2013年12月、神戸市長田区の真陽地区で地域住民850人が参加する津波からの避難訓練が行われた。地区の防災福祉コミュニティが中心となり、住民だけでなく、消防署や地元企業、地元病院も巻き込んだ大規模訓練だ。同地区は、阪神・淡路大震災では53人の犠牲者を出し、翌年から防災福祉コミュニティを立ち上げ、さまざまな防災訓練やコミュニティ活動に取り組んできた。真陽地区の取り組みを取材した。

 

真陽地区は、新長田駅の南東、JR新湊川の西に広がる地域。住宅、商業、工業が混在し、古くからの下町の風情が残っている。阪神・淡路大震災では火災により453棟が焼損し、53人の犠牲者を出した。震災が発生した翌年の1996年には長田区第1号の防災モデル地区として「真陽防災福祉コミュニティ」が発足した。防災に加え、急速に進む高齢化問題に着目し、防災と福祉の両面から地区の安全を守ることを目的にしている。

震災時に避難所となった真陽小学校 

同コミュニティでは、定期的な防災訓練や福祉活動はもちろん、1997年に兵庫県但馬海岸沖で発生した「ナホトカ号重油流出事故」では回収作業のボランティアにあたったほか、新潟県中越地震でもうどんの炊き出しボランティアに参加するなど、さまざまな活動を展開している。震災前には7541人が暮らしていたが、震災後は4439人まで人口が減少。現在は復興により、およそ6550人までに回復している。

震災時に避難所となった真陽小学校(写真提供:神戸市)

地域住民850人参加の津波避難訓練

2013年12月に開催した南海トラフ地震における津波を想定した避難訓練では、地区内指定建物への避難などに850人が参加した。「JR新長田駅の高架より北へ」を合言葉に、小学生や、要援護者も積極的に避難にトライアルした。

真陽地区防災福祉コミュニティ代表の中谷紹公氏

真陽地区防災福祉コミュニティ代表の中谷紹公氏は「真陽地区は、消防署をはじめホームセンターなどの地元企業や地元病院が多大な協力をしてくれて大変ありがたい」と話す。

訓練は、トランジスタメガホン(トラメガ)で避難を呼びかけることから始まった。真陽地区のハザードマップによると、震度4以上の地震が発生した場合、4mの津波が80分から90分以内に襲う可能性がある。真陽地区では、単に内陸側へ水平避難するのではなく、津波が来る前の60分間は近隣の消火や救助を行う「60分ルール」を作っている。訓練では、その60分の時間のカウントアップをどのように住民に伝えるかが、課題の1つだった。当初は10台のトラメガを各自治会長に配布しトラメガ隊を結成。それぞれに「地震発生から10分が経過しました。みなさん逃げてください」などの呼びかけをさせた。

しかし、訓練を行った結果、呼びかけの難しさも浮き彫りになったという。トラメガは指向性が高いため、持つ人が走り回ってしまうと周りには聞こえづらい。ゆっくり歩きながら話さないといけないが、それでは地区をくまなく回ることはできないので、その後20台に増やし、2015年1月にはさらに20台増やした。そのほかに数字が聞き取りにくいことも分かった。「○10分」と聞こえてしまい、30分なのか40分なのか分からない場合もあった。家の中にいると聞き取りにくいことも分かったため、地震が発生して強く長く揺れたら、まず脱出経路を作る意味でも窓を開けることをルール化した方がいいのでは、というアイデアも出ているという。

防災訓練の様子(写真提供:長田区消防署)
防災の取り組みを訴える(写真提供:長田区消防署)

地元企業・病院の協力で要援護者の水平避難

写真を拡大  人がショッピングカートに入ったところ

要援護者をどのように水平避難させるかも、地区にとって大きな課題だった。車や台車などを借りて試してみたが、なかなかうまくいかない。中谷氏と当時の消防署長が地元のアグロガーデンというホームセンターに何かいいものがないか探してみたところ、客が商品を運ぶ大きなショッピングカートが目に入った。通常の台車などで人を運ぼうとすると立って乗らなければいけないため、要援護者はバランスがとりにくい。しかし、ショッピングカートをよく見ると、収納時に場所をとらないように、手前側の一方が開閉し、ほかのカートと連結可能な構造になっており、介護者は要援護者を引き上げることで、カートの中に座らせることができる。対面型になるため、要援護者は安心できるというメリットもある。

アグロガーデン駒ヶ林支店長の伊藤雄康氏

これならいけると考えた中谷氏は同店店長の伊藤雄康氏に交渉したところ、すぐに快諾を得られた。「もともと、アグロガーデン神戸駒ヶ林支店は、長田区の震災復興の思いから、社長が震災後に建てたもの。地区のお役に立てるなら、できる限りのことをしたい」と伊藤氏は話す。

震災や津波が発生した時には、店側もパニックに陥っている可能性もあるので、外に保管しているカートは店の許可を得なくても使っていいことにした。カートは大型200台、中型300台を常備。中型でも、子どもや小柄な女性なら問題なく運べるという。

地域の病院からストレッチャーを貸し出し 

震災時に同地区内にあった野瀬病院は、震災時にはストレッチャーを地域に3台貸し出すことを約束している。阪神・淡路大震災で被災した野瀬病院は、入院患者全員を真陽小学校に避難させた経験を持つため、現在は病院のベッドをすべて滑車付にしている。電動ベッドは滑車が付いていても重いものが多いのだが、野瀬病院は職員1人でも移動ができる軽量化した電動ベッドに全て入れ替えたため、災害時にストレッチャー3台は不要と判断したのだ。そのほか、車いす10台の貸し出しと、避難所には看護師2人とセラピスト2人を派遣する予定だ。同病院事務長の林政徳氏は「地域の人から『野瀬病院に行ったら何とかなる」と思われる存在になりたい』と話す。

野瀬病院事務長の林政徳氏(左)とスタッフの皆さん

野瀬病院は震災後、地域の人口が3分の1に減ったため経営が危ぶまれる事態にも陥った。それでも地域と共生しながら取り組んできた結果、現在は震災前の6倍の患者数を確保するまでに至っている。昨年8月には、真陽地区に隣接する通りに新築移転し、今年3月には病床の増床工事も完成する。各階ともベランダを四方に張り巡らせた設計は、火災時の避難などにも効果的だという。林氏は「我々は自らが被災した病院。これからも地域と共に日本一安心安全な病院を目指していきたい」と話している。

軽量化された電動ベッドは職員1人で動かせる

コミュニティの力を実質化

関西大学社会学部助教の近藤誠司氏

「阪神・淡路大震災以降、コミュニティの結束が大事だという話は広まってきたが、東日本大震災を経て、より一層、コミュニティの力を強化し、実質化することが問われるようになった。それを実現するカギとなるのはリアリティ。中谷氏をはじめ、真陽地区の住民の方々は、防災に対して常にリアリティを持って取り組んでいる」と話すのは、関西大学で災害ジャーナリズム論、災害情報論を教える近藤誠司助教。大学卒業後にNHKに入社し、阪神・淡路大震災を取材した経歴を持つ。 

近藤氏によると、真陽地区の住民は阪神淡・路大震災の経験から、「救助をあきらめた瞬間に目の前で人が死んでいく」という厳しい事実を知っているという。地震で津波の発生が予想されたときに、限られた時間でできるだけ多くの人を助けたいという切なる思いを追求した結果、「60分ルール」が生み出された。では60分をどう有効に使うことができるのか?また、60分という時間の経過をどうやって知ることができるのか? リアリティを追求して地域の連携策を模索した結果が、トラメガ隊であり、ショッピングカートであり、ストレッチャーだった。近藤氏は、それらを活用しながら訓練を行い、トライアンドエラーを繰り返すことで、地域がさらに1つの仲間になっていく「インボルブメント(社会的な巻き込み)効果」が発生しているという。

そのほかにも、道具によって人は変化する可能性がある。例えば、大学生にノートパソコンを配布したところ、ゼミのレジュメを作成したり、資料作成に積極的になるという事例がある。これを学術用語では「アーティファクト(道具)によるアイデンティティ(主体性)の変容」という。パソコンという道具を持つことにより、学生が自らゼミに積極的に参加するなど、主体性が変化することを指す。トラメガ隊にも同様のことが発生したという。それまで、自治会長は周囲に状況を周知する役割があったはずなのだが、自覚の薄い人も多かった。しかしトラメガを配布した自治会長らに学生がアンケートを行ったところ、「トラメガを渡されただけで非常に緊張感が出る」「トラメガをどこに置くか、旅行に行くときにはだれに託すか考えるようになった」「話し方を練習するようになった」など、活動に積極的になった人が増えたという。これもアイデンティティが変容した例だといえる。

「例えば防災に熱心でない地域住民であっても、ツールを渡す、役割を与えるなどで取り組み方が大きく変化することもある」と近藤氏は話す。

校内放送で震災情報を

東日本大震災ではコミュニティFMなどの重要性が確認されたが、近藤氏は真陽小学校における昼休みの校内放送で、毎週防災コンテンツを放送する取り組みを開始している。大学生と小学生が一緒になり、毎週1本原稿を書く。ほとんどが防災の知識を問う3択クイズ形式だが、東北の子どもたちとの交流エピソードや、被災体験のある先生へのインタビューもある。 「リアリティを高めるために必要なもう1つの要素は、ローカリティ」(近藤氏)。

新聞などの一般紙や、テレビの防災番組では一般化された情報しか入手することはできない。子どもたちが本当に知りたがっているのは、自分の命に係わる身近な情報だという。例えば「津波が来たら、高いところへ逃げろ」という表現だと、子どもたちにはわかりにくい。「津波が来たら、国道よりも北に逃げろ」というと、イメージができる。これが大阪だと「東へ」になる。校内放送は、このように子どもが自分の生活圏でイメージしやすいメッセージを送ることができるのが、最大の利点だ。さらに音声コンテンツはデータとして残すことでアーカイブ化でき、ほかの小学校とも交換できる。ゆくゆくはクオリティの高いものはラジオ局でも放送して欲しいと考えている。

近藤氏は、「地域防災計画だけでは、対象の範囲が広すぎて“我が事”にならないケースもある。その点を補う意味でも、地区防災計画はローカリティを豊かに保ち、住民自身が情報をカスタマイズすることが最も重要」と話している。

真陽地区の「津波防災安全マップ」。「JRの高架より北へ」が合言葉だ

神戸市長田区
人口:約9万8300人
世帯数:4万7700世帯
面積:約1150ヘクタール

真陽地区
人口:約6650人
面積:約65.4ヘクタール
特徴:JR新長田駅の南東に位置し、古くからの下町の風情の残る地域。阪神・淡路震災が発生した翌年には長田区第1号の防災モデル地区として「真陽防災福祉コミュニティ」を発足させた。防コミは日常の防災活動のほか、1997年に兵庫県但馬沖で発生したナホトカ号重油流出事故や新潟県中越沖地震、東日本大震災にもボランティアを派遣するなど、さまざまな活動に取り組んでいる。