街全体のレジリエント

京都大学防災研究所教授 牧紀男氏

津波で被災した地域の復興は、大きく高台移転か現地再建かに分けられる。どちらかの方法に完全に分けられるわけではなく、居住地だけを高台に移転し、既存市街地は防潮堤を高くして、盛土により土地のかさ上げを行って再建するなど複合的な方法がとられている場所もある。 

ちなみに、昭和8年の三陸津波の際も、復興の方法は現在とほぼ同じだった。都市型集落については現地再建が行われ、農村型集落については高台移転が行われた。強いて言えば、現在との違いは技術力と財政力であった。昔は防潮堤といっても簡単に造ることはできず、岩手県田老町のように第二次世界大戦を挟んで完成するなど莫大な費用と時間がかかった。それでも多くの被災地が再建をしたが、今回の東日本大震災では、再び被災した集落も少なくなかった。 

理由の1つは、当時の復興は、今のようにしっかりとしたシミュレーションに基づき高台移転の場所を決めたわけではなく、「既往津波遡上高」より高い、つまり「前よりも高いところ」という経験値に基づいてのみ移転地が決められていたことだ。例えば岩手県釜石市の両石地区は、昭和三陸津波後に高台移転しているにもかかわらず、今回の津波では壊滅的な被害にあった。想定した高さを上回る津波により街全体が飲み込まれた。 

一方、移転地は十分な高さだったものの、その後に街が拡大したことで今回被災が大きくなったという地区も多い。山田町の田の浜地区は、昭和の移転地は無事だったが、戦後、戦争から引き上げてきた人たちが町に帰ってきて住むところがなく、結果、海岸に近い場所に住むようになり、その後、移転地に住んでいた人も利便性を求めて低地に住むようになり、今回やられてしまった。

ただし、中には、大船渡市の吉浜地区のように、復興の過程で国道が高い場所を通るようになり、それに伴い街の中心地が高台に移り、人々が低い地で暮らすことを食い止め、被災を免れた場所もある。


政府が進める計画 
今回の震災を受け、政府は復興の基本方針として、数十年~百数十年に一度、発生が予想されるレベル1(L1)の津波を防げるような防潮堤を造ることを決定した。東日本大震災級のL2の津波は防潮堤だけでは防御できず、避難などソフト面で被害を防ぐ。 

防潮堤の高さは、地域ごとに過去に発生した津波の高さを測定し、さらに想定高潮や想定宮城沖地震などで算出した津波の高さなども加え、過去に一定間隔で発生していると考えられる津波をグルーピングして、それらの最上位に耐えられるようにした上で、1メートルをプラスするというのが基本的な考え方になっている。多くの地域では今回の東日本大震災の津波が突出して高いため、それを除いた津波に耐えられるようにする。 

加えて、こうして算出した防潮堤の高さに対して、今回の東日本大震災同等の津波シミュレーションを行い、堤防を越えてどこまで浸水するのかを算出し、浸水深2メートル以上の場所は居住禁止地域としている地区が多い。

住宅だけを高台に移して街は復興するか 


ここで考えておきたいのは、住居だけを高台に移すということが、地域の持続的な存続につながるかということである。 

街は、居住地だけでなく、商業、労働、観光など、いろいろな機能を組み合わせて魅力が高まる。地方に行けば行くほどこうした複合的な組み合わせは重要で、一昔前のベッドタウンのような街を開発しても、おそらく長い年月の後には人が住まなくなり、街は衰退してしまう。 

加えて、今回の震災で被災した沿岸部の多くでは若者世代が減少している。2010年時点の人口分布では、沿岸部にも、まだ多くの若者がいた。それが、東日本大震災の後、例えば大槌町では40歳未満の人口が大きく減少し、中でも子育て世代を中心に町を去っている状況がうかがえるような人口分布になっている。 

乱暴な言い方だが、東日本大震災により20年くらい時計を早くまわしたような地区もあるはずだ。若者がいなくなったことで高齢者比率が高まり、地域の持続が難しくなっているような状況とでも言い換えられるかもしれない。

 

求められる若者世代の補充 
では、東日本大震災で被災した沿岸部の復興はどうしたらいいのか。 

無責任な言い方にはなるが、無理に復興を急ぐ必要はない。もともと人口が減少傾向にあったことは、被災前も今も同じだ。交付金の問題や復興庁からの要請があることは理解している。しかし、重要なことは20年、30年先を見越して、その時に少しでも若者が働ける街の姿を住民一人ひとりが共有した上で街づくりを進めることではないか。 

既に街を出ていった人に戻ってきてくれということは難しい。新しい仕事を見つけ、子どもの就学先まで決まっていればなおさらのことだ。それよりは、既に街を去った20代、30代の世代を補充するために、復興を今、手伝ってくれている若者世代をターゲットに住み続けてもらうことなどを考える必要があるだろう。


事前復興の街づくり 
残念ながら、街づくりは付け焼刃的に課題を解決して行えるものではない。住民の合意形成には長い年月がかかる。大災害が起きたからといってすぐに合意形成が生まれるようなこともない。だからこそ、被災前から街の将来ビジョンを具体的に考えておかねばならない。南海トラフで被災することが分かっている地域なら、被災想定をもとに、どこに高台を整備するのか、新しい街の中心地を持ってくるのかを話し合っておくことが大切だ。 

高台がどこに整備されるかがあらかじめ分かっていたら、企業としても、早い段階から移転計画をつくるなど対応準備に取り掛かれる。その際、地域の人口動態、人口分布なども分析し、戦略的にどの地区を発展させていくのか選択と集中を併せて検討していく必要がある。 

例えば、限界集落に近い高齢化が著しく進んでいる地域や、戦後間もなく開発されたニュータウンは、一度震災が起きたら持続はかなり厳しい状況に追い込まれる。しかし、震災が起きなくても、いずれは持続困難に陥る。こうした地域をどうするかを、震災対策などと併せて検討しておけば、いざ震災が起きてからあわてて計画を立てることは避けられる。 
高度成長期ならこうした議論はそれほど必要がなかったかもしれない。なぜなら、放っておいても街は活性化していくため、緻密な復興計画がなくてもある程度のレベルまで街の活力を取り戻すことはそれほど難しい話ではなかった。しかし、阪神・淡路大震災では、地域経済、人口動態が既に横ばいになっていたこともあり復興には長い時間を要した。人口減少時代に突入した今、特に地方では復興はこれまで以上に難しくなることを肝に銘じておかなくてはいけない。

 

サンフランシスコの新たな街づくり 


実は、サンフランシスコのベイエリアでは、こうした事前復興の概念に近い、レジリエントシティ(回復力のある街)への取り組みが始まっている。 

1985年にニューオリンズなど米南部を襲ったハリケーンカトリーナの教訓を受けスタートしたプロジェクトだが、彼らはまず街の主要施設について重要性評価と脆弱性評価を行い、現時点で被災した場合に復旧にどのくらいの年月がかかるかを算出。その上で、人口動態などを踏まえ、理想的にどの程度の期間で復旧・復興すればいいのか目標復旧時間を決め、街づくり計画に落とし込んでいる。 ある施設では、耐震強度を高めるなど、ハード対策を施す計画だが、移転などを見込んでいるものもある。さらに重要になるのは、住民を含めた全体の合意形成である。これらを実行するためには1年、2年といった短期的な取り組みではなく、10年、20年といった長期的な視点が不可欠になる。日頃から話し合いを進め、災害が起きたら一気に計画を加速するような事前復興の街づくりが必要になっているのではないか。

 

牧紀男(まき・のりお)
京都大学防災研究所教授。1997年に京都大学大学院工学研究科で博士(工学)を取得。奈良県、京都府において地震防災戦略計画の策定、2004年新潟県中越地震で被害を受けた小千谷市の復興計画策定に関わる。専門は、ステークホルダー参画型防災戦略計画、災害復興計画、標準的な危機管理システムなど。2005年から京都大学防災研究所巨大災害センター准教授、2014年2月から現職。