小栗斬首供養碑(高崎市・烏川べり)

幕末の列強による外圧と国内の攘夷の烈風の中、世界を見据えていち早く新国家構想を打ち出した人物は誰か。元治元年(1864)にすでに、4年がかりの計画で横須賀に大造船所を建造すべく計画を立てた人物は誰か。歩兵・騎兵・砲兵の3編成の近代的軍隊をつくったのは誰か。対外為替相場を有利に改定し、貨幣を改鋳し、今までの不換紙幣を改めて、日本最初の兌換紙幣を発行させたのは誰か。日本にコンパニー(貿易商社)を設立し、外国との取引を有利にしようと試みた者は誰か。

役人の俸給制度を切米(年3回支給された扶持米)から金に改め、恩給法を制定したり、所得税、奢侈(しゃし)税を設けたのは誰か。日本に最初の理工科系学校や外国語学校をつくったのは誰か。江戸の街にガス灯の普及を図り、豪華な洋風ホテル(築地ホテル)を計画し、新橋・横浜間に鉄道をつくる準備を進めたのは誰か。

それは江戸幕府・幕臣として初めて世界一周を成し遂げた小栗上野介忠順(ただまさ)である。小栗は廃藩置県を断行し、日本を欧米にも引けを取らない中央政権と郡県制度に構成しようと説いたのである。過去2度、当連載で小栗を取り上げているが、再々説する。

■幕末・維新とメディア事情それに小栗忠順
http://www.risktaisaku.com/articles/-/3746

■再説:幕末の幕府を支えた小栗上野介忠順
http://www.risktaisaku.com/articles/-/7919

将軍から罷免

小栗は対薩長軍・主戦論を説いた。「西軍が東下して来たら、箱根でも碓氷峠でも防がず、全部関東に入れた後、両関門を閉ざして袋のネズミにしてしまう。一方、軍艦は長躯して馬関(ばかん、現下関)と鹿児島を衝(つ)く。こうすれば日和見している天下の諸藩は皆わが味方となる。形勢が逆転して、幕威また振るうに至る」(小栗の戦術を、後に西軍司令官・大村益次郎は江戸に入ってから聞かされて戦慄した。これが実行されたら、われわれは生きてはいられなかったろうと語ったと伝えられている)。

恭順することに心を決めている将軍・徳川慶喜は聞く耳を持たない。小栗が強硬に主張してやまないので、ついに免職を言い渡した。

海軍では副総裁・榎本武揚らが主戦論者であった。陸軍奉行・大鳥圭介も慶喜の江戸帰還直後江戸城に推参して将軍に直談判した。大鳥の決死の直訴も受け入れられなかった。

これより先、新政府軍は東征大総督府のもとに編成した各軍を進発させることとし、同年2月11日から薩長両軍を中心とする総勢5万人の西軍が続々と京都を出発した。東海道軍は戦闘なしで品川に到着した。東山道軍は近藤勇の新撰組らを打ち破り宿場町の板橋と府中に到着し、江戸城総攻撃に備えた。慶応4年(1868)3月13日、勝海舟と西郷隆盛の劇的な高輪薩摩屋敷での談判により江戸城は無血開城されることに決した。

この歴史的幕切れは、イギリス公使パークスの西郷に対する攻撃中止の強い要請が非公式に出されていたことによる。だが、一方で徳川軍の戦力が温存される結果を招いた。指揮官・大鳥圭介は伝習隊将兵に命じて江戸城内の最新鋭の銃砲を運び出させ江戸を脱出し、彼らを率いて権現様(祖神・徳川家康)を祀る野州日光(現栃木県日光市)に立てこもることを決意した。徹底抗戦を誓ったのである。旧幕府海軍を率いる榎本武揚もまた同じであった。

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