住民・事業者が街を守る

 

企業の地域貢献のあり方として、注目を集めているのが地区防災計画制度だ。今年4月に創設された制度で、市町村の一定の地区内の居住者および事業者が自発的な防災活動に関する計画(地区防災計画)を策定し、市町村が定める「地域防災計画」の中に取り入れられる仕組みを設けている。今号の特集でも、地域貢献の枠組みとして、地区防災計画制度の活用を模索している企業もあるが、始まったばかりの制度ということもあり、「地区の範囲をどのように定めたらいいか」「どのように計画を策定すればよいか」など、住民や事業者、行政側ともに、まだ同制度への疑問や戸惑いも多いようだ。事業者主体の事例ではないが、早くから地区防災の考え方を取り入れ、全国に先駆けて市内全域で地区ごとの防災計画を策定している北海道石狩市の取り組みを取材した。

住民主体で育てる地区防災
北海道石狩市

 

石狩市が地域防災計画の大幅な改定を最初に迫られたのは2005年にさかのぼる。「平成の市町村大合併」により、石狩市は隣接する厚田村・浜益村と合併。人口は1.1倍に、面積は6倍に増えた。 

「面積が増えた分、旧石狩市には無かった山間部での土砂災害リスクが増えるなど、それまでの地域防災計画では対応できないことが分かった。それでも東日本大震災前は全面改定の予定はなく、現況に合わせた修正程度で考えていた」と石狩市総務部総務課危機管理担当主任の笠井剛氏は当時を振り返る。しかし2011年3月に東日本大震災が発生。当時の地域防災計画に危機感を感じた田岡克介市長は、「策定にあたっては、専門家から意見をもらい、地区住民自らが納得し、考えられる動機付けが必要」と考え、地区ごとの防災計画の必要性について市長と同じ考えを持つ当時北海道大学工学研究院特任教授の加賀屋誠一氏(現在・室蘭工業大学副学長)に助言を求めた。

加賀

屋氏は、2000年の有珠山噴火時に噴火を予知すると同時に近隣住民の避難を指示し、地元では「有珠山の守り神」とも呼ばれている元北海道大学附属地震火山研究観測センター長の岡田弘(ひろむ)教授(現・北海道大学名誉教授)に影響を受け、早い段階から地区防災に関してその有用性を熟知していた。加賀屋氏は2011年10月、「地区防災計画策定に係る市民参加のあり方に関する提言~地域防災力の強化に向けて~」と「地域防災計画・水防計画の改定に関する提言」をまとめ、市に提出。石狩市はこの提言に沿った地区防災計画を策定することを決定した。 

提言には、これまでの地域防災計画から脱却し、想定外の規模の災害まで含め、住民一人ひとりが万が一に備えて普段から訓練や備蓄などの防災・減災活動を進め、自助・共助を促すことのほか、災害時のICS(インシデント・コマンド・システム※米国で導入されている災害対応の標準化された考え方)の導入、市のBCP(業務継続計画)の策定などが盛り込まれていた。

住民主体の策定を目指す 
地域防災計画は、市町村の防災会議が策定することが災害対策基本法で定められている。 

しかし、今回の地域防災計画の改定にあたっては、市は防災会議メンバーに加え、学識経験者や石狩市の代表者となる商工会議所関係者、農業・漁業組合関係者などのほか、地区の代表者ら19人で構成される「石狩市地域防災計画改訂委員会(以下、改訂委員会)」を設置した(図1)。改訂委員会に石狩市防災会議から作業を委託するという形をとったのだ。同時に、市民レベルで地区の町内会関係者や学校・幼稚園、医療機関、企業、消防団員らから選出された「地区防災計画策定会議(以下、策定会議)」を設定。策定会議は加賀谷氏の提案で、地域の特性を考慮し8つの地区に分け、それぞれ年に4回のワークショップを開催することになった。

 

策定会議は道内のコンサルティング会社である株式会社ドーコンのスタッフがファシリテーターを務め、基本的に住民が主体的に会議を進めてもらう形式をとった。当事者意識を持ってもらうため、市の職員はすべての会議に同席はするものの、必要な情報提供や資料提供のほか、他のワークショップの活動状況を報告するなどコーディネーターの役割に徹したという。 また、改訂委員会と策定会議は、基本的に一緒に作業することはない。策定会議は地区防災計画を作ることに専念してもらうためだ。改訂委員会は策定会議の中で共有された問題意識をどのように地域防災計画の中に取り込むかを考える場として機能させたという。 

「8つの地区が同時並行的に考え、それを市側で地域防災計画に盛り込みながら改定作業を進めていったので、それぞれが別々に地区防災計画を上げてくるような場合に比べれば、比較的作業はスムーズだったのではないか」(笠井氏)。 

8つの地区にはそれぞれ想定災害の違いがある。例えば市域北部の浜益地区、厚田地区は石狩市に新しく編入した地域。山岳地帯だが一部海岸線沿いに平地がある。海に流れ込む川沿いに集落が点在し、海岸線にも集落があるため津波の被害を受けやすい上、背後に山も控えているために土砂災害の危険性もある地域だ。南の海沿いに位置する新港地区は工業団地。3000ヘクタールのなかに製造業、食品業、建設業など約600社がひしめいている。ここでは水害のほか帰宅困難者が出る可能性もある。新港地区の東隣にある本町地区は旧石狩町役場があった地区で、最近は高齢化が進んでいる。ワークショップは、こうした地区の災害特性に合わせて議論が進められていったという。

 

地区防災ガイドを作成 
ワークショップの成果物として出来上がったのが、「地区防災ガイド」の冊子版だ(写真1)。これはワークショップに参加した委員のほか、町内会の代表など、有事の際には防災リーダーになる人物や避難所となっている学校に配っている。内容は基本的にはほぼ共通しており、①地区の基本的な考え方、②地区の特性、③平常時の行動、④災害時の行動、⑤実践の5項目が掲載され、最後の実践の項目では周囲の住民に対する「防災意識の普及啓発と防災教育」を促している。もう1つ、内容を絞り込み、住民向けに日頃の備えや避難所マップや避難経路などを示したカレンダータイプの簡易版も作成した。ワークショップの発案で、家庭で気軽にカレンダーのように見てもらいたいとの思いからだという。こちらは地区内もさらに細分化し、種類を作成し、21全戸に配布しているという(新港地区のみ、企業が対象になるためポスタータイプにしている)。

 

「みんなで育てる」地区防災計画 


「地区防災ガイド」の冊子版は、付け足し可能なファイル形式になっている。今後さらに訓練などを積み重ねることで計画をブラッシュアップし、どんどん内容を増やすことができるようにするためだ。ワークショップでも「計画を作って終わりではない」という意見が多く出されたという。 

昨年からは、全地区を対象に避難所の運営まで含めた訓練も開催している。これもワークショップで話し合ったことで、通常は町内会単位で開かれるものだが、より実践的に避難所単位で開催することにしたという。例えば、1つの避難所に複数の町内会の住民が集まるのであれば、複数の町内会が合同で訓練を開催することになる。市内に避難所は22カ所あり、すでに12カ所で訓練が開催されている。 

「自分たちが作った防災計画なので、非常に住民が愛着を持っています。訓練も自主的に多くの方が参加しています」(笠井氏)。ワークショップの本当の成果物は、こういった地区の絆なのかもしれない。

 


 

成長するワークショップ年4回、1950人が参加

「全く防災に関心のなかった主婦から、自衛隊を退役して地域で防災活動をしている方まで、災害への関心のレベルがさまざまだった。まずそのレベルをそろえるのが大変だった」。地区防災計画を策定するためのワークショップに参加した、花川第2自主防災会事務局長の五十嵐正勝さんは当時を振り返ってそう語る。 

石狩市は2012年2月、ワークショップの開催に先立って全体説明会を開催した。地区防災計画の策定にあたってワークショップに参加する委員(住民)に地区の災害特性について知ってもらい、ワークショップ参加への準備を整えてもらうためだ。五十嵐氏が所属する花川地区は、石狩市役所もある市の中心部。石狩市は約30年前に石狩川の氾濫により水害が発生しているが、それ以降大きな災害は発生しておらず、当時のことを覚えている人も少なかった。東日本大震災の後であったため、漠然と津波に対する心配はあっても、石狩川が氾濫したことを知らなかった委員もいたという。 

4月に行ったワークショップでは、まず想定される災害の種別と被害の内容、地区の防災特性に関し、集まった25人が1グループ5人で5グループに分かれて議論した。「東日本大震災では想定外の津波が来た。石狩でも想定外の30m級の津波が来たらどうするのか」「地区内には約2500人~3000人の住民がいる。避難所にはそれだけの人数が収容できないのではないか」など、現実的ではない話も飛び出したというが、一番難しかったのが自助・共助と公助の線引きだったとする。住民参加型の集会は、ともすれば公助への陳情に走りやすい。「なぜ市役所がやらないのか、これは市役所の仕事ではないか」という議論も多かった。「それでもワークショップを進めていくうちに、参加者にも当事者意識が芽生え、何とか自分たちで地区防災計画をまとめ上げたいと考えるようになった」(五十嵐氏)。 

市が作成した「ワークショップの結果概要」を見てみると、第1回、第2回では「避難を考えた場合、11号線(※市内の幹線道路)を拡幅することが望まれる」、「社会福祉協議会が用意している救急医療キット以外にも備蓄が必要である」など、「誰かに何かをしてもらいたい」という意見が多いが、回を追うごとに「停電の日を設定し、不自由な状態での訓練も必要ではないか」「地域の人も積極的に訓練に参加しなければいけないと思う」など、「自分たちができることは何か」に意見がシフトしているのが分かる。ワークショップは8つのエリアでそれぞれ1年間に4回開催され、参加した委員数は延べ1950人に上った。

地域に貢献できるBCPを目指す 


「以前、仙台市内の企業に勤めていたこともあり、震災後に取引先の石巻市のお客様のところに挨拶に行ったら全部津波で流されて更地になっていた。とてもショックだった」と話すのは工業地帯である石狩市新港地区で鋼板などの曲げ加工や各種プラントの溶接組立などを行う阿部鋼材取締役専務執行役員の阿部大祐氏。石巻の経験が、新港地区でのワークショップに参加するきっかけになったという。阿部氏はその後も何度か東北を訪れ、被災した現地の経営者の生々しい話を聞くにつれ、自分も地域のために何かしなければいけないと考えるようになった。「まだ自社ではBCPを策定するに至っていないが、まず自分たちが確実に生き残り、それから地域にも貢献できるようなBCPをこれから策定していきたい」と語ってくれた。


 

常に住民の側にある防災計画を目指して

Interview 室蘭工業大学副学長加賀屋誠一氏

 

全国でいち早く地区防災計画を策定した石狩市。東日本大震災後に市の防災計画に危機感を感じた田岡克介市長が助言を求めたのが、当時、北海道大学工学研究院特任教授で、都市計画の専門家である加賀屋誠一氏(現室蘭工業大学副学長)だ。加賀屋氏は地域防災計画改定と地区防災計画策定の中心人物となり、プロジェクトを推進した。加賀屋氏に、地区防災計画の重要性と作成のポイントを聞いた。

 

防災はまちづくり
「防災計画は本来、まちづくりと同じ。まちのレジリエンス(しなやかな回復力)を保持するために、防災計画をベースにしてコミュニティのつながりを強くし、コミュニティを再生するきっかけを作ることが大事だ」と加賀屋誠一氏は開口一番そう語ってくれた。 

加賀屋氏がコミュニティの強化による地区防災の重要性を訴えるのは東日本大震災よりも前からだ。「有珠山の守り神」とも呼ばれ、2000年の有珠山の噴火予知から近隣住民の避難までを指示した、元北海道大学附属地震火山研究観測センター長の岡田弘教授(現北海道大学名誉教授)の影響が大きいという。 

有珠山は現在でも20年~30年に一度は噴火する活火山。噴火にはほぼ例外なく体に感じるような地震を伴うことから噴火は予知しやすいとも言われるが、岡田氏は火山が静穏な時期から地域住民と密着し、防災活動を浸透させてきた。その結果、噴火時にはスムーズな避難が成功し、死者が出なかったことや、日頃から自治体職員や防災機関と連携し、有珠山の噴火時に的確な助言をしたことでも知られていた。 

加賀屋氏の専門は都市計画や交通計画だが、根本的には「まちづくりがどうあるべきか」がテーマだという。都市防災については早くから学んできたが、岡田氏の影響で防災にはコミュニティのつながりを強化しなければいけないことを強く意識するようになり、新たな防災のあり方について研究を重ねていた。この経験が、石狩市長から諮問を受けた時に即座に地区防災計画を提案することにつながったという。

 

地区防災はアクションプラン
「地区防災計画は、地域防災計画のエリアを狭めたものではない。地区防災計画は住民が自ら作るアクションプランでなければいけない」と加賀屋氏は指摘する。石狩市では住民が自らの意思で参加するワークショップ形式で地区防災計画を策定した。自治体が災害対応時に行うべき行動をまとめた地域防災計画が東日本大震災時に有効に機能しなかったことは特に被災の影響が大きかった沿岸部など各地で指摘されているが、極端なことを言えば、住民の立場でまとめる地区防災計画はA4用紙1枚のアクションプランでいいと言う。災害が起きて避難が必要になれば、「○○を持って、この道を通ってここに行きなさい」と書いてあれば十分で、大事なことはそのプランを住民が自ら議論して作成し、それをいつでも見えるところに貼っておいて、実際に行動することだとする。同じように避難所の運営にしても1~2日の避難と、1カ月の避難であれば、持っていく物も避難所の運営の仕方も変わってくる。一時避難場所にしても、例えば札幌市は北海道大学内の農場を指定しているが、災害が冬に発生したら農場には雪が降り積もってしまい避難所には適していない。そういう問題点を、住民が自ら主体的にきめ細かく平時から議論しながら、コミュニティの絆を深めていくような取り組みが、非日常(災害時)のレジリエンスを高めていくのだという。

 

日常生活での自助・共助
加賀屋氏が地区防災計画策定のワークショップのアドバイスをする上で一番難しかったのは、実際に災害を経験した人が少なかったことだという。石狩市では、30年前の1981年に約大規模水害が発生しているが、それ以降は大きな災害がなかった。そのため、ワークショップは、まず自分たちにどのような災害が起きる可能性があるのかを想定することから始めた。ただ、どのような規模の災害を想定すればいいのか議論が分かれたという。例えば津波の高さは何mまで想定しなければいけないのかなど、現在の知見をもってしても分からない部分が多い。ワークショップの開始当初は他にも難しい議論が百出して混乱することもあったが、加賀屋氏は、地区防災計画は自助・共助の部分がほとんどであり、行政に対して何かを陳情するのではなく、まず自分たちに何ができるかを考えてもらうように説明し、少しずつ納得してもらったという。 

「最終的には、普段の生活に防災・減災と言った視点をどう組み入れてもらうかであり、日常生活の中で自助・共助への取り組みが身についていくことが大事。地区防災ガイドを作った石狩市の一番大きな成果は、常に住民の側に地区防災計画が置かれるようになったことだ」と加賀屋氏は話している。