何を重点に、どのように手持ちの資源を配分していくかを決めていったのです。 

一方で、被災地の状況が分からないわけですから、被害状況をイメージするしかありません。テレビ画面から流れる映像をもとに、市町村はこういう状況に陥っているだろう、病院はこうなっているだろうと想像しながら対応を考えていきました。 
同時に手持ちの資源も把握しなくてはいけません。いつも言うことですが、目的・目標を達成するためには状況を把握することが不可欠です。この状況を把握するというのは、被害の状況と、自分の手持ちの資源の両方が分かっていないとできないことなのです。 

手持ちの資源については何度も自衛隊と協議し、演習も繰り返していましたから、どのくらいの部隊が支援に来るのかは事前に分かっていました。しかし、被災地については圧倒的に情報が不足していましたから、海岸沿いの病院が壊滅的な状況になっていることをイメージし、人命最優先の目的と一人でも多くの命を助けるという目標に向かって、病院に酸素吸入器や毛布、DMAT(災害派遣医療チーム)などのスタッフをヘリで送り届けることを最優先に行いました。食料の調達が多少遅れたとしても数日は生き延びることができますが、酸素吸入は一刻たりとも止めることはできません。低体温で死に至るケースもあります。こういう状況に対して真っ先に手を打たねばならない状況だったのです。

 

Q.すべての病院が同じような状況に陥っているわけではなかったと思います。医療班の指揮を執られた秋冨さんにお聞きしますが、連絡が取り合えない中でいかに支援する優先順位を決めたのですか?
秋冨 災害時には、腐ったような情報も山ほど入ってきます。助けが必要だ、人が死にそうだという情報から、どうでもいいようなデマまで。逆に、本当に被災している人は、助けてほしいという情報すら発信することができないのです。そういう声なき声にまで耳を傾け、その中から、災害対応に必要な情報を見極める情報のトリアージが必要になります。 

ただし、基本として緊急時の状況判断は、「信頼度」「優先度」とを基に行うしかありません。信頼度が低い情報でも、命にかかわるような優先度が高い情報なら、それを信じて行動するしかない。実際に支援に行って空振りだったこともたくさんありました。それは仕方ないことです。

Q.情報が無い中で被災状況をイメージするということは極めて難しいことのように思いますが?
越野 情報が入ってこない中でどこまでイメージできるかは、実際に災害を経験していないとなかなかできないことです。僕は阪神・淡路大震災の時、陸上自衛隊第13師団の作戦部長として神戸市で救援活動にあたった経験があるので、市町村がどうなっているのか、情報が入ってこないということは何も報告できないくらいひどい被害だということが想像できました。こうしたイメージ力を高めていくには、実際に災害を経験するか、訓練を数多くこなすしかないわけです。首都直下や南海トラフで出されている被災想定をもとに、訓練をして、最悪の事態をイメージするトレーニングを積んでいくことが大切です。

 

平時と危機対応時の組織体制は違う
Q.3.11を乗り越え、改めて浮き彫りになった課題もあったかと思いますが、どのような点でしょう。
越野 一つは、意思決定です。危機対応時には災害対策本部のトップだけでなく、いろいろな立場の人が、それぞれの現場で意思決定をしていかなくてはなりません。各市町村の防災担当課長や消防署長、消防団長、民生委員長など、それぞれの立場の人が何を目的・目標に、どう意思決定したのかが問われます。それが適切にできたのかどうか。 
個人的には、で彼らがどういう3.11ことを悩み、どのような意思決定をしたのか、その判断が適切だったのか、もし適切でなかったらなぜ適切でなかったのか、どうすればよかったのかを、改めて見直す必要があると考えています。その上で、未曽有の災害時において適切な意思決定を行うための訓練がどうあるべきかを今まさに研究している最中です。 

もう一つは組織の体制です。行政は、危機対応のために作られた組織ではなく、平常の業務を効率的にやろうという組織ですから、知事の指示がなくても、平時は法令や制度に従って業務を行っています。しかし、有事の際は法令とか条例に従ってやれる状態ではなく、トップの意思決定に基づいてやらなくてはいけない。つまり、業務構造がガラッと変わっているのです。そのことを分からず、普段通りのルーチンの仕事のようにやっていると、縦割りの弊害が出てきます。例えば「それは市町村の仕事ですから、私はやりません」とか。冷静に考えれば、市町村が機能していないのですから、県が市町村に代わって業務をしなくてはいけないはずなのに、自分が本当に何をやらなくてはいけないかが判断できない。

Q.小山さんは前室長の立場として、どのような点に課題があったと感じていますか?
小山 県庁の災害対策本部支援室のスタッフとなる総務部の職員に対しては、災害時にどういう対応をすべきか繰り返し訓練をしてきたのですが、災害対策本部支援室はあくまで参謀の役割を担うだけで、実際に災害対応にあたるのは農林水産、土木、商工などの一般部局です。そこが何をやるべきかは地域防災計画に書かれていますが、3.11のような情報がない大規模災害の中でそれぞれが適切に動くためには、やはり相応した訓練が求められるということです。県庁全体としての訓練が不足していたことは否めません。日常的に災害対応にあたっている土木関係などの部局は比較的にスムーズに動けましたが、普段、災害対応と無関係の部局は、何をすべきなのかすら、十分に理解できていなかったように思います。 

OBの立場で無責任と思われるかもしれませんが、何があってもこの日だけは県庁全員で訓練をやる、というようなことが必要だと思います。忙しいという苦情も出るでしょうが、これは我々が痛感したことなのです。全国の自治体も同じでしょう。今の訓練は、主管部門だけを対象にしたもので、県庁全体の訓練になっていません。実際の3.11のような被災を想定し、それぞれが意思決定して連携する訓練が不可欠です。 

他方で、災害対策本部の機能そのものも見直さなくてはいけないと感じています。つまり、災害対策本部員会議を立ち上げても、本当に作戦を練るための戦略会議にはなっておらず、情報共有のための場になってしまっています。

越野 県の災害対策本部会議は災害対応する上で、県における最高の意思決定機関です。しかし、実際は「こうやりました」という報告会になっているということです。 

理由はいくつかあって、一つはマスコミの報道などを心配して、あまり内部でもめたくないという面子的な意識があると思います。もう一つは、それぞれ各部局の責任者が、問題点を問題として捉えているかどうか、責任感の温度差です。もし、部局ごとの問題点が明確になっていれば、「もっとこうしてほしい」「こうするべきだ」という意見と、「これしか資源がないんだ」という意見がぶつかり合うはずで、その中で、まさに戦略を練り上げていくことになりますが、実際は議論の場にはなっていませんでした。

 

臨機応変な対応と立場ごとの意思決定
Q.沿岸部の市町村が機能していない中で、県はどう支援されたのでしょう?
小山 例えば、市町村課としてどう支援できるかを考えると、県から職員を派遣してその職員が市町村の事務を一生懸命やるということは効率がいいとは言えません。内陸の市町村にお願いをして事務のできる人を集めるとか、全国の市町村にお願いをするとか、もっと重要な役割が出てくるはずです。それは最初から計画されていたものではなく、災害対応の現場の中から生まれてきたものです。市町村では、トップの指揮調整の機能が完全に失われ、現場は混乱しきっていました。そのような状況に、どのような人材を充てるべきかを考えながら、やはり柔軟に対応していくことが求められました。 

災害対応は、マニュアルに書かれていることなど、ある前提条件の中だけで考えると必ず行き詰ります。市町村が機能していない中で、自分たちがどう行動すべきか難題に直面する中で、いかに臨機応変に動くことが大切か我々は学びました。越野 結局は、繰り返しになりますが、立場、立場で意思決定しなくてはいけません。保健福祉から土木から、それぞれの立場で判断をしなければいけないことがたくさんあるわけです。  

ヘリのパイロットなら、2カ所から助けを求められている時に、どちらを先に助けるのかを現場で判断しなくてはいけない状況もあったでしょう。こちらを先にやると決定したなら、その意思決定に至った理由もあるはずです。死にそうな人が見えたからか、いっぱい人がいたからかなど、その人の価値観に委ねられるものなのかもしれない。しかし、その判断を避けて災害対応にあたることはできないのです。それをもっとうまく、適切に行うためには、どのような訓練をすればいいのかを研究していかなくてはいけません。

現場に権限を持たせる
Q.国との連携はどうだったのでしょう?
秋冨 国の悪かったところは、現場の状況が見えない中で、何をすべきかが分かっていなかったことです。ひたすら現場に情報を上げろと言い続けました。しかし、必要なものを要請しても違うものが送られてきたり、あるいは後回しにされたり…。発災当初、国の地震防災情報システムでは、岩手県は死者が百人未満と算出されました。そのことにより、医療チームなどの支援が岩手はあまり必要がないと判断され支援が遅れたことは、その情報が揺れだけを計算しているという「情報の信頼度」を確認していなかったという情報マネージメントのミスです。そして、現場の状況は現場が一番分かっているという信頼ができていなかったことに大きな問題があったように思います。 

アメリカのICS(標準化された危機対応システム)では、現場に権限を持たせて、国などの上部組織は、現場が動きやすいよう支援するというのが鉄則なのですが、3.11においては国の役割、県の役割、市町村の役割があいまいでした。何が必要かは、現場が一番分かっています。本来、現場に任すべきことは現場に任せて、国がやらなくてはいけないことは何なのかをもっと考える必要があったと思います。

小山 私は、南海トラフなどを考えると、もう少し違った観点も必要だと考えています。南海トラフのような超巨大災害だったら、国は個々の自治体の要望に応じていられるような状態ではなくなります。国全体を動かすような発想がないと収束しないと考えられます。その際、重要になるのが情報共有です。

 

危機対応の標準化による信頼の構築を
Q.こうした問題を改善するためにはどのような取り組みが必要でしょう?
越野 本来なら、県、国、市町村など、それぞれの立場を理解していないと、連携というのは難しいものです。私は、防衛省(陸上幕僚監部)にもいたし、方面隊や師団レベルも経験しましたから、その意味では自衛隊との連携はうまくできたと考えています。同じような経験をするには、訓練を通じてそれぞれの立場を日常的によく理解しておく以外に解決策はないでしょう。その中で、連携しながら情報の処理、つまり関係機関からのさまざまな情報「インフォメーション」を、各組織にとっての対応に必要な情報「インテリジェンス」に変換していくような能力を高めていくことが求められます。

秋冨 被災者、県、国、市町村すべての方々と相手をしていて分かったことは、被災者は市町村が何もしないと怒っている、市町村は県が何もしないと怒っている、県は国が何もしないと怒っている、ということです。 

しかし、中立的な立場の僕から見れば皆頑張っていたんです。でも、相手が何をしているかが見えない、信頼できないから、お互いを責め立てていた。もし、アメリカのICSのように国全体として災害対応の手法が標準化されていたら「相手は今、こういう対応をしているはずだ」というように信頼関係が築けていたと思うのです。

小山 確かにICSができていれば、それぞれの組織の参謀同士が連携し、どう社会の機能維持をしていくかという流れは揃えられると思います。ただし、県、国、市町村の信頼関係を築きあげていくためには、ICSに基づいてそれぞれの組織が災害対応にあたっていることをお互いが確信できなくてはいけない。そのためには、実際に汗を流して互いに訓練をしてみることが必要です。その汗によって、はじめてICSによる「絆」ができあがると思います。

 

Q.岩手県では、特に岩手・宮城内陸地震(2008年6月14日)以降、災害対応について見直された点も多いとうかがっております。具体的に改善しておいてよかった点は、どのようなことでしょう。
秋冨 岩手・宮城内陸地震の後は、越野さんが中心となって、まず部局内はもちろん、自衛隊や医療機関が常に連携できるように組織体制を見直し、災害対策本部の配置なども変えました。訓練も、元防災課長だった菊池さんや担当の小原さんがその必要性を感じ、当時は絶対に無理だと言われた県の総合防災訓練を、シナリオを事前に公開しないブラインド型にするなど、それぞれの意思決定力を高めていきました。こうした改善をしていなかったら、3.11の対応はかなりひどいものになっていたと思います。 

もう一つ、震災の1年前には、大災害発生時に花巻空港を閉鎖し、SCU(ステージング・ケア・ユニット:広域搬送拠点臨時医療施設)を設置してヘリで運ばれてきた患者を県内外の医療機関に送る中継地とすることを決めました。また、そこから被災地沿岸部へ医療チームを送るという医療の中間準備派遣基地として、その訓練も行いました。 

最初は県を巻き込んだこの壮大な計画は馬鹿にされて、まともに話すら聞いてもらえませんでしたが、訓練を通じて、空港職員の方々にはその必要性を理解していただき、結果的に今回の3.11でも、地元の医師と消防の方が連携し、早い段階でSCUを立ち上げることに成功しました。SCUでケアした患者は約300人、広域搬送した患者は16人に上ります。いわて花巻空港のSCUからは宮城県や福島県までの支援も行っています。放射能の危険にさらさせてしまった責任は感じるものの、全国の医療従事者が岩手県に集まって頂き、そのおかげで多くの命を救う事ができました。これらが成功したのも事前からの準備と、岩手県内の医療従事者の熱心さ、それを理解してくれた県行政、そして消防、警察、自衛隊、海上保安庁等の各関係機関の取り組みによって、少ない支援の中で支え合って頑張って乗り切れたのだと思っています。

越野 県庁の12階大講堂に陸上自衛隊の第9師団(岩手県への災害派遣部隊)の司令部を設置することを決めたのも岩手・宮城内陸地震の直後のことです。自衛隊の災害派遣部隊の指揮官である師団長と、その幕僚が県庁内にいたことで、行政側のニーズをダイレクトに伝えることができ、災害対応の調整がスムーズに行えました。 

沿岸各市町村に自衛隊の活動拠点を決めて、そこに展開させる訓練を実施していたことも役立ちました。2010年度には、自衛隊のヘリがどこに降りることができるのか適地調査も実施しています。阪神・淡路大震災では、広島から神戸に向かった時に、どこへ入ればいいのか分からなかった苦い経験があったので、自衛隊がどこに、どのように展開するかを決めておかなくてはいけないと考えていたのです。今回、通信がシャットダウンして市町村と連絡がとれない中で、速やかに活動にあたれたのも、そのおかげです。

小山 今振り返って、あの時の判断で本当に良かったのかということは正直あります。しかし、あれ以上のことができたかと言われたら難しい。確かに、もっと事前にやっておくべきだったこと、想定しておくべきだったこともあります。広域の受援計画や、遠野との連携の仕組みは、時間があったなら、作っておくべきだったでしょう。 

ただし、そのような中でも、できる限りのことはした。その中で得られた教訓を次に生かしていくことは我々の役目でもあります。