徳川8代将軍吉宗~享保改革の手腕:大胆な財政再建と人材登用~
<米将軍>吉宗と紀州流治水・利水工法
高崎 哲郎
1948年、栃木県生まれ、NHK政治記者などを経て帝京大学教授(マスコミ論、時事英語)となる。この間、自然災害(水害・土石流・津波など)のノンフィクションや人物評伝等を刊行、著作数は30冊にのぼる。うち3冊が英訳された。東工大、東北大などの非常勤講師を務め、明治期以降の優れた土木技師の人生哲学を講義し、各地で講演を行う。現在は著述に専念。
2018/02/13
安心、それが最大の敵だ
高崎 哲郎
1948年、栃木県生まれ、NHK政治記者などを経て帝京大学教授(マスコミ論、時事英語)となる。この間、自然災害(水害・土石流・津波など)のノンフィクションや人物評伝等を刊行、著作数は30冊にのぼる。うち3冊が英訳された。東工大、東北大などの非常勤講師を務め、明治期以降の優れた土木技師の人生哲学を講義し、各地で講演を行う。現在は著述に専念。
江戸幕府<中興の祖>とされる8代将軍吉宗(1684~1751)の治世は、享保改革という一大改革期であった。江戸幕府3大改革の一つであるこの改革は、行き詰った財政事情の打開策を模索するものであった。倹約の奨励、武芸の振興、年貢の増強、定免制の実施、株仲間の承認、町人による新田開発の奨励、足高制・公事方御定書の制定、目安箱の設置、養生所の設立、医学洋学の奨励、人材の登用(今日の<おともだち政治・政権>とは正反対である)。紀州藩主にすらなれないと思われた男が55万石の藩主になり、あげくに将軍にまで上り詰めた。吉宗の享保改革は旧弊を打破する高邁で現実的な政策として評価が高い。以下「日本の時代史16」(吉川弘文館)などを参考にし、一部引用する。
改革の中核である幕府の財政再建は、改革前期の勝手掛老中(かってがかりろうじゅう、農財政専管老中)の水野和泉守忠之と後期の勝手掛老中の松平左近将監乗邑(さこんのしょうげんのりさと)によって展開された。2人の辣腕老中は、いずれも吉宗による抜擢である。
「徳川理財会要」などによって、幕府財政の支出項目をみると、琉球国使や朝鮮からの通信使などの外交費、大砲鋳造・砲台築造などの軍事費、旗本ら幕府官僚の人件費などのほか、河川治水(水害対策)、寺社修復、道路や橋の修復、救恤(きゅうじゅつ、貧民救済)、褒章などの費目が挙げられる。一方、幕府の財政支出(赤字)を補ったのが、幕領からの年貢米であった。
吉宗の財政再建の基本は、倹約による支出抑制と増税による収入増加であった。吉宗は最初の老中・水野忠之を勝手掛老中に任命し、財政再建の基本計画を検討させた。水野の答申は(1)年貢増徴(2)新田開発を基本とするものであった。成果が出るまでの緊急措置として、享保7年(1722)7月に上米の制を実施した。この制度は、諸大名に毎年1万石につき100石の割で献米させるものであった。
◇
税制改革は享保7年以後、各地の幕領で検見取法(けみどりほう、年ごとの生産高をもとに年貢量を決定する方法)から定免法(じょうめんほう、一定年間年貢を固定する法)へと税制転換を行い、役人の不正を防止し、収入の安定を図ると共に、年季切れの際の引き上げもねらった。
空前の新田開発は、享保7年に江戸日本橋(現東京都中央区)に新田開発の高札を立て、町人請負を含む開発促進の方針を公示したことに始まる。この法令に基づき、下総国の飯沼新田(茨城県)、武蔵国の見沼新田(埼玉県)・武蔵野新田(東京都・埼玉県)、越後国の紫雲寺潟新田(新潟県)などの広大な新田が誕生した。
現場で開発の指揮を執ったのは、その大半が吉宗が紀州藩藩主の頃育てた地方巧者(じかたこうしゃ、土木技術者)であり、その代表が井澤弥惣兵衛である。
<米将軍>吉宗時代の新田開発には際立った技法上の特徴があった。江戸時代前期に盛んに行われた新田開発では、農業用水として湖沼や溜池それに小川の水を利用する場所を対象としており、大河川の中下流域付近一帯は手つかずのままであった。肥沃な地帯が開発対象とならなかったのは、当時の築堤技術、河川管理技術のレベルでは河川の流れを統制するのは不可能だったからである。ひとたび増水すると、洪水は堤防を切って溢れ出し、一帯を水面下に没し去ってしまう。流域民も溢水の危険(大洪水)をあらかじめ考慮して、河川敷を広く設けており田んぼや民家は遠く避けるのを常とした。徳川幕府が伝統的に採用してきた伊奈流(関東流)工法は、この観点に立つものであった。
将軍吉宗が紀州藩から招聘した井澤弥惣兵衛ら土木技術者たちは、新しい工法(紀州流)を幕府の治水策の柱に据えた。それは高いレベルの築堤技術と多種の水制工を用いた河川流路の制御技術(「川除(かわよけ)」と言う)とをもって、利根川や木曽川などの大河川の流れを連続長大の堤防の間に閉じ込めてしまう技法であった。
紀州流工法によって、大河川下流域付近一帯の沖積平野や河口デルタ地帯の開発が可能となった。しかも堤防の各所に堰と水門を設けて、河川から豊富な水を農業用水として引き入れることによって、河川付近のみならず遠方にまで及ぶ広大な領域に対して田地の灌漑を実現した。
新しい土木技術や河川管理技術によって、また勃興する商人たちの資本力を活用した町人請負制型の新田開発の方式を導入することによって、幕領の石高はこの時期に約60万石の増大をみて460万石ほどに上った。<米将軍>吉宗の積極策のもと、幕府の財政再建は着実に進行し、改革の開始から10年余を経た享保16年(1731)頃には財政は黒字基調に転じて諸大名からの上米に依存しなくてもすむ状態に到達した。
◇
この間、幕府は1726年新田検地条目を発布し、開発の成果を年貢として吸収する体制を整えている。勘定所(財政当局)の記録によると、幕府の年貢総額の平均は、1716~26年の140万石余に対し、1727~36年(元文元年)は156万石と年平均16万石も増加している。
この他、甘藷(さつまいも)や櫨(はぜ)などの殖産興業政策や薬用の朝鮮人参など輸入品の国産化政策も推進された。1728年には四代将軍家綱が1663年(寛文13年)に実施して以来絶えていた日光東照宮の参詣が65年ぶりに復活されたほか、1730年頃には江戸城の奥金庫に新たに100万両の金が蓄えられ、同年には上米の制が廃止された。
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