エネルギーの受け渡し

この時の予測資料では、台風第16号の北側に温帯低気圧が発生して発達し、台風は日本の南で勢力を失うというシナリオが有力視されていた。図3で、10月5日9時の地上天気図には、本州南岸沖に停滞前線が描かれているのみで、温帯低気圧はまだ解析されていないが、同時刻の気象衛星画像では、台風の雲域の北側に黄破線で囲った雲域が見られ、その縁が日本海で北西側に膨らむように湾曲し、温帯低気圧が発達する兆候を示していた。気象庁の解析では、6日3時に紀伊半島沖で温帯低気圧が発生した。

10月6日9時の気象衛星画像で、関東の南に見られる白く輝いた雲域は台風第16号の雲域の残骸だが、台風中心から離れ、温帯低気圧の雲域に取り込まれている。このことが象徴的に示すように、台風第16号が持っていたエネルギーの大部分は、その北側に発生した温帯低気圧に受け渡された。台風第16号は、抜け殻のようになって温帯低気圧の南に残存しているが、やがて消滅する運命にある。

さらに、10月7日9時の地上天気図を見ると、台風はもはやなく、台風の北に発生した温帯低気圧が発達して関東のすぐ東の海上に進んでいる。この位置で中心気圧が970ヘクトパスカルの温帯低気圧は、めったに見られるものではない。三陸から関東にかけての沿岸部は等圧線の間隔が狭く、北または北東の暴風が吹いている。気象衛星画像では、温帯低気圧の雲域が中心の北側に大きく湾曲している。これは、発達しながら北上する温帯低気圧の特徴である。

海上風の分布

「なべ底型」の台風は中心位置の決定が難しいと書いた。このような台風は、典型的な台風と異なり、中心付近の風はあまり強くなく、中心から数100キロメートル離れた場所で風速が最大になることが多い。

図4は、当時運用されていた米国の地球観測衛星QuikSCAT(クイックスキャット)による海上風のデータである。この衛星は、海面の凹凸による電波散乱の大きさから、海面上10メートル高度の風向・風速を観測していた。1日2回、3時頃と18時頃の観測データを利用でき、精度は風速計のデータに劣るが、風の面的分布を把握するのに便利であった。

写真を拡大 図4. QuikSCAT衛星が観測した海上風の分布(2006年10月、気象庁による)

図4によれば、10月5日18時の台風第16号に伴う風分布は、北北西~南南東の走向に長軸を持つ楕円(だえん)形にゆがんでいる。風速は台風中心の北250キロメートル付近で最も強いが、紀伊半島の南250キロメートル付近にも風速のピーク域があり、この付近での温帯低気圧発生の兆候と見られる。

その24時間後の10月6日18時になると、台風第16号から変わった熱帯低気圧の循環が伊豆諸島の南にまだありそうだが、伊豆諸島付近に温帯低気圧の循環中心らしきものが認められる。この時刻は、茨城県鹿島港付近で貨物船が座礁した時刻に近いのだが、茨城県から宮城県にかけての沖合では60ノット(約30メートル/秒)の東風が観測され、暴風が沿岸部にまともに吹きつけている様子が分かる。

10月7日18時には、温帯低気圧の大きな強い循環が三陸沖に進み、北海道の南東海上から津軽海峡に向かう最大75ノット(約40メートル/秒)の猛烈な東風の暴風領域が現れている。

さらに10月8日3時になると、オホーツク海南部にも最大60ノット(約30メートル/秒)の暴風領域が現れ、北海道のオホーツク海側に吹きつける形になった。