∼仙台民放局のレジリエンス∼    
 セコムIS研究所 三島和子

 

レジリエンス・ポイント    
 ① 多様な取材力と情報発信手段    
 ② 最重要ステークホルダー(リスナー)とのパートナーシップ    
 ③ 地域社会との絆


 

東日本大震災では岩手・宮城を始めとして広範囲で停電した。重要な災害情報チャネルであるテレビが見られなくなり、インターネットへの

接続もままならない中、被災地での情報入手には大きな支障が生じた。長いところでは1週間以上停電が続く。もう1つの災害情報の柱であるラジオはどうしていたのか。中には、過酷な状況の中迅速な事業継続を実現し、被災者に寄り添った情報発信をし続け、本来の役割以上に地域貢献を果たした局もある。放送局の事業継続はどのように行われたのか。 事例を元に、レジリエンスの観点から考察する。

 

① 迅速な初動対応
東北放送(TBC)は仙台市太白区に本社を置くテレビ・ラジオ民放局である。ローカル番組が多く、宮城県では NHKラジオより聴取率が高いと言われるほど県民に親しまれている放送局である。2011 年 3 月 11 日 14:46、トーク番組の放送中だった TBCに緊急地震速報が割り込んだ。地震直後に本社のある八木山を含めた広域で停電し、非常用電源が作動した。県内全域が停電になっていることがまもなく分かったため、ラジオ放送をとにかく継続することとした。非常用電源の電力をラジオ放送に集中させるべく、スタジオ以外の棟とフロアの空調と照明を全て消した。日頃使うスタジオは落下物が多く危険と判断し、アナウンサーは慣れない別の小部屋に移動して放送を再開した。当日は雪がちらつく寒さであったが、現場の判断に迷いはなかった。

 非常用電源で映る TBCTV のモニター映像を見ながらラジオで津波の模様を放送 した。大津波警報を頻繁に流し、避難を呼びかけた。気象台の防災情報提供装置が午後 4時頃まで稼働しており、海面変動数㎝などという情報も入ってきたが、かえって危機感を薄めてしまうと考え採用しなかった。緊急アナウンスコメントは混乱期において役立ったが、「鉄筋コンクリート3階以上に避難」という表現は予想津波高 6mの 時点であえて使わないこととした。指定避難場所が安全ではない箇所もあったため、アナウンスコメントも最悪の事態を想定しておかなければならないと痛感した。危機感を伝えるため、アナウンサーは普段と声色を変えて話した。「いつもリラックスしてしゃべっている人が今回は緊迫した声だったので、本当に危ないのだと思って避難した」 という声も聞かれている。しかし身近な被害状況がつかめなかったため、たまたま取材に出かけていた人に出演してもらうなどして、TBC らしくマスメディアとは異なる地元の情報を伝えた。

 

② 取材力のレジリエンス
気仙沼や石巻、白石にあった取材拠点からの情報はなかなか入ってこなかった。沿岸部に防災レポーターもいたが、連絡がつかない。ラジオ放送の命綱である情報 ソースが激減したが、自前のラジオカーを持っていたため夕方にはこれによる取材、FAX、メールなどで情報収集を行うなど、独自取材を敢行した。ラジオカーを持っている民放局は珍しい。仙台空港で NHK以外の取材ヘリは全て流され、テレビ局も思うように情報を収集できないでいた時間帯である。仙台は宮城県北部地震(2003)や岩手・宮城 内陸地震(2008)など何度も大きな地震を経験していたため、TBC では災害時専用のメールアドレスを作っていた。今回も、特に PRしなくてもリスナーからこのアドレスに情報提供のメールが続々と入っていた。メールの送受信は時間がかかったが何とかできたという。災害時のみのシステムは使えないという危機管理の常識を破るようであるが、平時にリスナー(最重要ステークホルダー)との認識の共有、信頼関係があってこその成果であろう。メールによって、学校や病院、介護施設などの無事情報が入ってきた。夜になると、救援要請や安否確認情報が増えた。21時過ぎからはスタッフの個人アカウントを利 用して twitterでの情報発信も開始した。反響があり、12日も継続的に発信した。多様な手段を駆使して、重要業務(ラジオ放送)継続に不可欠な取材力を保持し続けたと言える。

 

③ 停波からの復旧
若林区荒井にあるメイン送信塔が浸水し、12 日早朝にはついに停波に陥った。停波中は twitter で情報発信したが、利用層が限られているためか後日多くのリスナーからは「心配した」と言われたという。気仙沼、南三陸町志津川、鳴子にあるサテライト局に切り替え放送をつないだが、出力が半径 10kmに落ちたため、石巻や県南地域では聴取できなくなった。しかし停波より放送継続が重要と割り切って放送を続けた。U Streamも併用して仙台市内の情報発信をし続けたため、県外からの安否情報や救援物資の情報も入ってくるようになった。15日までサテライト局から放送し、16日から復旧したメイン送信塔から放送再開。ここから 26日までの 256時間、40人体制で CM抜きの地震特別番組を放送し続け、災害直後のローカルチャネルとしての社会的責任を十分に果たした。

ライフラインの途絶のため、取材力のないラジオ局が情報収集に苦慮する中、ラジオカー、災害時専用メールアドレス、リスナーとの強固なパートナーシップがあったことがレジリエンスの決め手となった。社屋の耐震性や非常用電源の配備などハード面のレジリエンスも奏功している。放送継続によって、さらに価値ある情報がリスナーから寄せられ、時間の経過と共に変わる被災者の情報ニーズにきめ細かく対応できたことも見逃せない。

図1は、東日本大震災における災害情報入手チャネルの調査結果の一つである。宮城県内では 6割を超える人が「ラジオを頼りにして」いた。平時から地域社会との絆があるからこそ頼りにされる。その背景の一端をうかがわせる事例である。

 

【企業 data】    
 所在地:仙台市太白区八木 山香澄町 26-1
業種:基幹放送事業(テレビ・ ラジオ)
従業員数:160 人(2012 年 4 月現在)
設立:1951 年 12 月 10 日    
 

※本稿は日本災害情報学会デジタル放送研究会 4 の調査結果を元にしています。

【執筆者プロフィール】   
三島 和子
セコムIS研究所主任研究員、レジリエンス協会監事。 1992 年東京大学卒、三井住友海上及びインターリスク総研でリスク研究・コンサルティングに携わった後 2008 年より現職。鎌倉女子大学及び筑波大学大学院非常勤講師。防災士、AMBCI。

 

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転載元 レジリエンス協会 会報 レジリエンス・ビュー 第3号
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