経営者の証言から読み取るBCMの本質

阪神・淡路大震災を乗り越えた経営者たち。巻頭でも紹介したオーラルヒストリーからは、当時の企業経営者がいかに困難を乗り越えたか、どう意思決定したかを読み取ることができる。ノーリツの創業者で、現名誉会長の太田俊郎氏は、震災で大変な状況の中、翌日東京で開催された全国の代理店会に駆けつけ、会社の存続を悲観する代理店に「つぶれない」と言い切って神戸に帰ってきた。甲南大学を運営する甲南学園の理事長だった小川守正氏は、私学の任務が授業を継続することにあるとし、仮設校舎を建設し授業を早期に再開させるとともに、被害状況と学園の財政、将来性などを考慮して再建のための投資を決断した。

ポートピアホテルの社長だった中内力氏は、世界中からの宿泊客を3日間で帰宅させ、宿泊場所の無い多くのメディア関係者に部屋を提供した。さらに、「お客さんに来てもらうということ以外にホテルの復興は無い」と、震災後、コンベンションセンターの建設を決めた。何のために企業が存在するのか、震災時における企業の責務とは何か?それぞれの経営者がそんな原点に立ち返って復興の道を切り開いてきた。 

京都大学防災研究所の林春男教授がリーダーとなってインタビューした経営者のうち、現在、人と防災未来センター(神戸市)で公開されているインタビュー5本を抜粋して紹介する。

Oral History01 生産をやらないかんのや

株式会社ノーリツ 代表取締役会長(当時) 太田敏郎氏 
聴取日:1999年6月23日

明日の代理店会は絶対にやる


1月17日の翌日には東京で代理店会を開催することにしていました。私も17日の夜から出かけて行く予定でしたが、ドカーンときました。 

地震があった後は、全然情報が入りません。テレビでは一切分からないし、ラジオも中途半端なニュースしか入ってこない。電話をしても話し中でかからない。自分のマンションから眺める範囲しか分からず、神戸が地震の中心であることも知りませんでした。「もし関東が中心であった場合、神戸がこれだけ被害を受けたんだから、東京は大変な状況ではないか」と思いました。だから、東京で代理店会どころではないのではないかと。 

「会社はどうなったか、まず見て来なきゃいかんな」と思って自分で運転して出かけたんですけど、一歩表通りに出たらどうにも動かない。動くよりも家で待機する以外ない。下手に動くと、かえって連絡が入らないから、とにかく自分は動いちゃいかんと思いました。 

すると、第一報の電話が入り、「本社は壊滅状況です」それから、と。だいぶ経ってから、明石の工場の方からやっと一報が入り「工場は相当やられているけれども何とか復旧できる。生産は可能だろう」という話が入ったのです。 
それで「代理店会をやらなきゃいけない」と思いました。本社は壊れてもいい。しかし、工場が健全であるなら、皆さんが集まっているなら行った方がよいと判断をしました。 

昼ごろには、東京は何ともないということが伝わってきて、工場が大丈夫ということもあり「明日の代理店会は絶対にやる」という結論を下し、状況の準備にかかりました。 

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